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50 番外編2 水の冷たさと人の温もり
「あ~! 食った食った~!」
ある夏の日、幸人は輝彦、朱里、七海と一緒に、キャンプ場に遊びに来ていた。この時期、こういうレジャー施設は激混みが予想されたが、なんと朱里のツテで、周りから離れたスペースを獲得することができたのだ。
四人はのびのびとタープテントを張り、BBQを楽しんでいる。いち早く食べ終わった朱里は、楽しそうにはしゃいでいた。
「道具や食材も現地で手に入るなんてすごい……」
幸人は手ぶらでBBQができる手軽さに感動し、デザートのスイカを頬張る。
目の前には気持ちよさそうな川が流れていて、その水で冷やしたスイカだ。水はキラキラと輝いていて、透明度の高さにうずうずする。こういうイベントは今までになかったし、それが恋人である輝彦と、大切な友達の朱里と七海と来ることができただけで、嬉しい。
「……何幸人、来たことないの?」
朱里が身を乗り出して聞いてきた。彼女を含め全員、川で遊ぶ予定なので水着だ。朱里はラッシュガードを着ていたが、前開きのファスナーは全開で、ビキニで覆われた胸の膨らみや細い腰、張りのある太ももをこれでもかと見せつけてくるので、多分わざとだろう。
「う、うん。……こういう機会なくて」
いくら幸人が女性に興味がないとはいえ、見せつけられたら狼狽えもする。まじまじと見る訳にもいかないし、助けて、と輝彦を見たら、彼はTシャツを脱いでいた。
「朱里ー、幸人の反応を面白がるんじゃない」
「て、輝彦っ」
「え~? だって幸人、いちいち狼狽えてて面白いんだもん」
朱里はやはりわざとだったようだ。彼女たちはこういうことに慣れているのか、輝彦の水着姿を見ても平気らしい。大勢でBBQとか、海とかに行っていたと聞いたから、その時のノリと同じなのだろう。
しかし幸人は初めてだ。親と親の友達で花見のBBQくらいはしたかもしれないけれど、友達となんて来たことがなかったし、それに、と幸人は輝彦をチラ見する。
(う、やっぱり直視できない……!)
さすがモデルのバイトをしていただけあって、輝彦は背も高く、均整の取れた身体つきをしていた。しかも筋肉もそこそこ付いていて、細マッチョとはこういうものか、と思う。上腕二頭筋の筋肉の形とか、割れた腹筋の溝とか、綺麗な顔と相まって幸人の理想なのだ。
「幸人も川で遊ぶだろ?」
「そっ、そうだね……っ」
明らかに朱里の時とは、狼狽え方が違うのは自覚した。でも目の前にいるのはキラキラしたイケメンで、しかも自分の恋人だ、ドキドキしない方が無理だろう。
すると、輝彦の赤い糸が顔中を撫でてくる。幸人はそれから逃れるために両手で顔を隠した。
幸人には、他人の好意が赤い糸で見えるという能力がある。赤い糸が誰に向かって漂っているか、または誰と結ばれているかで、誰が誰を好きなのかが分かるのだ。
そして今、輝彦の糸は幸人の指の隙間から、唇を執拗に撫でようとしている。当の本人は、爽やかに微笑んでいるだけなのに。これはキスをしたい、という気持の表れだ。
(もう……)
うだるような暑さなのに顔が熱くなった。多分自分は真っ赤な顔をしているだろう、と思っていると、輝彦もからかうなよ、と助けてくれる救世主が現れる。
「七海さん……」
七海は、長袖とレギンスのラッシュガードを着ていて幸人はホッとする。朱里が「何その色気のない水着」と口を尖らせていた。
「お前らそんな風に幸人をからかってると、幸人、そのうち遊んでくれなくなっちゃうかもよ?」
「え、七海さ……」
そんなことはない、と言おうとしたら七海に目線で止められた。困っている幸人を放っておけないという、七海の正義感ゆえの行動なのだろう。ありがたく黙っておくことにする。
「それは嫌!」
七海の言葉に、大きく反応したのは意外にも朱里だ。
「幸人ごめん! あたし、幸人が優しいから何でも許してくれてると思った。嫌だった?」
幸人が座る場所まで来て、上目遣いで見つめられる。こんなシチュエーション人生で初めてで、ますますどうしたらいいのか分からなくなって、また狼狽えた。
「えっと、朱里さん……」
「あたし、一回幸人を傷付けたこと、スッゲー反省してたのに……」
そう言われてハッとする。輝彦と付き合う前、朱里は輝彦が好きだった。幸人に影響されて変わっていく輝彦が、自分から離れていくのではと思った彼女は、その不安から幸人を口撃したのだ。
そんな事があって、時間をかけて彼女なりに反省していたのだろう。また幸人を傷付けた、としょんぼりする朱里も、ゆっくりと成長しているようだ。
幸人は微笑む。この四人でいたいと思ってくれて、嬉しい。輝彦と付き合う前の状況からは、考えられない光景だ。
「ああうん、大丈夫。ただ慣れなくて」
「幸人が慣れてたら怖いよな」
笑いながらそう言ったのは輝彦だ。しかし、すかさず七海は突っ込む。
「輝彦、あんたも」
「俺は恋人特権だろー?」
「んなもんないよ。からかわれること、嫌いらしいからって言ってたの、あんたじゃん」
「……はい。ゴメンナサイ」
幸人は驚いた。幸人は過去に、からかいや陰口を叩かれることが常習化していた頃がある。今でこそ落ち着いているけれど、深い傷となってしまっていることには変わらない。その事を、輝彦が朱里と七海に話しているとは思わなかったのだ。
大事なことだから、ちゃんと話す。幸人はこの三人に出逢ってから、少しずつそれができている気がした。それもこれも、輝彦のおかげだと思うから、やっぱり幸人は彼が大好きだ。
「じゃ、川の水に浸かって耐久戦しよ。長く耐えられたら片付け免除!」
そう言った七海に腕を引かれる。
「そんなのヨユーっしょ!」
楽しそうな事には積極的な朱里がはしゃぐ。四人で手を繋いで岸に行き、せーので川に一歩踏み出した。
途端に刺すような冷たさが幸人を襲う。両隣の七海と輝彦も手に力が篭ったから、多分感想は同じだろう。
「何これ!? こんなに冷たいとかありえない!」
「朱里、ギブアップするか!?」
「このまま進んで、腰まで浸かるよ!」
「え、いや……それはマジでヤバい……!」
それぞれ水の冷たさにぎゃあぎゃあ言いながら、笑い合った。足は感覚が無くなりそうな程冷たいのに、誰もギブアップしない事にも笑えてくる。
「おい、誰かギブアップしろって……!」
輝彦が騒いだ。けれどその顔は楽しそうで、幸人は朱里と七海を見る。彼女らも楽しそうだ。
「もう……無理!」
水深が太ももまで来た頃に、幸人は踵を返して戻る。するとなぜか輝彦たちも「限界!」と言って戻って来た。
「え? みんな戻って来たら誰が勝ちなの?」
楽しそうな三人を見ていたいと思ったのに、これでは全員ドローではないか。そう思っていたら輝彦が笑う。
「じゃあみんなで片付けやろ」
そして輝彦はこう続けた。
「みんなの笑顔見たさに、幸人が負けにいくのなんてお見通しだよ」
「そーそー。ウチらだって幸人が笑ってるの見たいし?」
輝彦の後を継いだのは七海だ。朱里も同意なのか笑っている。
「……」
こんなこと、人と付き合う事を恐れていた頃からは、想像できなかったことだった。そして彼らは、そんな幸人の心の傷さえも受け入れてくれている。
本当に、彼らに出逢えて良かった。幸人は心の底からそう思う。
「ありがと……」
笑おうとして失敗し、目から雫が落ちると、みんなは笑った。これからも楽しい思い出、みんなで作ろう、と朱里に言われ、幸人は頷く。
幸人の大切な、夏の思い出だ。
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