6 / 35

【過去編】始まりの前-1-A-

 アルノシトの両親は共働き。  職場で知り合い、それが縁となって結婚、自分が生まれたと聞いている。だから出勤も一緒だし、帰ってくる時も一緒だった。  そんな風にいつも一緒にいた二人だったから、死ぬ時も一緒で良かったのだと思う。  いつもと同じように祖父母の雑貨店に預けられた後。笑顔で行ってきます、と出かけて行ったのが覚えている最後の姿。  その後、爆発音が響いて周囲が騒然となった。  当時子供だったこともあり詳細なことは覚えていないが、路面電車の内燃機関に問題があり、それが原因で電車が爆発、周囲を巻き込んで大惨事になったらしい。  連日テレビも新聞もその話題で持ち切りとなり、どこを見ても頭を下げている大人が写っていて、少し可哀想だな、と思ったのも覚えている。  自分が最後に見たのは、いつもと同じように明るく笑う両親の姿。  遺体の損傷が激しいからと亡くなった後の姿は見せてもらっていないから、いなくなったという実感が持てなかったのかも知れないし、祖父母の落ち込み方が激しかったから、逆に冷静になれたのかも知れない。  これが唯一残ったものだと、涙を流しながら祖父が渡してくれた溶けて繋がった一対の指輪。  哀しみや寂しさよりも、最後の瞬間まで一緒にいたのだと分かったことに安堵した。自分には祖父母もいる。だから大丈夫だと告げた時、祖父母に抱き締められて戸惑ったことも今となっては懐かしい。  ────そんな事故の日から少し経った頃の話。  凄惨な傷跡は完全になくなったわけではないけれど、それでも修復された路面電車に乗り、まだ崩れている道路を歩いて人々は日々の暮らしを営むようになっている。  祖父母に引き取られた自分も、雑貨店の手伝いをすることに慣れてきた。とはいえ、一番の本分は学業だと言われて、簡単な荷物運びや棚の整理くらいしか手伝わせてくれないのだが。  今日も学校から帰った後、店番をしている犬のジークと少し遊んでから宿題を片付けにかかる。  勉強よりも店の手伝いの方が楽しいんだけどな、なんて考えていては進むものも進まなかったから、思い切って場所を変えてみることにした。 「ちょっと出かけてくるね。晩御飯までには帰るから」  宿題と筆記用具一式を鞄に入れて外に出た。  祖父母にも言っていないのだが、アルノシトには特技と言えることが一つある。  いわゆる、抜け道、近道を探し出すのが得意なのだ。なんとなくこっち、で選んだ道がおかしな場所に出たことは一度もない。  学校の帰り道に寄り道をして自分だけの「秘密の場所」を見つけるのがささやかな趣味でもあった。  今日はそんな「秘密の場所」の一つで宿題をしよう、と思って足を向ける。  何年か前に売りに出されたままの屋敷。いつのまにか、「販売中」の看板はなくなっていたけれど、植物に覆われた外観は変わっていない。学校ではお化け屋敷だとあだ名されているが、中はそれほど傷んでいなかった。  ぱっと見、植物に覆われて入れる隙間も出入口もなさそうだが、アルノシトだけの抜け道を通れば家の中まで行くことが出来る。  かつてのリビングだったであろう場所には、ソファとテーブルが置かれたままで意外と居心地は良かったのだ。掃除をしてそれなりに使えるようにはしておいたので、そこで勉強しよう。  そう思って向かったのだが…… ──誰かいる?  家の中に入った瞬間の違和感。今まで感じたことがなかったから、うきうきとした足取りが自然と忍び足になった。  このまま回れ右をして抜け出そうと思ったが、危険な気配は感じなかったから少し考える。  今まで何度かこういった「秘密の場所」を見つけた経験から、ホームレスや犯罪者はじめ、誰か人の気配がある場所、特に危険な場所には特有の気配がある──気がしている。  そういったものではなかったから、もしかしたらうっかり迷い込んでしまって困っているかも知れない。とりあえず、目的のリビングだけ見てから決めよう。  そろそろと歩き出す。リビングルームへの扉が開いたままになっている。  前回来た時はきちんと閉めたはず。そう思って、こっそりのぞき込んだ。  ────いた。  ソファに座っている人物。自分よりも年上ではあるが、大人ではない。が、少年というには大人びて見える。ソファに深く腰かけ、足を組み、肘掛けに肘をついている。  目閉じて項垂れているから眠っているのかと思ったが、不意に顔を上げた。 「誰かいるのか?」  まっすぐにこちらを見る青い眼。問いかけられて素直に前に出た。驚いたような表情を見て頭を下げる。 「ごめんなさい。誰も住んでいないと思って……俺のひみつきちにしていました」  正直に答える。ソファに座っていた男はふぅ、と大きく息を吐き出した。 「いや……別に構わない。誰も住んでいないのは確かだし……ただ、手入れもしていなかったから埃っぽかっただろう?」 「……だから、時々そうじをしてたんです」 「なるほど。それで予想していたよりも綺麗だったんだな」  見た目もだが、言葉遣いも妙に大人びている人だ。自分へと向けられる眼はどこかしら寂しげに見えるのは、大人びた物言いのせいだろうか。  追い出そうとも出て行こうともしない相手を見て少し迷った後、持っていた鞄を持ち上げて見せた。 「……えっと。これからもここで勉強してもいいですか?」  中に入っていたノートと筆記用具も取り出すと、相手はふ、と小さく微笑んだ。 「あぁ。……せっかくだ。私が見てあげよう」 「本当に?!ありがとう」  実のところ勉強は苦手──というか嫌いだった。単純に先生が好きじゃない、という理由だが。  いそいそとソファに座ってテーブルにノートを広げる。と同時に隣の彼が噴出した。 「……私が悪い人だったらどうするつもりだったんだ、君は」 「?お兄さん、わるい人なの?」  今度はこちらがきょとんとした。ふむ、と何か考えた後、彼はゆっくりと頷いた。 「そうだな……人によっては、極悪人と私を呼ぶかも知れない」 「でも……わるい人だったら、しゅくだいをてつだおう、なんていわないと思う」 「……君を油断させて傍に来させるためかも知れないとは思わないのか?」 「どうして?」  黙る。少し逡巡した後、ノートへと視線を落とす。 「世の中には……君くらいの年齢の子を誘拐して、よその国に売り飛ばす連中もいるから。次からは気をつけなさい」 「そうなんだ。ありがとう、おしえてくれて」  やっぱり悪い人には見えない。変なことをいう人だ。  そんな印象。とりあえず、宿題を教えてもらおうと、わからない部分を指し示す。ある意味子供らしい切り替えの早さだが、それに呆れるでも怒るでもなく向き合おうとしているこの人は、本当に悪い人ではないのだろう。 「……それなら、この公式を使って──」  教科書とノート。こことここ、と指で示しつつわかりやすく丁寧に教えてくれる。あれだけ学校では理解できない、したくない、と思っていた問題がするすると解けていくことにアルノシトは笑顔になった。 「すごい!お兄さん、すごいね」  全然進まなかった宿題があっという間に片付いた。ついで、と言ってはなんだが、授業でわかりにくかったことも質問してみたが、それもあっさりと片づけられる。 「お兄さんのおかげで、しゅくだいぜんぶおわっちゃった。本当にありがとう!」  広げた道具を片付けながら笑う。毎回、こんな風に教えてくれる人がいたらいいのに。  そんな独り言にも眼を細めていたが、片づけ終わるのを見るとゆっくりと立ち上がった。 「どういたしまして。そろそろ私は行くが──君はどうする?」 「俺も帰るよ。ばんごはんまでには帰るってやくそくしたし」  鞄を持って、忘れ物がないか周囲を確かめる。 「良ければ送っていくが?」 「一人でかえれるから大丈夫。ありがとう、お兄さん」  提案を断って首を左右に振った後、あ、と声を上げた。 「おひるねのじゃまをしてごめんなさい……それと。もし、良かったらまたべんきょう、おしえてほしいです」  学校の先生よりもずっとわかりやすかった。  素直な言葉と真っ直ぐに向けられる感情。やや間をおいてから、彼はゆっくりと頷いて返した。 「来週もこの時間に来よう。……もちろん、それまでは自由に使ってくれて構わない」 「本当に?!ってことは、ここはお兄さんの家なの?」  そうではない、と首を左右に振った。 「私はここに住んでいないから……家かと聞かれたら違う、となるが。私の所有物であることは間違いない」  難しいことをいう。とアルノシトの眉間に皺が寄せられたのを見て、ふ、と笑った。 「とにかく。もう少しきれいに掃除しておこう。他に欲しいものがあれば用意するが?」 「……んー…あ」  名前。  散々に質問をしていて今更だが、名を聞いていなかった。 「俺はアルノシト=クベツと言います。お兄さんは?」  沈黙。やや間をおいてから 「私は──オストグ」 「それじゃオストグさん。またね」  一礼してから抜け道へと向かう。色々と質問するのが楽しくて少し遅くなってしまった。  やや急ぎ足で家へと戻ると、いち早く気配に気づいたジークが吠える。 「ただいま、ジーク。おばあちゃん。遅くなってごめんね」 「お帰り。先にご飯にするかい?」  看板を片付けていた祖母の質問に首を左右に振る。 「先にジークのおさんぽに行ってくるよ。おなか空いてた方が、ごはん、おいしいから!」  ワン、とジークも同調するように尻尾を振る。気を付けて行っておいで、の声を背に、リードをもって歩き出した。

ともだちにシェアしよう!