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第9話
《柊 雅臣side》
玄関のチャイムを鳴らすと、少ししてカチャリと音が鳴りドアが開く。
「ひさしぶり」
そう言いながら嬉しそうに部屋へ招き入れるその長身の男に、コンビニで適当に見繕った栄養ドリンクとサンドイッチの入っているビニール袋を手渡す。
いつ来てもこの部屋は整理整頓が行き届いており、黒とダークブラウンを基調としたインテリアは素人目に見てもとてもセンスがいい。
本が積み重なって雪崩を起こしている自分の部屋を思い出すとため息が出そうだ。
暫し窓の外の夜景に目を落としていると
コーヒーの良い香りが鼻をかすめ、
茶色の水面を浮かべた無骨なカップが2つ、テーブルに置かれた。
「で、生徒の事で相談って?」
ソファに座るなり単刀直入に本題に突っ込むその男に、俺はカップの柄を握り締めた。
彼の名前は伊勢祥吾(いせ しょうご)。
俺の幼馴染であり、警察官であり、
今は恋人でもある。
何から話そうとぐるぐる考えていた俺と違って、
歯に衣着せない率直な言動に、
祥吾はこういうやつだったと自分も背筋を伸ばす。
「昨日、ある生徒が保健室に来たんだけど、たぶん親から虐待されてる。‥その、性的な、」
「通報は?」
「まだ」
少しの沈黙のあと、湯気を立てるコーヒーを一口含み、一度落とされた目線がこちらを見上げる。
「基本的には児相か警察だけど、それをせずに俺に相談するってことはワケありって事?」
向かいのソファで組んでいた足を崩して前のめりになった祥吾が骨ばった指を組み、より真剣な眼差しで見つめてくる。
「俺も最初は児相に連絡をって思ったんだ。
けど本人に、鳴宮君って言うんだけど、誰にも言わないでくれって頼まれて。たぶん虐待をしてるのは父親で、妹を守るために自分が犠牲になってる。そしてそれを妹も母親も知らないみたいで、それを知られたく
ないって言うんだ。」
「…通報したら、絶対に連絡は行く」
「やっぱりそうだよね…
鳴宮君、俺に土下座してきたんだ、あんなにボロボロで、怪我のせいで熱も出してたのに、泣きながら妹を守りたいって。知られたくないって。」
あの光景を思い出すだけで胸が苦しくなる。
床に付いた白い手が震えていて、支え起こしたときの身体はあの歳にしては酷く軽く脆く感じた。
「その子が家族に知られたくない気持ちも分かるが、未成年なのもあるし、周りからは隠せても、身内に連絡が行くのは避けられないと思う。
その父親が逮捕されればなおさら隠すのは難しいだろうな。」
やっぱりそうか、と祥吾の言葉に肩を落とすも、本当に何か策はないかと考えあぐねていると
「雅、その子を救うためにはその手段しかない。隠す事を優先してその間に何かあったらどうする」
確かにそうだ。
鳴宮君は自分が我慢すればいいと言っていたが、その我慢がいつまで続くかは分からない。現に今日は体調を崩していたし、精神面も限界に感じた。見える限りの虐待の跡だけでも相当の数だったし、今後命にかかわる事だってあるのだ。
だけど…
「ひょっとして雅、自分とその子を重ねてるのか?」
図星をつかれて固まったまま動けない俺の前に、立ち上がった祥吾が向き合うように膝を付く。
「雅」
酷く血の気が引いていく手を、祥吾の大きな手が上から包みその熱を分けてくる。
分かっている。
鳴宮君は、自分とは違う。
分かっているのに、過去の自分を思い出すと苦しくて、覗き込んでくる
祥吾の目を見れないまま俯いてしまう。
ーーーーー
雅臣と祥吾は田舎町の出身で、小、中と校区は違ったが、
中学から同じ空手教室に通っていた。
その空手教室というのは雅臣の祖父が自宅敷地内の道場で開いている教室で、生粋のお爺ちゃん子だった雅臣は、小さい頃から強い子になれと祖父に言われて、小学生の頃から祖父の教室に通い始めた。
教室の生徒は15人ほどで、雅臣のような子供から、引退後のご老人まで年代も様々だ。
一方、祥吾は、父親が警察関係者なのもあり、護身、鍛錬も含め中学に上がってから近所のこの教室に通わされる事になった。
小柄な雅臣と違って祥吾は中1にしては背も高く、飲み込みも早く群を抜いて強くなっていった。
中学を卒業する頃には2人は教室一を競うようになったが、お互いがお互いを認めていた為、親友のような存在になっていた。
中学を卒業し、雅臣は地元の公立高校へ進学、
祥吾は隣町の進学校へ進学した。
お互い空手部に所属し、大会で会うことが2人の楽しみにもなっていた。
雅臣は1年の時は無敗。
大会では次々と成績を残し、上級生を差し置いて代表に選ばれることも少なくなかった。雅臣としては真面目に鍛錬を積み重ね、祖父の教室でも練習していた事もあり、それを特段ひけらかしているわけではなかったが、面白くないと思う者も居た。
事が起こったのは2年に上がってからだ。
祖父が死んだ。
雅臣にとってそれは初めての身近な人間の死だった。
ちょうどその時期、大きな大会の選抜メンバーに選ばれていたのに、直前で祖父の死を目の当たりにし、何もかもがどうでもよくなってしまった。
半ば自暴自棄のような形で選抜を自ら外れた。
それを知らない部員達は、メンバーに繰り上がった事で自分に情けをかけられたと思い逆上した。
祖父の葬儀を終え、気持ちも少し落ち着いた頃、ずっと置きっぱなしだった胴着を取りに道場へ向かった時、数人の部員に囲まれた。
鍛えているとはいっても、他の部員達と比べるとまだまだ小柄で細身だった為、さすがに腕が立つ雅臣でも数人相手に不意打ちで押さえつけられれば成す術がなかった。
抵抗もむなしく制服を脱がされ、裸の写真を撮られた。
笑い声や罵倒も聞こえる中、欲情しギラついた目をしてくるものも居て吐き気を覚えた。
幸いそこに別の部員が来た事で隙ができ、なんとか逃げた事でそれ以上乱暴はされる事は無かったが、次の日クラス中にその写真がばら撒かれた。
誰にも相談できないまま、
そのまま登校拒否になった。
小さい町だったため、写真はもちろん、男同士で絡んでいるような構図で撮られた写真もあったために雅臣がゲイだという噂も出回り、とうとう学校だけに留まらず、両親の耳に入ることになった。
母は嘆き悲しみ慰めようとしてくれたが、
祖父に似て、自分に男らしさを求めていた父は、雅臣に対してみっともないと罵り、軽蔑の眼差しを向けた。
弁明を試みたものの、周りに周った噂には尾ひれも付き、町でも名の知れた企業に勤めていた父の顔にも泥を塗ることになってしまった。
その事が原因で両親の喧嘩も多くなり、その後離婚。
祖父が大事にしていた空手教室も無くなったのをきっかけに、土地ごと売って、家族はバラバラに町を出ることとなった。
今は母とは連絡を取っているが、父とは音信普通のままだ。
その後事実を知った祥吾は、何度も雅臣に連絡を取ろうとしたが会うことは出来ず、気付いた時には雅臣の生まれ育った大きな屋敷は売家になっていた。
雅臣は母の実家から通える都内の高校に転校する事になり、それから2人が会うことはなかった。
自分のせいで、家族を壊してしまった。
そして月日が経ち、3年前。
ガラの悪い生徒が所謂反社と繋がりをもってしまい問題を起こした事で、当時教員の人手が足りずに借り出されて向かった警察署で、祥吾と再会した。
あの町に居た祥吾には、あの忌まわしい過去も知られていて、いたたまれなさから、また繋がりを持つことに少し抵抗があったし、ずっと連絡を拒否していた後ろめたさもあった。
しかし大好きな祖父との思い出の中には、ずっと祥吾が共に居たことも確かで、自分も懐かしさを感じ、少しずつまた会うようになった。
そして何度も一緒に時間を過ごす中で、
昔からずっと好きだったと、祥吾に告白された。
自分はあの1件以来、人を好きになることも、恋愛すらしていなかった
たが、ゲイというわけではない。
旧友からの告白に少し戸惑いはしたが、
真摯に気持ちを言葉にしてくれる祥吾の優しさに心を撃たれ、
よろしくお願いします、と返事をした。
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