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自分だけが見る彼の顔-6-D-

 洋佑が眼を開けた時には佑は既にベッドの中にはいなかった。  確かに昨日は一緒に寝たはず──と行動を思い返したところで、蘇るのは一連のあれこれ。確かに一緒にはいたが、思い出したいのはそっちじゃない、と一人で布団にくるまり枕に顔を埋めた。 「…………ん」  鼻を摺り寄せると佑の匂いがする。何度か深呼吸を繰り返すと、少し気持ちが落ち着いてきた気がする。もぞもぞと身じろぎながら姿勢を変え、身体を起こした。  と、ばさ、とベッドの上から何かが滑り落ちた音。ゆっくりと拾い上げると、コンビニの袋に入った新品の下着とTシャツ。  サイズ──は、脱いだのを見たら分かるか。  服のサイズを調べられたことは、何となく気恥しくはあるが、寝ている自分を起こさないように、との配慮だろう。それに素っ裸のまま人様の家を闊歩するほどの勇気もない。  有難く着用させてもらってから、ベッドルームを出る。念のため玄関を見ると、自分の靴は綺麗にそろえておいてあった。  改めて見ると、廊下も広い。さっきまでいたベッドルームだって、大きめのベッドを置いてまだ余裕があった。  いい場所に住んでるんだなぁ、と素直に感心しつつ廊下の先、人の気配のする扉を開く。  広告で見るようなソファセットとテレビ。広々とした部屋の中、ばさりと紙をめくる音がしてそちらへと顔を向けた。 「……おはよう。洋佑さん」  佑の声。ソファに座りこちらを見ている彼の手には新聞。紙の新聞なんて珍しい、と思いつつもなんとなく佑には似合う気がした。 「おはよう……有難うな、これ」  Tシャツを摘まんで見せた。どういたしまして、と新聞を畳みながら笑みを浮かべる。 「ちゃんとした服を買おうと思ったんだけど…コンビニだと、それくらいしかなくて」  近所のショッピングモールが開店するまでは我慢して欲しい。  申し訳なさそうに言われて、とんでもない、と手を振る。 「全然。俺、家だと普段パンイチだし。これで十分だ」 「でも、その恰好で外は歩けないでしょ」  確かに。まぁギリギリ捕まらないレベルかどうか────いや、そもそも。ズボン一枚、社会的な立場を天秤にかけるほどのものではない。 「……それじゃ店が開いたら……買ってきてもらっていいかな」 「もちろん。服を台無しにしたのは僕だから」  そういえばそうだった。  あの時の事を思い出して、妙な沈黙。二人で視線を合わせると、お互いが困ったような表情。そのままソファへと腰を下ろすと、改めて佑を見つめた。 「……えっと。その……今更、なんだけど」  佑の眉が僅かに上がる。  神妙な面持ちに深呼吸を繰り返してから、意を決して口を開く。 「…………俺と、付き合って欲しい」 「え?」  佑の声が上擦った。洋佑は、じっと佑を見つめたまま言葉を続ける。 「順番…というか、なんというか。色々ごちゃごちゃになっちゃったけど。……今更、というか、……」  言いながら視線が泳いでしまう。最後まで格好つけられないのは、自分の悪いところだ。 「洋佑さん」  佑の声にしどろもどろの言葉が止まる。改泣き出しそうな顔が見えた。 「…………僕、すぐ…無茶しちゃうし。昨日だって服、とかぐちゃぐちゃにしちゃったし……本当にいいの?」 「っていうか……佑がいい」  照れてしまって目を伏せた。 「……佑じゃなきゃ嫌だ」  声が小さくなる。ぐ、と手を握った後、改めて視線を合わせる。 「だから。……佑が嫌じゃなかったから──」 「嫌じゃない」  洋佑さんがいい。  握った拳の上から佑の手が重ねられた。びくりと肩を震わせて顔を上げると、佑がソファから降りて自分の前でしゃがんでいる。 「……洋佑さん」 「ん?」  ただ嬉しそうに笑うだけ。そのことが嬉しくて自分も笑みを浮かべる。 「いつ引っ越してくるの?」 「へ?」  突然の話題に間抜けた声を上げた。当の本人はきょとんとしている。 「?僕、おかしなこと言った?」 「……おかしいっていうか」  やっぱり距離の詰め方が極端だ。初めて出会った時から全然変わっていない。  そのことがおかしくて笑みを深める。 「……佑らしいな、って思っただけ」  当然、自分がここに引っ越す、ということになるだろう。この部屋の家賃、いくらなんだろう。自分の給料で払えるんだろうか。  そんな思案をしていると、佑がぎゅ、と指を握ってきた。 「ごめんね。僕、嬉しくて……つい」  照れ笑いのまま指先へと口づける。 「洋佑さんが引っ越したい、って思った時でいい」  これでいい?と問いかけられて頷いた。過ごす時間が増えれば、お互いの嫌なところも目にするだろう。それでやっぱり嫌だ、となる可能性を考えると、同棲するのはもう少し先の方がいい。  もっとも、自分は今までの佑を見ていて、嫌なところがあるとは思ってもいないのだが。むしろ、自分が幻滅される可能性の方が高い気がする。  約束、なんて嬉しそうに笑って手を離して立ち上がる。 「そろそろ店が開くから……洋佑さんの服買って来るね。戻ったら、一緒にご飯食べに行こう」 「……あ、もし嫌じゃなかったら。また卵焼き作って欲しい。醤油のやつ。あれ美味かった」 「なら家でご飯にしよう。卵焼き以外に食べたいもの、ある?」  置いてあったスマホを手にする佑を見ながら考えるが、何も思いつかない。じゃぁ適当に作るね、なんて言いながら佑は部屋を出て行った。  広い部屋に一人残され、洋佑はソファに凭れて天井を仰ぐ。待っている間に何かしようかと体を起こした。  が── 「……掃除機の場所と洗濯の仕方、聞いとけばよかった」  掃除──触れられたくないものがあるかもしれない。  洗濯──洗剤や柔軟剤に拘りがあるかもしれない。  ベッドのシーツを交換──替えのシーツの場所が分からない。  その他にも考えてみたものの、勝手に家の中を触られるのは嫌だろう──と思うと、結局先程自分が着替えた服の包装をゴミ箱に捨てるにとどまった。  佑が戻ったら。食事の準備の手伝いをしつつ、色々と話をしよう。  考えてみれば、外で会う以外の事をお互いに何も知らない。佑は稲荷寿司の中の五目御飯が苦手だと言っていたけれど、他にも苦手なものがあるのだろうか。  そういった小さな事でいい。もっとよく知りたいし、自分の事も知って欲しい。  話したいことはたくさんあるが、まずは──── 「おかえり」  佑を出迎えることから始めよう。

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