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29 これからは冬磨の家で

『天音、いまどこ?』    大好きな冬磨の声がスマホ越しに聞こえてくる。冬磨が電話をかけてきたのは初めてだった。ただの電話なのに、緊張してドキドキして手が震える。 「もうすぐ着くけど」  待ち合わせのバーに向かっている途中だった。  どうしても残業を逃れられなくて、少し遅くなると冬磨には連絡を入れていた。  今日も金曜日。また週の初めに連絡がきて金曜日に誘われた。今回は泊まりって文面はない。泊まりなのか違うのか分からなかった。  それでも金曜日だ。ほかのセフレより俺を選んでくれた。それだけで夢のようで、一週間毎日気分がふわふわしてドキドキして、その結果が今日の残業に繋がった。本当に情けない。  電話の向こうから聞こえる喧騒が、冬磨がいまバーにいることを教えてくれる。 『悪いけど、待ち合わせ場所変更で。どっか待てそうなとこ近くにある?』 「え、変更? もう、すぐそこだけど」 『ああ、ならいったん駅戻って。駅前にコーヒーショップあるだろ? そこで待ってて』 「なに、どうしたの、なんかあった?」 『とりあえずバーは危ないからお前絶対来んなよ? いい子で待ってて』 「い、いい子って……危ないって――――」  危ないってなに? と続けようとしたら電話が切れた。  バーが危ないってなに?  なんか事故とか……火事? 強盗?  いやまさか。そんな物騒な話じゃないよね……。ないよね?  冬磨大丈夫だよね?  コーヒーを飲んでいても落ち着かない。  やっぱり見に行こうかな……。  でも絶対来るなって言われたしな。ああどうしよう。冬磨が心配……っ。  やっぱり行こう。  そう思って立ち上がったとき、窓の外に冬磨の姿が見えた。  冬磨も俺に気づいて片手を上げ、早足で店内に入ってきた。  よかったっ。無事だったっ。 「ごめん天音。結構待たせたよな?」 「待たせたのは俺のほうだろ。何があったの?」 「うん、まぁ。ちょっと揉めてな」 「揉めた?」 「お前、もうあの店出禁だから。絶対行くなよ」 「……は?」  突然出禁と言われても意味がわからない。 「なんで俺が出禁なんだよ。俺関係ねぇだろ」 「ちょっと面倒なことになってさ。あー……俺の相手みんな危険な目に合うかもだから、みんな出禁になった。だから天音も出禁」  冬磨の相手はみんな危険な目に合うかも……? 「もしかして……俺が遅くなったから変な奴に絡まれた?」  俺がそう聞くと、冬磨は目を瞬いてからふっと優しげに微笑んで、俺の頭をくしゃっと撫でた。  「お前はなんも関係ねぇよ。っつか、ごめんな。せっかくマスターに懐いてたのにな」  あ、そっか……。出禁ってことはもうマスターに会えないんだ。もっとたくさんお礼がしたかったのに。   「寂しいよな」 「……別に。ただちょっと店が気に入ってるだけだって言ったろ」 「ほんと素直じゃねぇな」  冬磨がずっと頭を撫で続けてくれていて、本当はこのままでいたかったけれど、ビッチ天音なら絶対嫌がるはずだと気がついて俺は慌てて手で払いのけた。 「いつまでやってんだよ」 「んー? 天音がやってほしいだけずっとかな?」 「……はぁ?」  なにそれどういう意味?  そんなの……ずっとずーっとやっててほしいよ。 「行こっか」 「……うん」  コーヒーショップを出て、冬磨は駅の中に入って行く。 「え、おい、どこ行くんだよ」 「俺ん家」 「…………え?」  いま冬磨なんて言ったの……?  俺ん家って聞こえたんだけど……。 「もう今度からバーで待ち合わせできねぇし、天音の会社なら俺ん家に近いしな。地下鉄で一本だ」  冬磨はいったい、なんの説明をしてるの……。 「だから、今度からはまっすぐ俺ん家来いよ」  まさか冬磨、本気で言ってる……?  これからはホテルじゃなくて冬磨の家……?  想像したら手が震えてきた。俺が冬磨の家に上がっていいの? 本当に?  すごくすごく嬉しくて信じられなくて、顔に全部出そうになって唇を噛みしめる。でも、すぐに気分がしぼんだ。  これって、俺だけの話じゃないよね……。他のセフレも……だよね。 「天音、どうした? なんか元気ねぇな?」  電車にゆられながら、隣でつり革を握る冬磨が俺を覗き込む。 「別に……」 「体調悪いのか?」 「違うよ」 「そう?」  勝手に喜んで勝手に落ち込んで冬磨に心配させて……申し訳なさすぎる。  ごめんね、冬磨。俺、わがままになっちゃった。俺だけ特別じゃないと、もう満足できなくなってる。俺はただのセフレなのに。わがまますぎる……。  冬磨が降りた駅は敦司の最寄り駅と同じで、本当に俺の会社から近かった。  冬磨について歩きながら、どんどん敦司の家に近づいていく。 「ここの五階が俺ん家」 「え……ここ?」  どう見ても独り身のサラリーマンが住むマンションじゃなかった。 「もともと家族で住んでたんだ」 「今は?」 「今は俺だけ」 「あ……転勤とか……?」 「いや。事故でね。俺だけ残っちゃった」  へっちゃらな顔をして冬磨はそんなことを言う。 「と……冬磨……」  思わず冬磨の手を取った。ぎゅっと握ってから、俺なにしてんのっ?! と脳内がパニックになる。  でも、そんな俺に冬磨がふわっと笑いかけた。 「なに? 慰めてくれてんの? サンキュ、天音」  冬磨は俺の手を振りほどくことなく、そのままマンションの入り口に向かって歩いて行く。  よかった……勝手に手を繋いでも怒られなかった。まさか繋いだままでいてくれるなんて……嘘みたい。冬磨の手……あったかい。好きな人と手を繋ぐ夢……かなっちゃった。  冬磨と手を繋いで並んで歩きながら、俺はチラッと後ろを振り返る。  そこには、敦司の住んでるアパートがあった。  敦司と冬磨の家が向かい合わせってすごい偶然。こんなことあるんだ。  敦司にセフレの振りでもしてもらおうかな。  何度も敦司の家に出入りしていれば、そのうちきっと冬磨に見られる日が来る。  本当にセフレがいるって、もっと確かな証拠になる。  俺はどんどん冬磨への気持ちがふくらんでわがままになってしまって、自分でもどうしたらいいのかわからない。  いつかバレて終わっちゃうかもと想像すると会うたびに恐ろしい。  だからもっとセフレの影を強くしなきゃ。こんな偶然、利用するしかないよね。  

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