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はくり、と空気を漏らした声を出した後、緊張している自分を抑えつつ、口にしようとしたが、「すまない」と謝られた。 「こんなことお前に言っても仕方ないな。忘れてくれ」 「言うだけならいいじゃないですか」 そんなことを言われるとは思わなかったと、小さく口を開ける御月堂に微笑する。 「私はそのような立場の人間ではありませんので、些細な苦悩でさえも分かっておりませんから、同情も励ましもおこがましいと思ってます。それでも、話を聞くだけならばこのような者でも出来ると思います。⋯⋯仕事だと思ってくだされば」 言いたいことが言えて良かったと、緊張から解放された。 御月堂はというと、眉を潜め、難しそうな顔をして、押し黙っていた。 納得いかなかったのだろうか、やはり立場をわきまえるべきだったか。 何も言わなければ良かったと、一人後悔していると、俄に言葉を発した。 「そうだな。仕事だと思えば、言いやすいかもしれない」 淡白な言い方であったが、肩の荷が下りたような、微笑んだような表情をした気がして、目を細めた。 仕事としてであれば、ほんの少しでも役に立てればいい。 「⋯⋯お前とは、仕事として言えるが、妻とはどういったきっかけで話したらいいんだろうな」 再び、あの悪夢に引き戻されたような感覚に、身を震わす。 「⋯⋯奥様とは普段、どのような会話をしますか」 「会話は⋯⋯したことがないな」 婚姻をして、一つ屋根の下に住み始めたが、共に食事をしても、共に同じ場所で寝ても、その中には他愛のない話をしたことがなく、交わすのは挨拶程度だという。 「妻も妻で、仕事が忙しいようだ。あちらも早くに出て、夜も遅くに帰ってくる。話す機会がない」 御月堂がそういうのであれば、こないだのはやはり、勝手に来たというのか。 安野が事前に来客を伝えてくれるはずだし、いくら御月堂の奥さんとはいえ、不躾極まりない。 本当は、二度と会いたくはないのだが⋯⋯。

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