64 / 106

64.

私にここまでのことをして頂かなくても、と言葉が出そうになったが、代わりに。 「ありがとうございます」 「いいえ」 にっこりと微笑むと、扉が閉じられた。 瞬間、小口は持っていた携帯端末のライトを付けると、「ここにいましょう」と奥の角を案内した。 「服に紛れていれば、すぐに見つかることはないでしょう」 「はい」 体操座りでいたいところだが、今の体では出来るわけがなく、正座を崩した体勢で小口と共に身を潜めた。 途端、部屋の外から、何を話しているかは分からないが、安野らしい声と奥さんの雅らしい声が飛び交っているのが聞こえ、顔を青ざめた。 自分のことを捜している。自分にそこまで何の用があるというのか。 声を聞いただけで、あの時浴びせられた言葉を思い出してしまい、吐きそうになった。 耐えなくては。ここで自分が耐えないと、安野達の努力と、そして、お腹の子が脅かされかねない。 自分に言い聞かせるように、耐えろと心の中で念じていると、手にそっと手が乗せられた。 その時になって、自身の手が震えていたことを自覚させられる。 「大丈夫。姫宮さまはひとりじゃない」 いつになく真剣に言う小口に目を見張っていたが、やがて小さく礼を言った。 自分よりも小さな手を包み込み、ひとりではない存在を感じていると、外の雑音が少しも気にならないような気がした。 「⋯⋯姫宮さまはどうして、代理出産をしようと思ったのです?」 繋がっている手を見つめていた時、不意に何ともないように訊かれ、顔を上げた。 「⋯⋯いきなり、どうしたのです」 「気晴らしに訊いてみただけです。言いたくないのでしたら、聞かなかったことにしてください」 「⋯⋯」 代理出産をしている理由。 金銭面というのもあるが、一番は守りたかったものを守れなかったあの頃の幸せを、他人を通じて感じていたかったから。 始めた当初はそうだったが、今はその僅かな希望でさえも消えようとしていた。

ともだちにシェアしよう!