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小野河俊我(おのがわしゅんが)と名乗ったその男は、それからというもの、度々来店してきた。 店の仕様として、受付で相手を指名するものなのだが、毎回姫宮を、いや、姫宮だけを指名しているそうで、店側としても姫宮としても売り上げに繋がるから良いものの、その意図が分からなかった。 それは、姫宮を抱いたことがなかったからだ。 時間が来るまで、ぽつぽつと話をするのみ。 しかも、受付で前払いをしているはずなのに、『くれてやる』と言って、時間以上の金銭を渡される。 『あの、受付でお金は頂いているので、申し訳ありませんが受け取れません』 『お前の好きなように使ってくれ』 『ですが⋯⋯』 『お前と話すのが楽しかったからではダメか?』 首を傾げて、そう言ってくる。 楽しかったと言えるのだろうか。本当に大したことを話していない。 今日の天気はどうだったとか、仕事が大変だったとか、そんな他愛のない話。 それが何が楽しかったと言うのか、最初のうち理解が出来なかったが、体ではなく、対話することで満足してもらえたのならと段々思うようになり、いつしか、会うのが楽しみになっていた。 『来たぞ』 『俊我さん!』 扉が開かれ、訪れた来客に姫宮は嬉しさを飛びつくことによって表現した。 姫宮が背中に手を回すと、同じようにしてくれて、さらに嬉しくなる。 『そんなにも会いたかったのか?』 『はい! 俊我さんに会えるのをとても楽しみにしていたんです!』 『そうか。そう言われると俺も来た甲斐があった』 目を細めて笑う俊我に、姫宮は目を奪われた。 最初は緊張していて、強ばっていたのかと思っていたが、彼は元々表情が乏しいらしく、姫宮が笑いかけても言葉でこそ表しているようだったが、顔には出なかった。 アンバランスだと思っていた姫宮だが、次第に彼の笑った顔が見たくて、大袈裟に表情を見せた努力が実ったのか、こうして見せてくれるようになってくれたのだ。 嬉しい。とても嬉しい。

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