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第12話
「ひどい…」
部屋に入るやいなやグリフはそう言った
目線の先はネルガルの元で浅い呼吸を繰り返し、目を虚ろに漂わせる天使
その周りには痛々しく天使の羽が散らばっていた
「ああ、やっと来たか。こっちに来い、天使がおかしくなったんだ」
「…はっ、かひゅっ……っ」
「…!すぐに応急処置を!」
天使の様子を見た瞬間、医者の眼になったグリフは慌ただしくカバンを漁る
その様子をただ眺めているだけのネルガルにグリフは指示を出し始めた
「換気をして下さい。窓を開けて」
「ああ…」
「天使の体を押さえつけて、暴れないように」
「………」
ネルガルはグリフの言われた通りに行動した
いつもなら、生意気だ、と言いながら怒るのだろうが今回ばかりは、グリフの発するただならぬ雰囲気に従うしかなかった
グリフはヒュッヒュッと、過呼吸を起こしている天使の首根を掴むと、もう片方の手に持っていた注射器を思い切り天使の首に刺した
「ぅあ"あ"あ"っ」
「…っと」
「しっかり押さえてて下さい!」
「わかってる」
プスッと音がしそうなくらい一気に天使の首に埋まっていく注射器に反応し、天使はほぼ撹乱状態になり暴れ回る
それをネルガルとグリフの2人で押さえつけるが、細い天使の腕や足が、折れないように加減するのに苦労した
しばらくすると天使は眠るように気絶し、呼吸も通常に戻ったとこでグリフが問いただすように口を開いた
「…媚薬を使ったのですね?」
「ああ、だが少し強すぎた。途中までは楽しかったが、急に意識を飛ばしてこのザマだ」
やれやれ、と言った感じで手を仰ぐネルガルにグリフは噛み付くように言った
「いくらなんでもやり過ぎです。あの媚薬は悪魔でさえもそうそう耐えられるものではありません」
「わかってる。次はもう少し弱めのものを取り寄せよう」
まるでなんでもない、というようなネルガルに対してグリフの怒気は増していく一方だった
「本気で言っているのですか?」
「…何故そんなに怒っている?たかが天使だろう。俺たちは悪魔なのを忘れたのか?」
「私は、ただ…」
そう言ってグリフは気まずそうに口ごもる
少し視線を漂わせて、今は眠っている天使を見つめながら言った
「…ただ、この子に死んでほしくないのです。確かに私は情が沸いてしまったようですね」
グリフがさらりと天使の髪を掬って撫でる
まだ熱い天使の体は、グリフの冷たい指先が気持ちよかったのか頬をすり寄せるように身じろいだ
「………確かにな」
「ネルガル様?」
ネルガルはグリフの「死なせたくない」と言う言葉に、ネルガル自身もその通りだと素直に思った
天使なんて戦争に行けばいくらでもいるし、また捕まえればいいと軽く考えていた
だが、きっと他の天使を前にしてもネルガルは興味を示さないだろう
この天使だけが、ネルガルを惹かせる何かがあったのだ
それならば、今殺してはもったいないとネルガルは考えた
いきなり1人納得したように頷くネルガルをグリフは不思議そうに見上げた
「確かに、こいつに死なれては困る。俺も思ったよりこの天使が気に入ったようだ。直せるな?グリフ」
「…!ええ、ええ必ず治して見せます」
ぱっとグリフの顔が明るくなる
「死んだらただじゃおかないからな」
「もちろんです。…ですが、薬は没収させていただきます。すべて出してください」
「はあ、苦労して取り寄せたというのに…」
グリフはネルガルの懐から部屋の隅々まで探して媚薬のストックをすべて回収したあと、疲れた様子でふらふらと部屋から出て行く
「それにしても生意気な奴だな。お前じゃなきゃ無礼で殺していたぞ」
「勘弁して下さい…私だってネルガル様じゃなきゃできませんよ…そうだ、お風呂に入れてあげてはどうです?1週間タオルで拭くだけでは足りないでしょうし」
「ああ、そうする」
そう言って本当に疲れたようにグリフが出て行ったことを確認すると、ネルガルは天使の横に寝そべる
天使の熱はだいぶ下がり、呼吸も安定してきていた
もう少ししたら、風呂に入れてやろう
ネルガルはそっと天使の髪を掬うように撫でる
今は瞑って見えない薄茶色の瞳が、また覗くようになるのを、ネルガルは待ち遠しく思った
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「リュミエル」
「………?」
「お前の名だ。ずっと天使呼びでは、可哀想だとグリフに言われてな」
ベッドの上で天使はパチクリと瞬きをした
驚きのあまりピタリと止まる天使を見て、ネルガルは首を傾げた
「…気に入らないか?我ながらお前にピッタリだと思うが」
そう言われて天使はハッとして、首をブンブンと横に振った
まさか、悪魔が天使に名前をつける日が来ようとは、天使も思ってもいなかった
あの日、媚薬を盛られたあの日からネルガルの様子が明らかにおかしくなった
妙に優しいというか、なんとも言えない態度を取るようになったのだ
さらにいきなり名を与えるなど、気でも狂ったのかと天使は疑った
「嫌ではないのだな?では、これからお前はリュミエルだ。わかったな?」
こくりと天使は小さく頷いた
この日からネルガルは天使をリュミエルと呼ぶようになった
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