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第27話
悲劇が起きたのはそれから数日経ってのことだった
いつものように子供達に会いに行き、話をしていると、少し遠くで人だかりができていた
だがルイティスは楽しそうに笑う子供達に囲われていてその人だかりに気が付かなかった
ルイティスがその存在に気がつけたのは、その人だかりの原因に声をかけられてからだった
「何しているんだい?ルイティス」
「!?み、ミカエル様、どうしてここに…」
「あーっ!ミカエル様!ミカエル様だ!」
子供達はその声に一斉に振り向き、ミカエルと気づいた瞬間、興奮気味に立ち上がり、ミカエルに向かって走って行った
それまで自分を紛れ込ませていた子供達の壁が消えて、ルイティスの姿がミカエルの目前にあらわになる
地面に膝をつき、服を汚しポカンとミカエルを見上げるルイティスは従者としてあるまじき姿だった
「ミカエル様!俺、早くミカエル様のお役に立てるよう頑張ります」
「私も、たくさん訓練します」
「ありがとう。頼りにしているよ」
「「はい!」」
ミカエルは嬉しそうに話す子供達の頭を順に撫でていき、それが終わるとルイティスに近づき手を差し伸べる
「では、行こうか」
「あっ…も、申し訳ございません」
唖然としてその様子を見ていたせいで未だ地面に座ったままだったルイティスは、ミカエルから差し出された手をおずおずと握ると、引き上げるように立たされた
その姿を全集は、お優しい、と惚れ惚れして見ていたが、行こう、と引かれる手は強く握られ、ルイティスの肉に食い込み、痛みに顔を歪めた
だがここでそれを指摘してしまえば不敬にあたる
ミカエルはそれをわかっているのだ
怒っている、と瞬時に理解できた
今までバレていなかったのになぜ彼はあそこに来たのだろうか
ミカエルは子供嫌いとまでは行かないが、進んで子守をするタイプではないため、目的もなくあそこに訪れるわけがない
やはり最初からルイティスがあそこにいることを知っていたのだ
一体どうして、など今はどうでもいい
ルイティスはこれから自分の身に起こり得ることを想像して冷や汗をかいた
神殿につくとミカエルは通りすがりの従者に業火の剣を持ってくるよう言った
業火の剣は、ミカエルが使う武器の一つで、剣全体に炎を帯びており、悪魔が触れると苦しみ悶えながら死んでいくといった恐ろしいものだ
それをなぜ今必要とするのか
嫌な考えが頭を過った
ルイティスはミカエルの寝室に連れられ、ベッドに座らせられる
そして尋問の如く、ルイティスに問い始めた
「ルイ、あそこで何をしていたんだい?」
「こ、子供達に、絵本を…」
「ふふっ。絵本で戦場での生き残り方を教えていたの?」
「なぜ、それを、」
ミカエルは優しく微笑み、ルイティスの顔や耳を撫でる
手つきや声音は優しいものなのに、ルイティスの体の震えは増すばかりだった
時折ミカエルの長い指がルイティスの首を掠めると、自分でも驚くほどにビクついた
「マルコフが教えてくれたよ。あの子はすごくお喋りだからね」
「マルコフ…」
マルコフはあの子供達の1人だ
確かにあの子はお喋りが大好きで、その声がミカエルの耳に入ってしまったのだろう
「嘘をついたんだね?ルイ」
「も、申し訳ございません!ミカエル様、お赦しを、」
「躾が必要だと、君も思うだろう?」
そう言うとタイミングよく従者が業火の剣を待って部屋に入ってくる
ミカエルは剣を受け取り従者を追い出すと、その剣先をルイティスに向けてきた
「無断で神殿を出た罪。私に嘘をついた罪」
「ミカエル様、何を…」
「子供達と楽しそうに話していたね。私とはあんな風に話してくれないのに」
ミカエルはそういうと悲しそうに笑った
それが本音か否かはわからないが、ルイティスの脳が仕切りに警告を出す
逃げなければならないのに、恐怖で身が固まり動かせない
その間にもミカエルは剣先をルイティスに向けたままだった
「焼いてしまおうか。これからは私としか喋れないよう、おまじないをかけてあげよう」
その言葉にルイティスは震え上がる
「お願いします…どうか、おやめください…」
「ああ、ルイティス。仕方がないのだ」
そう言ってミカエルはゆっくりと近づいてくる
「仕方がない、お前が私に逆らうからいけないのだ」
「そんなつもりではなかったんです!どうかおやめください…」
ルイティスは震えた声で懇願した
目からは涙が溢れて止まらない
どんどん迫ってくるミカエルから逃げるように後ずさるが、ミカエルに腕を掴まれ逃げることはできなかった
「いや、やめてっ、ミカエル様っ!」
「ああ、可愛いルイティス。これからは私しか見れないようにしてやろう」
ミカエルは美しい顔で微笑む
その手には真っ赤に染まった光の矢
ルイティスは恐怖で震えた
ミカエルは暴れるルイティスの顎を上に向けると、無理に口を開かせ、そこに剣先を近づけていく
怖い
いやだ、いやだ!
やめて!
「っあ"あ"あ"あ————っっ」
ルイティスの思いも虚しく、業火の剣はルイティスの口内へと入り込み、鋭い剣先は喉まで届く
剣から発せられる激しい炎が、喉を、口を焼いていく
すぐに声帯が壊れたのか、叫び声も出なくなったが、それでもルイティスは痛みに悶えて叫び続けた
ひどく長く感じたその行為は、ルイティスの気が飛ぶ一歩手前でミカエルが剣を抜いたことで終わった
抜かれた瞬間、息を吸うため空気を入れるが、喉の痛みのせいで上手くできない
「ゲホッ、ガッ、…ゴプッ」
何度か咳をすると、喉が耐え切れず、口内から大量の真っ赤な血が吐き出され、ルイティスは死を覚悟した
意識が朦朧としていると、ミカエルがルイティスの額に手を当てる
すると眩い光がルイティスを包み込み、瞬間、喉の痛みなど嘘のようになくなった
ミカエルは神聖な力で、ある程度の怪我を直すことができる
ミカエルの慈悲で赦してくれたのだと、そう思いミカエルを見上げると、ミカエルは再び剣先をルイティスに向けていてゾッとした
「さあ、もう一度」
「っ!?いや"っだ、あ"あ———」
その残酷な行為はミカエルが満足するまで続き、全てが終わる頃にはルイティスの精神はボロボロだった
ミカエルは満足すると、血溜まりで倒れるルイティスを置いて部屋を出て行った
脅威の存在がいなくなり、体力を消耗し切ったルイティスは、気を失うように眠りに落ちた
しばらくして、ドアが開く音がしてルイティスは飛び起きる
ミカエルが帰ってきたのだと体をこわばらせ警戒したが、そこに立っていたのは意外な人物だった
(…レイア?)
声を出そうとして、むせるルイティスを見て、レイアは顔を歪めた
彼はゆっくりルイティスに近づくとまるで母親が子を叱るように言った
「だから言ったろ、これだけじゃ済まないって」
レイアは濡れたタオルでルイティスの体をゆっくり拭き始めた
どうしてここにいるとか、何をしてるとか、ルイティスに考えるほどの力はなく、その行為をただぼうっと眺めていた
「ミカエル様はこのままお前をここに監禁するつもりらしい」
レイアは終点の合わないルイティスの目を見上げる
その時ルイティスは彼と初めて目を合わせたことに気がついた
レイアはこの茶色の瞳を嫌っているはずだ
だからレイアとは目を合わせず、隠すように俯いて話していた
そのせいで、互いの瞳を見たのは初めてだった
レイアの碧眼はまるで青空のように広く、どこか他の天使とは違った雰囲気を持っていた
「このまま生きるより、今ここで死んだ方が、お前もきっと楽だろ」
そう言って懐から取り出した鋭いナイフを、ルイティスの心臓辺りに当てがった
ルイティスはもうじき来る苦しみからの解放を、じっと待った
「…なあ、お前は、どうしたいんだ?」
その言葉を聞いて、ルイティスはナイフからレイアに視線を移す
まだ少年の面影が残る彼の顔は今まで何度も見てきたはずなのに、今は全く別人に思える
彼の美しい碧眼には大粒の涙が溜まり、その一滴がルイティスの頬に落ちてきた
それを合図にルイティスの中で何かが目覚めた
それは幼い頃から感じていた、誰にも理解されない恐怖の形
血が怖い、痛いのが怖い
僕は、
僕は
「じにだぐな"い"っ」
その言葉を聞いた途端、レイアはルイティスを抱きかかえ部屋から飛び出した
周りからは
「罪人が逃げたぞ!!」
と怒号が飛び交うが、レイアは怯むことなく空を飛び逃げ続けた
この狭い天界に2人の味方などいない
逃げ道のないこの場所で、それでも尚ルイティスを離さないよう力強く抱きしめた
向かうは天界の端、天の岬と呼ばれる魔界と繋がる大穴だ
2人が岬に辿り着く一歩手前で、行く手をミカエルの軍によって立ち塞がれる
奥にはミカエルが業火の剣を待って待ち構えていた
「その子は罪人だ。私に渡しなさい。レイア」
「違う、こいつは罪人なんかじゃない」
天使達はレイアの行動にあり得ないと言ったように息を飲んだ
ここではミカエルがルールだ
そんな彼に反発することは、それはもう死を表すも同然だ
(レイア、やめて!)
これ以上はレイアが危ない
今ならまだ赦してもらえるはず
そう思いレイアに止めるよう言いたいが、その声は届くことない
不安気に見上げるルイティスにレイアはニカッと笑って見せた
彼が笑うところを初めてみたルイティスは、呆然とその笑顔を見つめた
レイアはルイティスを抱き直すと、一気に空を切り大穴へと飛び出した
もちろん軍はそれを阻止しようとするが、レイアは上手くそれを交わしていく
あと少し、と言うところでレイアの後ろから業火の剣が向かってくるのが見えた
(危ない!)
ルイティスが指を刺すと、レイアは振り向き剣を認識したが、その時にはもうかわせる距離ではなかった
瞬時にレイアは空に向かってルイティスを放り投げる
おかげで剣はルイティスに届くことはなかったが、代わりにレイアの腹を突き破った
まるで世界がスローモーションになったように、ルイティスの目の前にははっきりと、その光景が焼きついた
腹から吹き出す炎など気にすることなく、レイアは落ちゆくルイティスを見やって、また先ほどのように笑ってみせた
「生きろ!!ルイティス!」
彼の言葉は強く、ルイティスの心臓に響き渡る
レイアの方に懸命に手を伸ばすが、そのてはもう届くことはなかった
ルイティスの視界は暗闇に包まれた
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