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第33話
隣に気配がして目を開けると、そこにはベルとアスモデウスが雑談をしていた
「ここに花を飾りたいんだ」
「いいわね!華やかになって楽しそう」
ベルとアスモデウスは天井を指差し、2人で見上げていた
花を天井から吊るすのか?
花は地面に生えるものであって天井には咲かない
あまり想像できないその形を、ベルとアスモデウスはうんうんと頷き合っていた
「…ん…」
「あら、リュミちゃん起きたわ」
「おはよう、お寝坊さん。今日は庭園に行くよ」
ベルとアスモデウスはリュミエルが起きたことに気づくと、早速準備を始めた
顔を洗われ、食事を取らされ、服を着せられた
服はネルガルの時に来ていたようなものでなく、ただの白い布が工夫されて作られたようなゆったりとしたデザインで、どこか天界の服装と似ていた
「やっぱり似合うね」
「でもちょっと、黒いから…勿体無いわぁ」
ベルは満足気だが、アスモデウスはチラリとリュミエルの背を見る
白い羽の反対には黒い翼が生えている
その姿はもう、天使でも悪魔でも、どちらでもない
「ちょっとアリス」
「ご、ごめんなさい、そういう意味じゃないのよ…」
リュミエルの顔が暗くなったのを見て、ベルがアスモデウスに相打つと、アスモデウスもシュンとしてしまう
彼女は素直なのだが、思ったことを全て口に出してしまう傾向があるのだろう
リュミエルは暗い気持ちをこれ以上悟られたくなくて、深呼吸をして気持ちを切り替えた
「気が進まないだろうけど、頑張りましょうね」
リュミエルはロスに抱えられ、馬に跨る2人と一緒に城を出た
外から見た城は中で感じたよりもずっと小さく禍々しいが、2人は何か魔法のようなものでもかけていたのだろうか
それにしても随分とゆったりしている
ネルガルと出かける時は空を飛んで移動していたため、外にいる間は一瞬だった
だが2人は翼を持っていないためか、飛ぶことはせず、馬の蹄でパカっパカっと軽快な音を立てながら進んでいく
移動中はずっと2人はおしゃべりしていて、たまにリュミエルに話しかける
帰ってこない返事を気にすることもなく、また楽しそうに話し出す2人を見て、とても仲がいいんだな、と純粋に思った
僕とネルガルも、あの人達のようであればいいのに
ふと、リュミエルの体がズキリと痛む
例の黒い翼の持ち主が、またどこかで傷ついているのだろうかと思ったが、痛みはリュミエルの胸からだった
2人は暗い気持ちのリュミエルには気づかず、お喋りを楽しんでいた
だが、リュミエルを抱えるロスだけは、それに気づいてくれたのだ
「辛い…?」
「………」
ロスは耳をペショ、と垂らして悲しそうに聞いてきた
巨体が情けない顔していることがなんだかおかしくて、リュミエルはフッと微笑んでから、ふるふると顔を横に振った
いつの間にか心の痛みは消えていた
未だ悲しげに見つめてくるロスの頭を撫でてやると、彼は嬉しそうに尻尾を振った
ロスは四六時中リュミエルの面倒を見てくれた
ベルやアスモデウスともよく一緒にいるが、特に一緒にいたのはロスだった
ロスはリュミエルが少しでも不調になるとすぐに気づいてベルやアスモデウスに知らせてくれた
人型になると無愛想だが、犬型の時の健気な様子を見てきたリュミエルは、最近はすっかり彼に絆されている
「ずいぶん仲良くなって、羨ましいわ」
「僕らにもあれくらい気を許してくれるといいんだけど」
リュミエルたちを見て2人が何か言っていたが、リュミエルは聞こえないフリをした
悪魔は怖い、まだ自ら触れに行くことはできない
ならなぜロスなら大丈夫なのか
以前、アスモデウスからこんな話をされた
「ロスはねぇ、私が創ったのよ」
アスモデウスは性欲の悪魔でありながらも、彼女は生き物を創造するのが好きだと語った
いろんな生き物同士を掛け合わせて創るキメラの形は様々で、最初に見た魚も、馴染みになったアルパカも、床を飛び回るうさぎも、全てアスモデウスが創り出したものだ
その力は神にも匹敵する
リュミエルの背にあるはずのない黒い翼も、アスモデウスがなんらかの力でくっつけたのだと言っていた
「それでね、悪魔と動物を掛け合わせたらどうなるか、気になったの。私どうしても我慢できなくて創ったのがロスよ。悪魔が悪魔以外と交わることはルシファーによって禁じられていたけど…あの時は死ぬかと思ったわ」
「寸でで僕が止めたけど」
2人は笑い合っていたけど、高度な内容すぎてリュミエルは呆けるしかなかった
とにかくこの話から、ロスは悪魔ではなく、悪魔が混じった別の何か。全く違う種族なのだ
だからかリュミエルはロスに対して気を許せる
悪魔ではない彼の存在が、今のリュミエルにとってどれほど貴重か
2人もそれをわかっていてリュミエルの傍にロスを置いたのだろう
「さあ、ついたよ」
「…っ!」
ベルが指差す先には、そこにはルシファーの城があった
ある筈だった
確かに記憶の中では立派に尖った屋根が何本も立っていたはずのそれは、見る影もなくなりボロボロと崩れた壁の残骸が周りに散らばっていた
もはや城とは言えない、ただの岩の塊だ
「…まぁ、そう言う反応になるわよね」
「そろそろ話してあげようか」
瓦礫が多くなり馬が進めないほど道が険しくなると2人は馬から降りた
2人が降りると何か言うまでもなく馬は2匹で仲良く元の道を戻って行った
ベルとアスモデウスも自分の足で歩き出す
パキ、ガシャンと音を立てて進みながら、ベルが語り始めた
「今、魔界は二つの大きな派閥が衝突している。新たな民の僕らルシファー派閥と、古き民、サタン派閥だ」
サタン
その名は天界でも有名だ
悪しき魔物、火龍の力を持った悪魔は、その魔力を持って全てを焼き払う
ルシファーに次いで強い、憤怒を司る悪魔だ
「赤髪の悪魔に見覚えがあるでしょう?リュミエル」
ベルは不意にリュミエルに向き直る
リュミエルはその言葉に背筋が凍るような寒気を感じた
赤い髪の悪魔。確かに知っている
ネルガルがリュミエルに疑いをかけるきっかけになった人物だ
リュミエルはあいつに城から拉致され、それを脱走と勘違いしたネルガルに羽を引きちぎられた
話を聞いてくれず、一方的に傷つけたネルガルも憎いが、一番の元凶は赤髪の悪魔だ
まるで虫ケラを見るようなあの瞳と圧倒的強者の態度
思い出すだけで体が震えた
「君が連れ去られたのだと知ったネルガルは、サタンに戦争をふっかけた。サタン側には3人の大罪がついている。強欲、嫉妬、暴食の悪魔。それに比べてルシファー側にはネルガルしかいない。僕とアリスは戦時は参加しないから。それにサタンには何千の軍がついてる。勝ち目なんてないよね」
ベルは淡々と言葉を紡ぐ
いつもは騒がしいアスモデウスも、どこか暗い顔で俯いている
リュミエルもただ聞いているしかできない
「最初はうまく張り合ってたみたい。ルシファーの軍がネルガルをサポートしていたけど、今やもう全てが無駄に等しい」
歩いていれば庭園に着いた
そこはもう、あの時のような場所ではなかった
あの生い茂る草花も、光を反射する美しいドームもなくなり、そこにはただ光が降り注いでいた
だがたった一本だけ、その場に残った植物があった
リュミエルが何度も口にした、甘い果肉を実らせていたりんごの木だった
「………」
リュミエルはロスの腕から降りる
光の中心に聳え立つりんごの木は、この劣悪な環境下で葉は枯れ枝も折れ見るも無惨な姿なのに、それでも倒れずまだそこにいた
リュミエルは木に近づくとそっと触れた
限界だったのだろう
触れた瞬間に木の表面はポロポロと崩れ、連鎖するようにそのまま全体に広がって、木は灰のように風に吹かれて倒れてしまった
「は…ぁ、あ…」
さぁぁ…と消えてしまった木を見てリュミエルはその場に膝から崩れ落ちた
声にもならない吐息と共に、言いしれぬ感情がリュミエルを襲う
暖かな光がリュミエルの体を包む
体の疲れは取れ、全てが良くなるはずなのに、リュミエルの心は暗くなる一方だった
そんなリュミエルをただ見ていただけのベルだったが、その場にうずくまるリュミエルに近づいた
ネルガルはなぜかわからないが、ルシファー以外の悪魔は天の光を浴びるとダメージを負う
現に隣でしゃがみ込んだベルからは、皮膚が焼けるように、じゅぅぅっと音を出して煙が燻っていた
驚き見上げたリュミエルに構わずベルは先の話の続きを語る
「木なんてまた生やせばいいさ。それより君は喜ぶべきだ。あの憎いネルガルが死ねば、君は嬉しいはずでしょ?喜びなよ」
「…ん、んくっ、…ふ…」
かけられる言葉はいつものベルとは想像がつかないほど冷たく、さらにリュミエルを攻撃した
いつの間にか頬には水が流れていた
やめて、言わないで
リュミエルは心の中で訴える
勘のいいベルなら、そんなことわかりきっているはずなのに、それでも彼はリュミエルを慰めることはしなかった
ふと、リュミエルが俯いた先に、小さな花が目に入る
瓦礫の中で萎れており、花弁も何枚か枯れていた
リュミエルはそっと手を伸ばす
今度は崩れないように優しく触れた
花は答えるように揺れた
その姿は健気で、これほど傷ついてもまだ生きようとする強い生命力を感じた
この子には、枯れてほしくない
リュミエルは花に自分の生気を流す
これっぽちの力では花を元通りにすることはできないが、それでも花は嬉しそうに揺れた
自分でもはっと息を呑むのがわかった
そうだ、リュミエルはネルガルが憎い。それはもう、思い出すだけで吐き気がするほど
でも、こんなこと望んだわけじゃない
壊し、傷つき、失うことを願っていたわけじゃない
そうだ、まだ間に合う
この子にも、ネルガルにも、まだ枯れてほしくない
「一緒に行くかい…?」
ベルはリュミエルに手を差し伸べた
リュミエルは震えながらもその手を取った
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