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第一章(七)我慢の限界

 (みゆき)がアパートの自宅に帰ると、玄関に入ったとたん日下(くさか)にぶん殴られた。  小さな幸は反動で吹き飛んで、ドアに叩きつけられる。 「お父さん?」  幸は何が何だか分からず驚いた顔で日下を見上げた。  しかし、日下は(ののし)りながら幸を蹴り飛ばした。 「薄汚い売女(ばいた)め!」  日下は初めて二人が抱き合っているのを見た日は、幸に手をあげたい気持ちを何とか抑える事が出来た。  しかし、再び優一(ゆういち)に抱かれる幸を見て、もう怒りを抑える事が出来なくなった。  (めぐみ)が音に驚いて見に行くと、倒れた幸を蹴りつける日下が目に飛び込んで来た。 「(おさむ)さん何してるの?」  恵が慌てて駆け寄るが、日下は気にせず倒れている幸を蹴りつける。 「こんな奴は俺の息子じゃないんだよ!」  日下はそのまま、幸を何度も蹴り続けた。 「ねえ。修さんやめて!」  恵は堪らず幸に覆い被さった。 「恵、離れろ!」 「離れない! お願いだからやめて」  日下は幸を(かば)う恵を見て、急に気持ちが冷めて来た。 「やめた」  日下は興味なさそうに後ろを向くと、寝室に行ってベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。  恵は幸の頬を冷やして湿布を貼った。 「大丈夫だった?」  そして、幸のシャツをめくると、脇腹も青くなっていたので、そこにも湿布を貼りつけた。 「腫れないといいけど」  恵はシャツを下ろすと、幸を抱きしめた。 「怖かったね」  幸は恵の腕の中で小さく震えていた。  恵は幸を可愛く思っていたが、学校に行かず優一の店に入り浸っている事を快く思ってはいなかった。  幸は、何度言っても学校には行かず、担任の教師が家に来ても押し黙ったままだ。  幸にいくら理由を聞いても何も話さない。  理由も分からず学校を休み続ける幸には、恵も手を焼いていた。  けれども、幸には言えない理由があった。  幸は学校でいじめられていた。  初めはクラスの男子から、女の子っぽい名前と容姿をからかわれていただけだった。  しかし、言い返せずに泣く幸を見て、「男女」と(はや)したてられた。  そして、いつの間にか同級生の兄も加わり、いじめは上級生にも広がって、どんどんエスカレートして行った。  幸は休みがちになったが、それでも恵に言われて、何日かに一回は学校に通っていた。  ある日、幸はトイレで水をかけられ、「本当に男か見せてみろよ」と後ろから羽交(はが)い締めにされて、数人の上級生にズボンを脱がされた。  そして、上級生達は笑いながら幸の写真を撮って、告げ口をしたらばら撒くと脅したのだ。  幸は怖かったし、とても恥ずかしかった。  脅されなくても、幸は誰にも言う事は出来なかっただろう。  その日はそのまま家に帰ると、恵に見つからないように服を洗濯機に入れて、ベッドに潜り込んだ。  それから、幸は周りからどんなに言われても、学校に行かなくなった。  学校に行くように言う恵に、幸は「行きたくない」と力強く訴えた。  幸は大人しく言う事を聞く子であったが、この時初めて恵に逆らった。  それほど嫌だったというのに、周りは口を揃えて幸の事を責めたてた。  そんな幸に、唯一手を差し伸べてくれたのが優一だったのだ。 「食事にしようか」  恵はテーブルに食事を並べる。  日下を起こそうかとも思ったが、また幸に暴力を振るうかもしれないと思い、二人だけで食べる事にした。 「今日は鯖の照り焼きだよ」  恵は精一杯笑顔を作って、幸に話しかけた。 「いただきます」  二人はそう言って合掌した。

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