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第一章(九)二人だけの秘密

 (みゆき)は自宅に帰ると、また日下(くさか)に何かされないかと、恐る恐るドアを開けた。 「ただいま」  小さな声で告げると、(めぐみ)が幸の方を振り返り、テレビの電源を切った。 「おかえり」 「お父さんは?」  幸は奥の部屋を伺う。 「お店に行ってないの?」  恵は驚いたように幸を見た。 「来てないよ」 「昼前に出て行ってから、まだ帰って来てないんだけど……」  日下はあまり外出する事がない上に、夕飯時を過ぎても帰らないなど初めての事だ。  最近、日下の態度がおかしかった事もあり、恵は少し不安になった。 「おじいさんに聞いてみる?」  幸は、恵の様子を見て、心配そうに声をかけた。  しかし、恵には、優一(ゆういち)に相談したところで、どうにかなるとは思えなかった。  それに、日下が帰って来ないといっても、出掛けてからそれ程時間が経っている訳でもないのだ。 「明日まで帰って来なかったら、相談してみるね」  朝方、日下は酒臭い息をさせて帰って来た。 「帰ったぞ」  日下は相当飲んで来たようで、足取りも覚束ない感じだった。 「おかえりなさい。大丈夫?」  恵が支えようとすると、日下の方から抱きついて来た。  酒臭い息が恵にかかる。 「こんなになるまで、どこで飲んで来たの?」 「居酒屋だよ。そこの客と意気投合してな」  日下が口付けをしようとするのを恵が押しとどめる。 「幸が起きて来るといけないから」  それを聞くと、今まで上機嫌だった日下が、急に不機嫌になった。 「あんな奴に見られたってかまわないさ。もっと酷い事をしてるんだからな!」  日下はそう言うと、恵から離れて、ふらふらしながら幸の部屋に向かった。 「おい! 幸!」 「もう寝てるから、静かにしてあげて」  恵は日下の腕をとって止めようとするが、日下はそれを乱暴に振りほどいた。  そして、日下は乱暴にドアを開けると、大きな音で壁を叩く。 「幸! 起きろ!」  大声で呼ばれて、幸は驚いて目が覚ました。 「この恥知らずが!」  日下は布団を引っぺがして、幸をベッドから引きずり下ろした。 「(おさむ)さんやめてよ!」  日下は、恵の制止も聞かずに幸を蹴り飛ばすが、足元がふらついて転びそうになった。 「お前なんか産まれて来なければ良かったんだよ!」  それでも、体勢を立て直すともう一度蹴りつけた。 「やめてって! こないだからどうしたの?」  日下は今まで暴力を振るった事など一度もなかった。  それが、昨日から人が変わったように暴れ始めたのだ。  恵には何が何やら全く分からなかった。 「もうやめて!」  恵は悲鳴を上げて日下にしがみついた。 「お前なんか、死ねば……」  日下はそう言いながら、ベッドに倒れ込んだ。  恵が日下の様子を伺うと、どうやらいびきをかいて寝ているようだった。 「幸、大丈夫?」  恵が抱き起こすと、幸は怯えた目で恵を見た。 「お父さん、どうしたんだろう?」  その時、幸は優一の言葉を思い出した。 『これは愛し合っている二人がする事なんだ。僕と幸が仲がいいとお父さんが嫌がるからね。だから、二人だけの秘密にするんだよ。いいね』  きっと日下は、優一と幸が仲がいい事を知って、怒っているのだと思った。 「どうしよう?」  幸は不安そうに恵を見る。  優一の言葉を伝えたかったが、それは二人だけの秘密なのだ。 「とりあえず、今日はお母さんと一緒に寝ようか」  恵は幸を連れて寝室に行った。 「怖かったね」  恵は幸を抱きしめた。

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