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第一章(十一)話し合い

 この日は、店が終わってから、日下(くさか)と話し合う事になっていた。  これで落ち着くと安心したのか、店に来た(みゆき)は、昨日より明るい表情をしていた。 「おじいさんおはよう」  幸は挨拶をすると、優一(ゆういち)に微笑みかけた。 「おはよう」  優一は幸を抱き寄せると、背中を軽く叩く。 「今日、お父さんにちゃんと伝えるからね」 「はい」  幸は返事をすると、優一に抱きついた。  それがあまりに可愛くて、優一はうっとりと幸の髪を撫でて口付ける。 「可愛いね」  優一は、幸をそのまま押し倒したい気持ちになったが、日下が来ると分かっているのに、手を出す訳にはいかないと考え直した。 「ちょっと待っておいで」  優一は名残惜(なごりお)しそうに、幸から体を離すと、店のシャッターを開けに行った。  そして、奥の和室に戻ろうとした時、店の電話が鳴った。 「はい。日下ロックサービスです」  電話は、先日依頼を請けた客からで、玄関の鍵を交換して欲しいと言うものだった。  急ぎの依頼ではなかったが、取り立てて用事もなかったので、すぐに客先に向かう事にした。 「幸、仕事に行こうか」  優一は店のシャッターを開けると、店の入口に『外出中』と札をかけた。  インターホンのボタンを押すと、向こうから『少々お待ちください』と言う声がして、通話が切られた。  客は笑顔でドアを開ける。 「先日はありがとうございました」 「いえいえ、こちらこそありがとうございました。見積もりはお電話でもお話した通りこのようになります」  優一はにこやかに挨拶を交わしながら、客と書類のやり取りをした。  幸は二人の顔を交互に見て話を聞いている。 「では、作業に取り掛かりますね。終わったら声をかけますので、中で待っていてください」  しかし、客は笑顔で顔の前で手を振る。 「ちょっと見させてください。それより本当に可愛いお嬢さんですね」  客は幸の(そば)にしゃがみ込んだ。 「男の子なんですよ」  優一は笑いながら訂正した。  幸は男の子っぽい服装をしており、長めとはいえ髪もショートカットにしているのだが、それでも女の子に見えるらしく、初めて幸を見て男の子と言った人はまだいなかった。 「あら、ごめんなさい」 「いえいえ、いつも間違われるので」  幸は居心地が悪くて優一の陰に隠れた。 「それじゃあ作業に入ってもいいですか?」 「あ、はい。邪魔してごめんなさいね」  優一が作業を始めると、幸は興味深そうに作業を見つめる。  客が時間は大丈夫だと言ってくれたので、優一は幸にいちいち説明しながら作業を進めた。  作業が終わると、優一は幸の顔を笑顔で覗き込んだ。 「分かったかい?」 「分かった」  幸がどこまで理解しているのかは分からないが、優一は将来の跡取りの頼もしい態度に、笑顔で幸の頭を叩いた。 「お待たせしました」  優一は客に挨拶をすると、報酬を受取って頭を下げた。 「ありがとうございました。また何かありましたら、よろしくお願いします」  閉店後、日下が店にやって来た。  日下が和室に入ると、幸が慌てて優一の陰に逃げ込んだ。  それを見て、日下はあからさまに不機嫌な顔になる。 「何の用だ?」  日下は座布団に座ると、イライラと貧乏ゆすりを始めた。 「単刀直入に聞こう。何で幸に暴力を振るうんだ?」  優一は何の前置きもなく、いきなり本題に入った。 「それは……」 「僕に言いたい事があるなら直接言って欲しい」  優一に強い調子で言われて、気の弱い日下は言い淀んだ。 「ええと……」  日下は臆病な男で、自分より弱い相手にしか強気でいられない。  だから、優一にも幸にも同じくらいの怒りを覚えていたが、自分より立場が上の優一には何も言う事が出来なかった。 「父さんが幸を……」  そこまで言いかけてまた黙る。  優一も日下とは別の意味で卑怯な男で、相手が何も言えない事を承知で聞いているのだ。 「僕が?」 「……」  俯いたまま何も喋らなくなった日下を見て、優一はため息をつく。 「僕が言いたい事はひとつだけだ。幸には金輪際(こんりんざい)暴力を振るわないで欲しい」  日下は膝に置いた手を固く握りしめる。 「幸は何も悪くないじゃないか」  日下は優一の事を反抗的な目で見る。  日下にとっては二人とも同罪なのだ。 「僕に何か言いたい事があるのか?」 「何も……」  日下は小さな声で答えた。 「じゃあ幸に暴力を振るわないと誓えるね?」 「はい」  優一に言われて、日下は悔しそうにしながらも小さな声で答えた。  日下と話し合った時間は一時間もかからないくらいであった。  収まるとは思えないが、これで日下もしばらくは幸に手を出そうとは考えないだろう。  優一は日下が店を出ると幸を抱きしめた。 「これで大丈夫だよ」 「おじいさんありがとう」  幸は安心したのか、優一の腕の中で、体を震わせて涙を流した。

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