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第二章(一)バラバラの心

 日下(くさか)優一(ゆういち)が死んでからも働こうとはせず、夕方に起き出しては酒を飲みに出かけ、夜更けに帰ってきては暴力を振るうようになった。  (めぐみ)のパート代では、生活費だけでもギリギリなのに、日下が毎日飲み代として少ない金から持って行ってしまうので、毎月の家計は赤字続きだ。  今まで何とかやって行く事が出来たのは、優一から工面(くめん)して貰った金があったからで、それもなくなると、いよいよ生活が厳しくなってきた。  日下が店を売って手に入れた金も生活費に回して、もうほとんど残ってはいない。  このままでは生計が立ち行かなくなると、恵は夜の仕事もするようになり、昼も夜も休みなく働いた。  仕事はきつくてつらかったが、あまり家にいなくていいという事は、恵にとってはむしろ都合が良かった。  恵が家にいるのは、日下が寝ている時か出かけている時だけだったので、ほとんど暴力を振るわれる事がなかったのだ。  日下から暴行を受けるのは、一日中家にいる(みゆき)の役目だった。  日下は幸の事を逆恨みしていたので、酷く酔って帰った時は、暴言を吐いて幸に暴力を振るった。 「お前の所為(せい)で家庭がぐちゃぐちゃだ!」  それは、ただの八つ当たりでしかなかったが、幸に抵抗する術はなく、どんなに暴力を振るわれても、ひたすら耐えるしかなかった。  そもそも、日下は初めから幸を愛してなどいなかった。  表向きは良い父親を演じていたが、本心では恵の愛情を奪う幸に嫉妬すら抱いていた。  日下は独占欲が強く、子供のような性格だったので、恵が少しでも自分以外の相手に好意を抱くのが許せなかったし、それで夜の生活が少なくなっている事にも不満を感じていたのだ。  幸に笑顔を向けていたのは、恵に嫌われない為の見せかけの行動に過ぎなかった。  だから、優一が幸を抱いている事を知った時、日下は幸の心配など少しもする事はなく、むしろ恵を汚していると思い、怒りを覚えた程だった。  実際のところ、全ては優一の所為であるにも関わらず、日下は怖くて優一に言えない分、その怒りを幸に向けた。  そして、幸を守っていた優一が死んだ今、日下を止める者は誰もいなくなった。  恵は忙しくて家庭を省みる事が出来ず、日下は歪んだ感情から飲み始めた酒に溺れて、家庭を滅茶苦茶にする。  家庭がいつか元通りになると信じていたのは、幸だけだった。  幸は今でも二人の事を愛していたので、恵があまり家にいなくても我慢出来たし、日下の暴力にも耐える事が出来た。  それに、例え昔の生活に戻れないと思ったとしても、幸にはこの家以外に行く場所などなかった。  或いは、家出でもすればこの生活よりマシになるのかもしれないが、幸はそんな事を考えもしなかった。  幸の中で考える事の出来る世界は、学校と、鍵屋と、家の三つしかなかった。  学校には行きたくなかったし、行ったところで昼は日下の寝ている時間だ。  そして、鍵屋はもうない。  だから、幸は唯一の居場所である家にしあわせを求めた。  けれど、幸がどんなにつなぎ止めたいと願っても、既に家族の心はバラバラだった。

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