30 / 103

第二章(五)心の在り処

 (みゆき)高木(たかぎ)とあった日は酷い折檻(せっかん)を受けたが、それでもまた会いたかったので、日下(くさか)が出かけて行くとすぐ、家を出て公園に向かった。  幸が昨日のベンチに座っていると、しばらくして高木がやってきた。 「こんばんは。また会えたね」  高木は幸の隣に座ると、持っていた袋からペットボトルを取り出した。 「飲むかな?」 「ありがとうございます」  幸が礼を言って受け取ると、「これも」と菓子を渡された。  菓子を食べるなど、優一が死んで以来の事だったので、幸は優一を思い出して泣きそうになったが、何とか涙を噛み殺した。  しかし、涙を流してはいなかったが、肩が小刻みに震えていたので、何かを堪えているのは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。 「どうしたんだい?」  高木は幸の顔を覗き込んで、心配そうに声をかける。 「何でもないです」  幸はそれに、首を横に振って答えた。  しかし、高木にも幸が何かを隠している事が分かったので、続けて語りかける。 「話した方が楽になるなら聞くぞ」  高木の言葉に、幸は言い淀んだ。  幸も高木に全てを聞いて貰いたかったが、虐待については日下に口止めをされているので言えない。  だから一言、優一(ゆういち)が死んでつらかった、とだけ答えた。 「まあ、言えない事もあるさ」  高木は、幸がつらそうにしている理由が、それだけではないと気付いたが、それ以上追求しようとはしなかった。  そして、何か気分でも変えようと、高木はもう一度菓子を渡した。 「お菓子でも食べようか」  幸は高木の言葉に頷くと、菓子を手に取って口に運び、肩を震わせながら噛み締めた。  その後は、ただ肩を並べて菓子を食べながら、夜が開けるまで一緒に過ごした。  幸は高木と別れてもしばらく公園にいたが、空が明るくなる前に家に帰った。  家に帰り、恐る恐るドアを開けると、日下はもう寝たようで、寝室の方からいびきが聞こえる。  幸は安堵し、キッチンを通り過ぎて自室に行こうとすると、恵がテーブルにうつ伏せになっていた。  寝ているのかと思っていると、恵が急に顔を上げて、すごい顔で幸を見た。 「何処に行ってたの?」 幸は答えに困って、口を開けかけて、閉じた。 「学校には行けないくせに、こんな時間に何処に行っていたの?」 「ごめんなさい」  優しかった恵の怒ったような態度に、幸は思わず後ずさった。 「謝って欲しいんじゃない!」  恵はそう言うと、急に涙を流し始めた。  酔った日下に乱暴に犯され、気が動転していて、幸がいれば自分が酷い目にあわなかったのにと、不条理な怒りをぶつけてしまったのだ。 「お母さん?」  幸は、恵を心配するが、どうしていいか分からず、ただおろおろとしていた。 「ごめん」  今度は恵が謝って、幸を抱きしめた。 「お母さん、大丈夫?」 「うん。大丈夫」 「でも、涙……」  恵には幸の優しさが痛かった。  幸はどんなに日下から暴力を受けてもそれに耐えて、八つ当たりをする恵にまで優しくしてくれる。  このまま一緒に寝ても良かったのだが、恵は罪悪感に(さいな)まれて、いたたまれなくなった。  恵は行くあてがある訳でもないが、パートに行く準備をして家を出る事にした。  今日だけでも、何処かで時間を潰そうと考えたのだ。 「出かけてくる」  恵はそれだけ言うと、幸を残して家を出て行ってしまった。 「お母さん……」  幸は恵の背中を見送りながら、悲しそうに呟いた。

ともだちにシェアしよう!