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第二章(六)恋心

 高木(たかぎ)(みゆき)の事を少女と思っていた事もあり、毎日会う幸に密かな恋心を抱いていた。  年端(としは)もいかない子供に恋をするなどバカバカしいとは思ったが、どこか(はかな)げな幸の表情は、守らなければならないと思わせた。  それは、優一(ゆういち)のような邪な感情ではなく、初恋にも似た純粋な感情だった。 「こんばんは」  幸が挨拶をすると、高木も笑顔で応えた。 「こんばんは」  高木が自分の隣を軽く叩くと、幸はおずおずとベンチに腰掛けた。  すると、高木はペットボトルのお茶を渡してから、料理の入ったタッパの蓋を開けた。 「家で一人で食べるご飯は味気なくてね。子供の好きそうな物はないけど、良かったら一緒にどうだい?」  高木が家から持ってきたのは、その日の余り物のおでんだった。 「ありがとうございます」  幸は箸を渡されると、いつもしているように手を合わせて、こんにゃくを口に入れた。 「美味しい」  そう言って、幸は涙を流した。  幸がおでんが好きだった事もあるが、一家団欒(いっかだんらん)で鍋をつついたのがいつの事だろうと、昔を思い出してしまったのだ。 「どうした?」  高木がタオルを渡すと、幸は涙を拭いながらしゃくりあげた。  幸は何かを話そうとする度に涙が込み上げて、何も言う事が出来なくなった。  高木が泣きじゃくる幸を抱きしめると、今まで我慢してきた分が全て溢れ出してきたようで、すがりついて泣き始めた。  どうしていいか分からず、高木がしばらく無言で抱きしめていると、幸はしゃくりあげながら、少しずつ喋り始めた。 「お父さんと、お母さんと、一緒に食べたい……」  高木も、まだ小さな子供がこんな時間にいるのは何かあるのだろうと思っていたので、家庭不和というのも予想はついていた。  幸を慰めようと思うのだが、何と言ったらいいのか全く分からない。  高木は悩んだ末、せめて気分を切り替える事が出来ればと思い、自分の今の境遇を話して聞かせる事にした。  高木は、妻を亡くして一人暮らしになると、六十一才とまだそんな歳でもないのだが、一人で暮らしているのは心配だと、息子夫婦と暮らすようになった。  息子夫婦は共働きで、小学生の息子もいるので、家事に子育てにと大変だったようだ。  それなのに、退職金を家計にと入れていたとはいえ、高木は殆ど一日中、何をするでもなく家にいる。  それが、嫁には不満だったらしい。  息子が家事も育児も全て嫁任せだった事も、家庭不和の原因となった。  高木はなるべく家にいない方がいいのだろうと、昼中に公園でぼんやりしている事があったのだが、今度は世間体が悪いと文句を言われる。  高齢者の寄り合いに参加しても馴染めず、かといって何かを習う気にもなれない。  だから、日中出かけられない代わりに、息抜きがてら夜に公園に通うようになったのだ。 「家には私の居場所がなくてね」  幸は意味が分からないながらも、高木の腕の中で、大人しく話を聞いていた。  高木の話が終わると、幸は肩を震わせながら、小さな声で話し始めた。 「僕が悪い子だから……、お父さんを……怒らせて……、お母さんが……働く事に、なったんです」 「うん」 「おじいさん、も、いないし……、前みたいに、戻れないのが……悲し、くて……」  高木は幸の背中を優しく撫でた。  しかし、今まで一緒にいる感じでは、幸がそんなに酷く怒られるような悪い事をするようにも思えなかった。  だから、幸は悪くないと言いかけたが、事情も分からず口を出していいものか分からず、ただ相槌を打つ事しか出来なかった。 「幸ちゃんも居場所がないのかな?」  それに、幸はしばらく考えてから口を開く。 「よく……分からない、けど……苦しい……です」  高木は、幸が落ち着くまで、背中を優しく叩いて、何度も何度も頷いた。

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