52 / 103

第三章(十)金の卵

 その日の朝、多田(ただ)から電話があり、日下(くさか)は事務所に呼び出された。  用件は、鍵をなくして開けられない金庫があるので、開けて欲しいというものだった。  日下は電話を切ると、急いで支度を済ませ、道具を持って多田の元を訪れた。 「待っていたぞ」  多田はそう言うと、日下が挨拶するのも待たずに、すぐ執務室へ案内する。  そして、壁面に取り付けられた大きな金庫を指さした。 「この金庫を開けて欲しい」 「分かりました」  多田に命じられて、日下は卑屈な笑みを浮かべて頭を下げる。  そして、日下は、多田の顔色を伺いながら金庫の前まで行くと、道具を取り出し仕事に取りかかった。  しかし、日下は簡単に開けられるだろうと、安易に考えていたのだが、今回の鍵は難しく、どうやっても解錠出来ない。 「開けられないのか?」  日下が手間取っていると、多田が目に見えて不機嫌になる。 「これは、壊した方がいいのでは……」  言いかけた日下を多田が蹴り飛ばした。 「役立たずめ」  そして、多田が吐き捨てるように言う。  日下は、このままでは報酬が貰えなくなるばかりか、多田に暴行を受ける事になると慌てた。  このままではまずいと、日下は苦し紛れに(みゆき)の名前を出す事にした。 「幸なら開けられるかも知れません。幸も親父に習ってたんです」 「ほう」  それを聞いて、多田は興味深そうに相槌を打つ。 「沢井に連絡して幸を連れて来させろ」  沢井(さわい)が幸を抱いていると、急に電話が鳴った。  出るつもりはなかったが、なんとなく画面を見ると、事務所からの電話で驚いた。  沢井は行為の最中だったが、中断して慌てて電話に出る。 「はい」  バレているとは思わなかったが、タイミングを見計らったような電話に、沢井は思わず姿勢を正した。 「沢井さん、ボスからの連絡です」  しかし、電話の向こうの声は、多田のものではなく、沢井は安堵(あんど)の溜息をついた。 「ああ。それで?」 「すぐに幸を連れて、事務所に来て欲しいそうです」  安堵したのも束の間、これには沢井も大いに慌てた。 「分かった」  沢井はそう言って、なるべく平静を装い通話を切ったが、多田がなんの用で幸を呼んだのか分からず困惑した。  内心冷や汗を垂らしながらも、慌てて衣服を身につけつつ、幸に話しかける。 「幸。ボスから呼び出しがあったから、急いで支度をしてくれ」 「はい」  しかし、幸が返事をして服を着ようとするのを沢井が止める。 「幸は念の為、風呂に入ってくれ」 「連れて来ました」  沢井が大慌てで到着すると、多田が不機嫌そうに答えた。 「遅かったな」 「ちょっと、幸が風呂に入ってたもんで」  ある意味それは嘘ではない。  多田は沢井の言葉に顔を(しか)めたが、話を進める事にした。 「幸。そこの金庫の鍵を開けられるか?」  言われて、幸は不思議そうな顔をしながら金庫を見る。 「あ、開けられなかったら、幸の所為(せい)なんで。私への罰は……」  言いかけた日下を多田が蹴飛ばす。 「貴様はどこまでもクズだな」  幸は、金庫の鍵を開けさせて貰えると、すぐにでも見に行きたかったが、金庫の(そば)には日下がいて、怖くて近付く事が出来ない。 「どうした?」  多田は聞いてから、自分たちが金庫の前を占拠している事に気付いた。 「邪魔だったな」  多田は日下をその場から移動させると、幸の元に行ってそっと抱き寄せる。 「これで大丈夫か?」 「はい」  多田は幸が返事をするのを聞いて、金庫の前に座らせる。 「出来そうか?」  多田は横に座ると幸に尋ねた。 「はい。出来ます」  幸は小さな声ではあるが、はっきりとそう言った。 「ほう」  多田はいつもおどおどしている幸が、これほど自信あり気な態度をとるとは思ってもみなかった。  多田は興味津々といった顔で、幸に命じる。 「やってくれ」 「はい」  幸は返事をすると、鍵穴を見てから道具を取り出した。  多田は幸の手元を覗き込む。  すると、幸は何度かカチカチとやったあと、簡単に金庫を開けた。 「ほう」  多田は感心したように声を出す。  今まで、幸の事をただ抱くだけの玩具(おもちゃ)だと思っていたが、実は金の卵だったと気付いたのだ。  多田は、どうしても幸を手元に置きたいと思った。 「日下。幸をいくらなら売る?」  日下は不思議そうな顔になる。 「え? それは今までも……」  多田は日下の方を見向きもせずに、優しく幸の(ほほ)()でる。 「買い受けると言っているんだよ。いくらで売る?」  その言葉に日下は目を輝かせた。 「五百万……いや、四百……」 「貴様の息子の値段はそんなものか?」  多田は構成員に声をかけて札束を持って来させる。 「五百万で買おう」  そう言って、多田は日下の足元に札束を投げ捨てた。 「ありがとうございます」  多田は、札束を拾い集めている日下を一瞥(いちべつ)すると、傍にいる幸を抱き寄せた。 「部屋に閉じ込めても、鍵を開けて逃げられるのか……」  多田は幸が逃げる事はないと思ったが、それでも念には念を入れた方がいいと考えた。  しかし、自分の部屋に連れて行くのは面倒だし、事務所に置いておくにしても、誰かが常時いる訳ではない。  多田は色々と考えた末、幸の事はこのまま沢井に面倒を見させる事にした。 「沢井。幸はこれからお前の部屋で面倒を見ろ」 「え?」  沢井の態度に、多田は怪訝(けげん)そうに眉を(ひそ)める。 「問題でもあるのか?」 「いえ、ありません」  沢井は突然の事に驚いたが、そうなれば毎日のように幸を抱けるのだから、断る理由などある筈もない。 「じゃあ、頼む」 「分かりました」  返事をしながら、沢井はしめしめと思った。 「では、連れて帰ります」  そう言って、沢井が幸を連れて行こうとするのを多田が引き止めた。 「少し幸に用がある。それが済んだら、幸の荷物を引取って、お前の部屋に連れて行ってやれ」 「分かりました」  多田の言葉に、沢井は緊張した面持ちで答える。  沢井には、多田の用と言うのが、幸を抱くという事なのだとすぐに分かった。  しかし、風呂に入れたとは言え、沢村はさっきまで幸を抱いていたのだ。  沢井の背筋に冷たい汗が流れた。

ともだちにシェアしよう!