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第三章(十)金の卵
その日の朝、多田 から電話があり、日下 は事務所に呼び出された。
用件は、鍵をなくして開けられない金庫があるので、開けて欲しいというものだった。
日下は電話を切ると、急いで支度を済ませ、道具を持って多田の元を訪れた。
「待っていたぞ」
多田はそう言うと、日下が挨拶するのも待たずに、すぐ執務室へ案内する。
そして、壁面に取り付けられた大きな金庫を指さした。
「この金庫を開けて欲しい」
「分かりました」
多田に命じられて、日下は卑屈な笑みを浮かべて頭を下げる。
そして、日下は、多田の顔色を伺いながら金庫の前まで行くと、道具を取り出し仕事に取りかかった。
しかし、日下は簡単に開けられるだろうと、安易に考えていたのだが、今回の鍵は難しく、どうやっても解錠出来ない。
「開けられないのか?」
日下が手間取っていると、多田が目に見えて不機嫌になる。
「これは、壊した方がいいのでは……」
言いかけた日下を多田が蹴り飛ばした。
「役立たずめ」
そして、多田が吐き捨てるように言う。
日下は、このままでは報酬が貰えなくなるばかりか、多田に暴行を受ける事になると慌てた。
このままではまずいと、日下は苦し紛れに幸 の名前を出す事にした。
「幸なら開けられるかも知れません。幸も親父に習ってたんです」
「ほう」
それを聞いて、多田は興味深そうに相槌を打つ。
「沢井に連絡して幸を連れて来させろ」
沢井 が幸を抱いていると、急に電話が鳴った。
出るつもりはなかったが、なんとなく画面を見ると、事務所からの電話で驚いた。
沢井は行為の最中だったが、中断して慌てて電話に出る。
「はい」
バレているとは思わなかったが、タイミングを見計らったような電話に、沢井は思わず姿勢を正した。
「沢井さん、ボスからの連絡です」
しかし、電話の向こうの声は、多田のものではなく、沢井は安堵 の溜息をついた。
「ああ。それで?」
「すぐに幸を連れて、事務所に来て欲しいそうです」
安堵したのも束の間、これには沢井も大いに慌てた。
「分かった」
沢井はそう言って、なるべく平静を装い通話を切ったが、多田がなんの用で幸を呼んだのか分からず困惑した。
内心冷や汗を垂らしながらも、慌てて衣服を身につけつつ、幸に話しかける。
「幸。ボスから呼び出しがあったから、急いで支度をしてくれ」
「はい」
しかし、幸が返事をして服を着ようとするのを沢井が止める。
「幸は念の為、風呂に入ってくれ」
「連れて来ました」
沢井が大慌てで到着すると、多田が不機嫌そうに答えた。
「遅かったな」
「ちょっと、幸が風呂に入ってたもんで」
ある意味それは嘘ではない。
多田は沢井の言葉に顔を顰 めたが、話を進める事にした。
「幸。そこの金庫の鍵を開けられるか?」
言われて、幸は不思議そうな顔をしながら金庫を見る。
「あ、開けられなかったら、幸の所為 なんで。私への罰は……」
言いかけた日下を多田が蹴飛ばす。
「貴様はどこまでもクズだな」
幸は、金庫の鍵を開けさせて貰えると、すぐにでも見に行きたかったが、金庫の傍 には日下がいて、怖くて近付く事が出来ない。
「どうした?」
多田は聞いてから、自分たちが金庫の前を占拠している事に気付いた。
「邪魔だったな」
多田は日下をその場から移動させると、幸の元に行ってそっと抱き寄せる。
「これで大丈夫か?」
「はい」
多田は幸が返事をするのを聞いて、金庫の前に座らせる。
「出来そうか?」
多田は横に座ると幸に尋ねた。
「はい。出来ます」
幸は小さな声ではあるが、はっきりとそう言った。
「ほう」
多田はいつもおどおどしている幸が、これほど自信あり気な態度をとるとは思ってもみなかった。
多田は興味津々といった顔で、幸に命じる。
「やってくれ」
「はい」
幸は返事をすると、鍵穴を見てから道具を取り出した。
多田は幸の手元を覗き込む。
すると、幸は何度かカチカチとやったあと、簡単に金庫を開けた。
「ほう」
多田は感心したように声を出す。
今まで、幸の事をただ抱くだけの玩具 だと思っていたが、実は金の卵だったと気付いたのだ。
多田は、どうしても幸を手元に置きたいと思った。
「日下。幸をいくらなら売る?」
日下は不思議そうな顔になる。
「え? それは今までも……」
多田は日下の方を見向きもせずに、優しく幸の頬 を撫 でる。
「買い受けると言っているんだよ。いくらで売る?」
その言葉に日下は目を輝かせた。
「五百万……いや、四百……」
「貴様の息子の値段はそんなものか?」
多田は構成員に声をかけて札束を持って来させる。
「五百万で買おう」
そう言って、多田は日下の足元に札束を投げ捨てた。
「ありがとうございます」
多田は、札束を拾い集めている日下を一瞥 すると、傍にいる幸を抱き寄せた。
「部屋に閉じ込めても、鍵を開けて逃げられるのか……」
多田は幸が逃げる事はないと思ったが、それでも念には念を入れた方がいいと考えた。
しかし、自分の部屋に連れて行くのは面倒だし、事務所に置いておくにしても、誰かが常時いる訳ではない。
多田は色々と考えた末、幸の事はこのまま沢井に面倒を見させる事にした。
「沢井。幸はこれからお前の部屋で面倒を見ろ」
「え?」
沢井の態度に、多田は怪訝 そうに眉を顰 める。
「問題でもあるのか?」
「いえ、ありません」
沢井は突然の事に驚いたが、そうなれば毎日のように幸を抱けるのだから、断る理由などある筈もない。
「じゃあ、頼む」
「分かりました」
返事をしながら、沢井はしめしめと思った。
「では、連れて帰ります」
そう言って、沢井が幸を連れて行こうとするのを多田が引き止めた。
「少し幸に用がある。それが済んだら、幸の荷物を引取って、お前の部屋に連れて行ってやれ」
「分かりました」
多田の言葉に、沢井は緊張した面持ちで答える。
沢井には、多田の用と言うのが、幸を抱くという事なのだとすぐに分かった。
しかし、風呂に入れたとは言え、沢村はさっきまで幸を抱いていたのだ。
沢井の背筋に冷たい汗が流れた。
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