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第三章(二十一)愚かさと愛しさ

 沢井(さわい)が呼ばれて執務室に入ると、案の定ボロボロになった(みゆき)が横たわっていた。  意識はあるが、目は涙で(にじ)み、足の間には赤い液体が(したた)っている。 「沢井」  沢井が幸に手をかけようとすると、急に多田(ただ)に声をかけられた。 「はい」  返事をして、沢井が向き直ると、多田は嘲笑(あざわら)うように言った。 「幸に惚れるなよ」 「え?」  思わず、沢井は聞き返してしまった。 「聞こえなかったか?」 「聞こえました。ただ、何を言われたのか分からなくて」  実際、沢井は幸に手を出しこそすれ、愛情などこれっぽっちも持っていなかったのだ。 「分からないならいい。ただ、忘れないようにな」 「はい、分かりました」  沢井は幸を抱えあげると、一礼して執務室を後にした。  沢井は帰りの車内で、執務室での事を考えた。  いくら牽制(けんせい)するにしても、惚れるなと言った多田の本心が分からない。  だが、沢井には思い当たる節がない訳でもなかった。  幸は執務室に行く前に、沢井の方を(すが)るような目で見ていた。  それを多田が見咎(みとが)めたのであれば、幸の沢井に対する気持ちに気付いた筈だ。  独占欲の強い多田が、お気に入りである幸が他の相手に懸想(けそう)しているとなれば、面白い筈がない。 「幸、起きてるか?」  助手席に話しかけると、幸が潤んだ目で沢井を見た。 「ボスに何か言ったか?」 「何も……」  幸は話すのもつらそうだったが、下手をすると沢井の身も危険になるのだから、今のうちに聞いておかなくてはならない。  沢井が幸に、毎日のように「愛してる」と言っている事が、多田に伝わっていたら堪らない。  まかり間違って、沢井が幸の事を本当に愛しているなどと勘違いされたら、何をされるか分かったものではないのだ。 「俺との関係について何か聞かれたか?」  沢井に聞かれて、幸は首を横に振った。 「好きかと聞かれたけれど、何も答えませんでした」 「そうか」  それを聞いて、幸が変な事を言っていなかった事に、沢井はひとまず胸を()で下ろした。  沢井は幸の事を愚かだと思っていたが、そこまで馬鹿ではなかったようだ。 「俺との事はボスには絶対に内緒だよ」  沢井が念を押すと、幸は小さく(うなず)いた。  多田に乱暴された後の幸の体を洗うのは、(もっぱ)ら沢井の仕事になっていた。  そして、どんなに幸が傷付いて疲れ果てていようと、風呂場で犯すのだ。  沢井は幸の手を壁に付けさせて、その体に舌を()わせた。  幸の体には、多田との情事の名残の(あと)が無数に散っている。  その痕は幸の白い肌に映えて扇情的(せんじょうてき)で、沢井は興奮を抑える事が出来なかった。 「幸。堪らないよ」  沢井はボディソープを幸の後ろに塗りつけた。 「つっ」  多田に攻められた傷に染みたのだろう。  逃げようとする幸の腰をとると、沢井は構わず挿入した。 「幸、愛してるよ」 「あっ」  幸はどんなにつらかろうと、いつもその言葉を聞くと大人しく身を任せた。 「気持ちいいかい?」 「はい……」  傷だらけの場所を攻められて気持ちいい筈はないが、それでも幸は沢井と繋がっている事に喜びを感じていた。  沢井に愛を(ささや)かれながらする行為は、幸にとって特別な意味があったのだ。 「可愛いな」 「沢井……さん。愛して……ます」  沢井は幸を背中から抱き締めて、首筋に舌を()わせた。 「俺も愛してる」 「ああっ」  最早、幸には痛みなのか快感なのかも分からないものに貫かれて、声が出るのを止める事が出来なかった。  多田の調教の賜物なのか、幸の体はどんどん淫らになって行く。  しかし、どんなに抱かれても魂まで(けが)れる事はなかったらしく、幸は抱かれていない時は、色気がありこそすれ、いつまでも純真な子供のように見えた。  沢井にはそれが堪らなかったし、多田もそれが気に入っているに違いない。  しかし、沢井は、幸は多田に、ここまで乱れる姿を見せてはいないだろうと思った。  それが、沢井の性欲を刺激し、もっと幸の淫らな姿が見たいと言う欲望が(つの)っていく。  沢井は、多田が幸に無理をさせる理由が、今なら分かる気がした。  そして、沢井は(もだ)える幸を更に攻め立てる。 「あああっ」  幸は、何度も何度も絶頂に達し、とうとう足に力が入らなくなった。  そして、沢井は、幸が壁から滑り落ちそうになるのを抱き止める。  すると、幸は沢井の腕にしっかりと縋り付いた。 「もう少し我慢してくれ」  沢井は止められず、幸に腰を激しく打ちつける。 「もう……」  幸が限界を迎えた辺りで、沢井は精を吐き出すと、抱き止めていた手を離す。  支えを失った幸は、風呂場の床に倒れ込んで、苦しそうに肩を上下させていた。  沢井は再び幸を助け起こすと、情事の後を綺麗に流す。 「ベッドに行こうか」  そして、沢井は幸を抱えるようにして風呂場から出た。    部屋に着くとすぐ、沢井は幸をベッドに寝かせたが、意識は(なか)ば以上飛んでいるようだった。  沢井は、いくらなんでも無理をさせ過ぎたと思い、心配になって名を呼んでみる。 「幸……」  すると、幸は(うっす)らと目を開けて、唇だけで沢井の名を呼んだ。  沢井は自分の方に伸ばされた幸の手を握る。  幸は堪らなく愛おしかった。  沢井は、鎮まっていた欲望が、再び込み上げて来るのを感じた。 「いいか?」  尋ねると、幸は優しく微笑んで小さく(うなず)いた。  もう、初め来た頃のように何も知らない子供ではないのだから、幸もその意味は十分に分かっている筈だ。  それでも頷いたという事は、沢井の好きなようしていいという事だろう。  こんな目にあっても、本気で沢井が自分を好きだと思っているとしたら、愚か以外の何者でもない。  けれど、幸は健気で愚かで、堪らなく愛おしかった。  多田の事を責められないと思いながらも、このまま止める事など出来る筈もない。 「幸」  沢井は幸の手に口付けると、その足をとって体を入れた。 「愛してるよ」  その言葉は、今この時の沢井の本心だった。

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