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第三章(二十六)罪悪感
この日、沢井 は大切な用で外出しており、帰って来たのは、仕事が終わって随分 経ってからだった。
沢井は事務所に帰ると、まず多田 に挨拶しようと思ったのだが、多田の姿も幸 の姿も見えない。
多田が何をしているのか大体の予想はついたが、沢井は近くにいた構成員に様子を聞いてみる事にした。
「ボスは執務室か?」
「はい。そうです」
話しかけられて、部隊のリーダーが質問に答えた。
沢井はそれを聞いて、また幸を連れ込んで乱暴に抱いているのだろうと、うんざりした気持ちになる。
しかし、リーダーは沢井の様子など気にせず、興奮した様子で、聞かれてもいない仕事の首尾について語り始めた。
「幸が凄かったんですよ! 仕事の成功は幸の活躍で!」
沢井は幸の活躍と聞いても、鍵を開ける以外の仕事が思いつかないので、何を今更と思ってしまう。
沢井が訝 しげな顔をしていると、リーダーが先を続けて、何があったか説明を始めた。
それを聞き終えると、沢井は何かを考えるように腕を組んだ。
「そうか。幸がな」
沢井も幸を称賛する気持ちはあるが、今以上に多田に食い物にされるのかと思うと、気持ちが重くなる。
確かに、沢井も幸の気持ちにつけ込でいる事に違いはないが、多田のやり方は、どう考えてもやり過ぎとしか思えなかった。
沢井が複雑な気持ちでいると、執務室から多田の呼ぶ声がした。
「失礼します」
沢井は執務室に入り多田に一礼する。
それから、沢井が幸に視線を向けると、疲れた様子ではあったが、しっかりとソファに座っていた。
沢井は、多田の事だから幸を乱暴に扱っていると思っていたので、無茶をさせていない事を意外に思った。
多田は、沢井の様子を見て、怪訝な顔をする。
「何かおかしいか?」
聞かれて、沢井は自分の気持ちが表に出ていた事に気付き、慌てて答える。
「いえ、なんでもないです」
それから、何か詮索される前に部屋を出ようと幸を呼んだ。
「幸、おいで」
幸は呼ばれて、嬉しそうに沢井に駆け寄った。
その態度は、多田にとって気分の悪いものだったが、今回ばかりは目を瞑 ろうと、軽く視線を外した。
「早く連れて行け」
多田に声をかけられ、沢井は再び礼をすると、幸を連れて執務室を後にした。
沢井はアパートの部屋に帰ると、リーダーに聞いた話を思い出して、幸に笑顔を向けて声をかける。
「聞いたよ。大活躍だったそうじゃないか」
「ありがとうございます」
幸は褒められて、嬉しそうに微笑む。
「今日は疲れただろう?」
沢井が気を使って尋ねると、幸は首を横に振った。
「いいえ。とても楽しかったです」
笑顔の幸に、沢井は顔を顰めた。
幸はこの仕事をさせてくれる多田に感謝しているようであったが、もう二年もここにいるのに未だに騙されていると気付いていない事に、沢井は複雑な気持ちになった。
多田に騙され、沢井に騙され、祖父にも騙されていた幸は、誰にとっても最高の餌なのだ。
幸は優しくされれば、疑う事なく素直に信じてしまう。
そして、信じた相手に全てを許すのだ。
組織にとっても沢井にとっても、都合の良い事ではあるが、僅かばかりの罪悪感を覚えた。
沢井は、幸の頭に手をのせると、複雑な顔で笑う。
「そうか。良かったな」
「はい」
それに、幸は笑顔で答える。
その笑顔に、沢井の胸がまた痛んだ。
しかし、同情したところで、沢井も幸を食い物にする側の人間だし、今更その立場を変えるつもりもない。
「風呂に入るか」
沢井はそう言って、幸を風呂に誘った。
そして、多田との情事の痕 を流しながら、幸との風呂場での行為を楽しんだ。
風呂から上がると、いつものように、二人でベッドに腰かけて夕飯を食べた。
沢井は、ベッドの隣りに座る幸の顔を覗 き込み、ふと思いついて聞いてみた。
「幸はボスの事をどう思っているんだい? そう、例えば執務室でしているような事とか」
以前、沢井が聞いた時、幸は多田の事を優しいと言っていたが、乱暴に扱われるのは嫌だろうと思ったのだ。
しかし、その質問に、幸は少し考えてから答える。
「多田さんは僕の飼い主です。怖いけど……好きです」
「飼い主?」
沢井は、多田の言いそうな事だとは思ったが、流石に幸の口からその言葉が出るとは思ってもみなかった。
「沢井さん?」
幸は、沢井が険 しい顔で考えているのを不安そうに見る。
その様子は、自分がされているのがどういう事か、気付いてすらいないようだった。
「ボスには、いつもどんな事をされてるんだい?」
そこで、沢井は試しに聞いてみた。
「それは……」
流石に、幸もこの質問には言い淀む。
「今はボスがいないんだから、嫌なら嫌って言っていいんだよ」
今度は、幸はすぐに首を横に振った。
「嫌じゃないです。必要にされるのは嬉しいし……。でも、沢井さんには……」
幸も、それが何か分からないながらも、大好きな沢井に伝えるのは躊躇 われた。
「俺には?」
尋ねられると、幸は困ったような顔をしてから、沢井に抱きついた。
「大好きです」
誤魔化すようにとった幸の行動に、沢井は愛しさを感じて抱きしめた。
「俺も大好きだよ」
沢井にとっては、ただの子供騙しのおままごとのようなものだったが、幸はそれを無邪気に信じている。
その様子に、沢井の胸がまた痛んだが、それを押し殺すように幸に深く口付けると、そのままベッドに倒れ込んだ。
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