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第三章(二十九)特別な仕事
次の日の朝、沢井 は携帯の着信音で目を覚ました。
「んっ?」
ベッドで寝転がったまま、携帯を手で探して、寝ぼけた頭のまま画面も見ないで電話に出た。
すると、受話器の向こうから、多田 の声が聞こえて来て、沢井は慌ててベッドから起き上がる。
「あ、ボス。お疲れ様です」
それに、多田は急 かすように聞いて来る。
『幸 の調子はどうだ?』
多田の声の調子は何処かいつもと違っていて、沢井は不審に思いながらも質問に答えた。
「昨夜は熱があってずっと寝てました。今もまだ寝てます」
『熱は下がったか?』
「いえ。まだ測ってないので分かりません」
そう言いながら、沢井が隣りで眠る幸の顔を見ると、穏やかな表情ですやすやと眠っていた。
沢井が幸の額に手を当ててみると、熱が下がっているように思えた。
そうして、沢井が幸の寝顔を見ていると、多田が急かすように告げる。
『すぐに確かめてくれ』
「分かりました」
沢井は返事をすると、体温計を手に取り、幸の脇に挟む。
多田は、幸に仕事をさせるつもりか、抱きたいかのどちらだろうと、沢井は思った。
どちらにしても、幸の体を酷使する事に変わりはなく、沢井はもう少し休ませておいてやりたいと思う。
ぼんやり考えていると「ピピッ」と体温計が鳴った。
もう熱は下がって平熱になってはいるが、まだ幸は病み上がりで疲れているに違いない。
熱が下がったと言えば、幸を連れて来いと言うに違いなく、沢井はそのまま伝えるべきか少し悩んだ。
『何度だ?』
しかし、多田にも電子音が聞こえたようで、急かすように言って来る。
沢井は、サバを読もうかとも考えたが、つい正直に答えてしまった。
すると、多田はすぐに沢井に告げる。
『じゃあ、準備を済ませたら、すぐに幸を事務所に連れて来てくれ』
「え?」
沢井は「やはり」とも思ったが、つい間抜けな声を出してしまった。
『なんだ? 不満か?』
多田は、沢井の応答に対し、不機嫌そうな声で聞き返す。
確かに、沢井は、不満な事がてんこ盛りだったが、多田の命令に逆らう事も出来ない。
「いえ、分かりました」
『早くな』
返答を聞くと、多田はそれだけ言って通話を切った。
沢井は舌打ちをすると、通話の切れた携帯を布団に投げ捨てた。
気が進まなかったが、沢井は幸を連れて事務所を訪れた。
「失礼します」
沢井は一礼して、執務室に入る。
「待っていたぞ」
多田はそう言うと、椅子から立ち上がり、幸の傍に行った。
「調子はどうだ?」
聞かれて、幸は申し訳なさそうに俯 く。
「ごめんなさい」
しかし、仕事を休む事になったのは、多田が無理をさせた事が原因なのだから、幸が悪い訳ではない。
「気にするな」
多田はそう言うと、幸の頭に手を乗せた。
それから、幸の目を見て、改まった感じで告げる。
「それより、今から大事な仕事がある」
「仕事?」
幸は、大好きな鍵開けの仕事が出来るのだと、目を輝かせた。
「ああ。ただ、今回はいつもの仕事とは違う。だが、幸にしか出来ない特別な仕事だ」
多田に違うのだと言われ、幸はがっかりするが、同時になんの仕事だろうと思い、不思議そうに首を傾 げる。
ここでの幸の仕事は鍵を開ける事だけで、他に仕事と呼べるものがあるとするなら、多田に抱かれる事くらいだ。
しかし、聞く限りではそのどちらでもないらしい。
「説明は後だ。行けば分かる」
多田はそう言うと、不安顔の幸の肩に手を回し、一緒に執務室から出て行く。
それを見て、沢井も後について行こうとすると、多田がそれを制した。
「沢井、お前は来なくていい。ここに残ってトラブルの処理をしてくれ。詳しい事は聞けば分かる筈 だ」
「トラブル?」
沢井は何も聞かされていなかったので、その言葉に怪訝 な顔をする。
それに、多田が幸をこの場で抱かない事にも違和感を覚えた。
「ああ。後は任せた」
しかし、多田は取り付くしまもなく告げると、構成員を一人連れて事務所を後にした。
沢井は、二人が出て行ったドアをしばらく見つめていたが、仕事があるのだからと頭を切替えた。
「何があったか教えてくれ」
沢井は椅子に腰かけると、構成員の一人に話しかける。
質問されて、構成員が昨夜の出来事を詳しく説明した。
聞けば、日下の独断による失策で、事態はとても深刻なものだった。
沢井は舌打ちをするが、今更、日下の責任を追及したところでどうにもならない。
構成員に進捗を聞いて、出来得る限りの対策を講じる事にした。
取り敢えず、今後の対策の為にも、多田が何をしに行ったのか知る必要がある。
「おい。ボスは何処に行ったんだ?」
沢井が尋ねると、構成員が答える。
「川上先生の所に挨拶に行くと言っていました」
それを聞いて、沢井は慌てて椅子から立ち上がった。
「川上だと!」
川上は、色んな噂の絶えない人物だが、取り分け少年趣味は有名で、綺麗な少年を女装させて抱くのが好きなのだと言う。
それは沢井も知っている話だったので、多田が幸にさせようとしている事がすぐに分かった。
「幸を売る気か!」
沢井は慌てて事務所を出るが、だからと言って何か出来る訳でもない。
そもそも、幸は多田の所有物なのだから、沢井に口出しする権利はないのだ。
しかし、一緒に暮らしていれば、利用しているだけとは言え、情も湧いて来る。
それに沢井は、幸がうわ言で母を呼ぶ声を聞き、泣き言ひとつ言わず、健気に耐えている事に心動かされてもいたのだ。
「クソッ」
沢井は何も出来ない苛立ちを椅子にぶつけた。
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