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第三章(三十四)弁護士

 川上(かわかみ)が、今回の件を任せたのは、三枝尚(さえぐさひさし)と言う弁護士だった。  三枝は、スラリとした体型で整った顔立ちをした男だ。  見た目が年齢より若く見える(ため)、まだ駆け出しと思われる事も多いが、請けた依頼は完璧にこなすという凄腕(すごうで)の弁護士である。  川上はその腕を買って、よく仕事を依頼しており、三枝も、法律に抵触しない範囲ではあれば、引き受けていた。  しかし、川上とは事情があって手を組んでいるだけで、好きで請けている訳ではない。  そもそも、川上については、ついぞ、いい噂など聞いた事がないのだ。  その少年趣味は界隈(かいわい)では有名な話だし、他にも、殺人教唆(さつじんきょうさ)脅迫(きょうはく)など、悪い(うわさ)列挙(れっきょ)にいとまがなかった。  今回の依頼も、貴金属を盗まれた財界の権力者と、密売組織との示談(じだん)を進めて欲しいというもので、(うし)(ぐら)い匂いがプンプンする。  表向きは、密売組織に縁のある日下と言う男が、一人で窃盗に入ったのだが、組織の内部に捜査が入ると面倒だから、穏便(おんびん)にすませて欲しいと言う事だった。  しかし、これだけの仕事を一人で出来るとは到底思えないし、今回の件に密売組織が絡んでいるのは明白だったが、三枝にとっては、裏の事情など知らない方が都合がいい。  三枝は、先方に着くとすぐ、応接室に通された。  いつもなら示談金の交渉がまとまれば、何事もなく解決するであろう案件なのだが、相手がゴネてなかなか話が進まない。  相手は裏に川上がいると分かっているのだ。  三枝は、相手と面識はあるので、川上の件がなくても元々一筋縄では行かないのは分かっている。  盗んだ金品の変換と、示談金の支払いで許して(もら)おうと交渉するが、有り得ない金額を提示して来て話にならない。  このままでは交渉決裂となりかねないが、先方がプライドを優先するのであれば、三枝にもまだ手はある。  それに、先方はまだ告訴(こくそ)はせず、話し合いにも応じてくれているのだ。  しかし、これ以上、交渉に時間をかけるのは得策ではない。  早めに日下に自首させた方が、組織への捜査が緩む可能性も高いのだ。  三枝は、考えた末、先方の矜持(きょうじ)が保てる提案をする。  すると、相手はやっと首を縦に振った。  はじめから先方も、川上と事を構えるのが得策でないのは承知しており、落とし所を探していたところだったのだ。  三枝は、ただ、それを提供したに過ぎない。  以降はスムーズに事が運び、こちらからは、金品の返却と相場通りの示談金を支払う事で合意した。  三枝は、川上に連絡してから、密売組織の事務所へと向かった。  事務所に着くと、三枝は多田(ただ)と日下の待つ執務室へ通された。  三枝は形式的に軽い自己紹介をすませると、早速本題に入る。  示談の内容は前もって連絡していた事もあり、話し合いは簡単に終わった。  日下には自首して貰い、後は黙秘(もくひ)を続け、都度(つど)、三枝に何を答えるか確認する手筈だ。  密売組織の件については、川上も承知している事なので、根回しはして貰える。  日下が留置所に入れられても、想定通りに事は進むだろう。  しかし、これだけ手をかけるなど、胡散臭いとしか言いようがない。  それでも、密売組織の犯罪の証拠がない以上、やってないと言われるのであれば、三枝はそれを信じるだけだ。  打ち合わせが終わると、三枝は日下を連れて警察に向かった。  三枝が出て行くと、沢井(さわい)が急いで執務室に入って来た。 「ボス。それで、話はどうなりましたか?」  沢井は、部屋に入ると、開口一番こう言った。  多田は、その様子を見て鼻で笑う。 「話じゃなくて、お前が気になるのは(みゆき)の事だろう?」 「まさか。気になるのは組織の事に決まってるじゃないですか」  多田はそれを聞いて、沢井にソファに座るように命じた。  沢井は落ち着かない様子だったが、指示されるままに腰を下ろす。  それを確認してから、多田はゆっくりと口を開いた。 「日下に自首して貰う事になった」 「自首?」  沢井は聞き返す。  日下に罪を着せるにしても、取り調べで組織の事を黙っているとは、沢井にはとても思えなかったのだ。  言わなくとも、沢井の考えは態度に出ていたので、多田はすぐに察して、それに続く答えを返す。 「何、問題はない。その辺は川上先生が手を回してくれる。それに、日下には、こっちの言う通りにすれば金を渡すと言ってあるし、(しゃべ)ったらどうなるかも、しっかり分からせてある」  多田は黒い笑みを浮かべてから沢井を見る。 「それで? 幸の事は聞かなくていいのか?」  沢井は、幸の事が気になってはいたが、いきなり指摘されるとは思ってもいなかった。  しかし、数日前に幸の事で取り乱していたのだから、多田に言われても仕方がない。  今は聞くべきではないと分かっていたが、沢井はどうしても、幸の事を聞かずにはいられなかった。 「幸……というか、幸の仕事がどうなったのかは気になりますが……」  沢井は聞くと言っても、多田の手前、煮え切らない言い方になる。  多田は、沢井の様子を観察しながら、ゆっくりと答えた。 「川上先生はいたく幸を気に入っているようで、実にスムーズに事を進めて貰えたよ」  沢井は、幸がヘマをしでかしてなくて良かったと思ったが、同時に、気に入っているというのがどういう状態なのか少し不安になった。  気に入って優しく可愛がって貰えているのならいいが、酷い事をされている可能性もある。 「それで、幸……」  沢井が更に(たず)ねようとするのを多田が手で遮った。 「もういいだろう。それとも、幸に惚れたのか?」 「まさか。ボスのお気に入りに手を出すつもりなどありませんよ」  沢井も、幸の面倒をみていた手前、情は移っている。  確かに、心配なのは事実だが、幸に惚れているなどと思った事もなかった。  しかし、多田の言葉を聞いて、沢井は心が(ざわ)めくのを感じた。 「どうだかな」  多田はそう言うと、沢井の心の中を見透かしたように、鼻で笑い飛ばした。

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