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第四章(二) 問題山積み

「何? どうしたの?」  状況が飲み込めず、大河(おおかわ)が聞いて来るが、三枝(さえぐさ)はそれには答えず開け放しの玄関から外に出ようと(くつ)に足を入れた。  そして、部屋の外に出ようとしてから、ふと立ち止まると、三枝は思いついたように大河に声をかける。 「悪いけど(ねん)(ため)、受付に連絡しといて(もら)えないか?」 「分かった」  大河の返事を聞くと、三枝は急いで部屋を飛び出して行った。  三枝の部屋はこのマンションの二十五階にある。  降りるにはエレベーターを使わなければならないし、都合よくこのフロアに止まってでもいない限り、乗り込む前に捕まえられると三枝は考えていた。  しかし、運の悪い事に、二基あるうちの片方のエレベーターは、もう下の階に向かっている。  三枝は、もう片方のエレベーターのボタンを押すが、まだ来る(まで)に時間がかかりそうだった。  流石に、もう追い付く事は出来ないが、受付で止めて貰える(はず)なので問題はない。  元々、幸が外に出そうになったら止めて欲しいと頼んでいる上に連絡迄しているのだ。  三枝が部屋を出てすぐに、大河が受付に内線をかけると、まだそれらしい子供は通ってないという事だった。  マンションを出るには受付の前を必ず通らなければならないので、幸はこのマンションから出ていない事になる。  大河は、幸はすぐ捕まるだろうと安堵のため息をつく。  それから、すぐ三枝に電話をすると、ワンコールもしないうちに出た。 『どうだった?』  大河が話すのを待たずに、電話の向こうから、三枝の慌てた声が聞こえる。 「まだ、ロビーまで降りてないって」  それに、三枝の小さく息を吐く気配がした。 『サンキュー。じゃあ、俺は受付に行ってみる』 「分かった」  大河は返事をすると電話を切った。  何があったのか大河には全く分からなかったが、三枝の大きな声は、ドアを閉めていてもリビングに筒抜(つつぬ)けだった。  その中で、三枝が言った中に「レイプ」と言う言葉が聞こえた。  三枝は大河に、多田(ただ)の事務所での事は何も伝えていない。  だから、大河が知っているのは、三枝が弁護をしている男の子供で母親は蒸発しており、劣悪(れつあく)な環境で暮らしていたと言う事だけだ。  大河は、劣悪な環境について気になってはいたが、言えない事情があるのだろうと詳しくは聞かないでいた。  しかし、流石(さすが)にこれは不穏(ふおん)過ぎる。  大河が、幸はどういう環境で暮らしていたのだろうと考えていると、しばらくして三枝から電話が来た。 「幸、捕まった?」  大河が(たず)ねるのに、三枝は動揺した声で聞き返す。 『そっちにいないのか?』 「え?」  大河が驚いて声を()らすと、三枝が心配そうな声で続ける。 『いつまで経っても降りて来ないんだ』 「途中のフロアにいるんじゃないの?」 『分からない。とりあえず、今から探してみる』  しかし、マンション中など、とても一人で探せる広さではない。 「私も行こうか?」  大河が提案するが、三枝はあっさりと断った。 『嫌、いい。大河は部屋にいて、幸が帰って来たら連絡してくれ』 「了か……」  大河が返事をしかけるが、三枝はそれを待たずに電話を切った。  切れた電話を握りしめて、大河は頭を悩ませる。 「でも、待っとくって言っても、どうすればいいんだろう」  大河は落ち着く事が出来ず、しばらくリビングを歩き回っていたが、そんな事をしていても始まらないと、勢いよくソファに腰を下ろした。  そして、腕組みをして考えてから、大河は突然大きな声を上げる。 「あっ! (なべ)!」  大河は立ち上がると、慌ててキッチンに戻った。  その時、幸は一階を彷徨(さまよ)っていた。  エントラスを出るには、受付の前を通らなければならない。  幸は、連絡が入っている事を知っていた訳ではないが、人のいる前を通って行くのは躊躇(ためら)われて、別の出口を探していたのだ。  そうして、しばらく探していると「非常口」と書かれたドアを見つけた。  幸は漢字が読めなかったが、なんとなく外に出る事が出来る気がして、ドアを開けようとしてみたが、(かぎ)がかかっているようで開かない。  しかし、そのドアはアナログ(じょう)だったので、幸にとって開ける事は造作(ぞうさ)もない事だが、いかんせん道具を持っていない。  幸はしばらく考えていたが、外に続いているかも分からないドアに時間を取られている訳にもいかないと、他を探す事にした。  それから、辺りを見回していると、幸は別のドアを見つけた。  幸がドアノブに手をかけると、今度のドアは鍵がかかっていおらず簡単に開ける事が出来た。  それは、外に通じてはいなかったが、どうやら用具室だったらしく、様々な物が置かれている。  幸が何かないかと探してみると、ちょうどいい針金を見つけた。  道具があれば、幸にとって鍵を開けるのは簡単だ。  幸は針金を使って解錠(かいじょう)すると、ドアを押し開ける。  すると、そのドアはマンションの裏手の駐車場に繋がっており、そこから幸は外に出る事に成功した。  三枝はと言うと、なんの宛てもないまま、マンション中を探し回っていた。  このままでは、見つからない可能性が高かったが、緊急事態と考えた受付が、監視映像を調べてくれる事になった。  そして、非常口から外に出る子供の映像を見つけると、すぐに三枝の部屋の内線に連絡を入れた。  連絡を受けたのは、部屋で待機していた大河だった。  大河は、通話を終了すると、急いで三枝に連絡を取る。 「受付から連絡あったんだけど、幸は裏口からマンション出てたって!」 『え? 裏口なんかあったのか?』  三枝は慌てた声で返す。 「幸、この辺の地理なんて分からないよね? どうする? 警察に連絡する?」 『捜索願(そうさくねがい)は俺が出しとく。俺のカバンだけ持って降りて貰えないか?』 「カバン?」 『ソファに投げてあると思う』 「分かった」  大河は電話を切ると、三枝のカバンを持って部屋を出た。  ロビーに降りると、三枝はソファに座って待っていたが、大河を見つけるとすぐに立ち上がって駆け寄る。 「持って来たけど」  不思議そうな大河に、三枝が告げる。 「ありがとう。(とどけ)に必要だったんだ。じゃあ、大河はこのまま家にいてくれ」  大河に告げると、三枝は慌ててマンションを出て行った。  しかし、大河には何がどうなっているのかさっぱり分からない。  確かに、幸が帰って来た時に誰もいないと困るだろうし、大河も家で待っているのが正解なのは分かるが、何故(なぜ)釈然(しゃくぜん)としなかった。 「幸ってどういう子なんだろう?」  三枝は、幸が多田の所に戻る事にでもなれば大変だと、酷く慌てていた。  連れ戻す事は出来ると思うが、色々と面倒な事になるのは間違いない。  今の所、怪しい動きはないが、用心するに越した事はないのだ。  三枝はタクシーを拾って警察署に行き捜索願を出すと、マンションを出てから行きそうな場所まで戻り、通行人などに目撃情報を聞きつつ幸の足取りを追った。  幸は目立つ容姿をしている上に、靴を()いていなかったと言う事もあり、聞き込みはスムーズにいった。  三枝も、これならすぐに見つかるだろうと安堵した。  それと同時に疲れもどっと出て来て、三枝は、ビルの壁に寄りかかって大きく息を吐く。  三枝は、子供を預かると言う事が、これ程迄に大変なものとは、思いもしなかった。  確かに、気まぐれに引き取ったとは言え、責任を投げ出すつもりは毛頭ない。  ここで、三枝が放り出せば、幸はまたあの生活に逆戻りだし、そんな事はさせられない。  しかし、(だま)されていると気付かない事も含め、問題は山積みだった。  三枝は少しだけ休むと、また聞き込みを始める。 「すみません。迷子の男の子を探しているんですけど……」  そうやってしばらく聞き込みを続けていると、幸が制服の警官に連れて行かれたと知った。 「ありがとうございます」  三枝は礼を言ってから、大河に電話をかける。  しかし、大河の元にはまだ警察からの連絡は入っていないようだった。  三枝は、連絡に行き違いがあったのだろうと、こちらから電話をかけてみる事にした。

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