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第四章(三)取調べ

 (みゆき)はマンションを飛び出し走り続けた。  しかし、マンションを出たはいいが、行く()てなど何処(どこ)にもない。  組織の事務所や沢井(さわい)の住むアパートに行きたい気持ちはあるが、場所も分からなければ、連絡先も分からない。  三枝(さえぐさ)が事務所から幸を連れて来たと言う事は分かっていたし、多田(ただ)や沢井も幸がここにいるのは知っていると思われた。  もし、捨てられたのでないのならば、三枝の所で待っていれば、迎えに来て(もら)える可能性もある。  しかし、だからと言って、三枝の元に戻る気にはなれなかった。  幸は、しばらく走ってから、マンションからもだいぶ離れただろうと、足を緩めてゆっくりと歩き始める。  そこで、落ち着いて周りを見ると、辺りに沢山の人がいる事に気付き驚いた。  人見知りの幸には、人が大勢いるだけでも怖いのに、その上、じろじろと見つめてくる視線に(さら)されて、怖気付(おじけづ)いてしまう。  (くつ)()かずに街中を走っているとなれば、何事かと気になると言うものだ。  我関(われかん)せずと無視を決め込む者もいれば、興味本位で見て来る者や心配して見て来る者など、様々な考えの人がいるのだが、理由がどうであれ、怖いものは怖いのだ。  その内の、心配して見ていた何人かは、幸が走るのをやめた事で、声をかける事が出来るようになったと近寄って来た。  そして、一番早くに幸の(そば)に来た女性が、代表して話しかける。 「どうしたの? 大丈夫?」  確かに、その女性は優しそうではあったが、知らない人な上に、他に数人の大人も近付いて来ているのだから、幸は怖くなってその場から逃げ出してしまった。  そして、とりあえず人の少ない方を目指して走って行く。  幸もこうなっては、マンションに帰った方がいいのではと思うのだが、帰ろうにも何処をどう通って来たのかも分からない。  どうすればいいか分からぬまま、それでも人混みからは逃げるように走って、路地を一本入ったところで足を止めた。  すると、今までの疲れがどっと出て来て、幸はその場にしゃがみ込んでしまった。  幸が(うつむ)いて肩で息をしていると、不意に頭上から声をかけられた。 「日下、幸君?」  名を呼ばれて幸が顔を上げると、そこには制服姿の警官がいた。  警官は捜索願(そうさくねがい)が出されていた子を探している時に、不審な子供がいると通報も受けていた。  その内容が、同一人物であるらしかったので、聴き込みをしながら探していたところ、うずくまる幸を見つけたと言う訳だった。 「大丈夫かい?」  警官は、幸を心配して優しく話しかける。  しかし、警察にあまりいい思い出のない幸は、慌てて立ち上がって逃げようとするが、警官にあっさりと腕を掴まえられてしまった。 「警察だから安心して」  幸には、安心など出来よう(はず)もなかったが、そのまま警察署に連行された。  警官は幸を連れて警察署に行くと、まず一番に捜査三課の刑事に連絡を入れた。  それと言うのも、一人の刑事が、幸の捜索願が出ているのを知って、見つけ次第、身柄を自分に引き渡すようにと言っていたからだ。  その刑事は、今回の日下(くさか)の事件の背後に、多田の組織があると疑っていた。  しかし、日下にはうるさい弁護士がついている事もあり、なかなか思うように情報が聞き出せない。  そこへ、日下の息子の捜索願が出ている事を知り、取調べで情報を聞き出そうと考えたのだ。  幸が多田の事務所に頻繁(ひんぱん)に出入りしている事は刑事も勿論(もちろん)承知していたし、組織に関係のない子供が出入りしていたとなると、何をしていたかなど容易に想像がつく。  窃盗に関する情報を聞き出せれば一番いいが、例え知らなくとも、幸から多田との関係を聞き出せれば、別件で逮捕して取り調べる事が出来るのだ。  幸は警察署に着くと、二人の刑事に引き渡され、取調室に連れて行かれた。  刑事の一人は幸に椅子(いす)に座るように告げると、笑みを浮かべて話しかける。 「お茶でも飲んで一息つくか?」  笑顔を向けてはいても、刑事の目は(するど)く、幸は怖くて目を合わせられない。 「遠慮しなくていいから」  怖くておどおどする幸に、刑事がもう一度、茶を勧めて来た。  幸は断る訳にもいかず、恐る恐るコップに手を伸ばすと、俯きがちに茶を一口だけすすった。  刑事はそれを見てから机の上に(ひじ)をつくと、前のめりの姿勢で幸にゆっくりと話しかける。 「多田剛(ただつよし)っていう人を知ってるね?」  そう言って、刑事は多田の写真を幸の前に置いた。  幸は、急に多田の事を聞かれ、驚いて顔を上げるが、刑事と目が合ってしまい再び下を向く。  その様子を見れば、隠し事をしているのは明らかだった。  それに、確認はしているが、幸が多田を知っている事はもう分かっているのだ。 「知ってるな?」  刑事は、強い調子で幸に(たず)ねる。  幸は怖かったが、正直に答えていいものか分からない。  それなら、何も答えない方がいいような気がして口を閉ざす事にした。  しかし、刑事は、追及(ついきゅう)の手を(ゆる)めようとはしなかった。 「とぼけてもダメだ! 事務所に出入りしてた事は分かってるんだ!」  刑事がきつい調子で問い詰めるが、幸は何も話そうとしない。  相棒(あいぼう)は刑事のやり方をじっと見ていたが、どんどんエスカレートして行く様子に(たま)らず口を(はさ)む。 「子供相手なんだから、もっと優しく聞けよ」  その言葉に、刑事は大きな音を立てて机を叩いて立ち上がった。 「じゃあ、お前がやってみろよ!」  刑事の態度に、幸はビクリと体を震わせる。 「ほら。そんな事したらダメだって」  そう言って、相棒は刑事の肩を叩いてなだめると、役割を交代する。 「ねえ、幸君。君がこの人と知り合いなのは分かってるんだよ。もし、何かされるのが怖くて話せないって言うなら大丈夫だよ。君に手を出させないように、しっかり守るから」  幸は、相棒は恐らく、多田が自分に悪い事をして来ると勘違いしているのだと思った。  しかし、例え多田が幸を捨てたのだとしても、自分に悪い事をして来る筈がないと信じている。  だから、この刑事が何故(なぜ)そんな事を言って来るのか分からず、考えるように(くちびる)に手を当てた。  相棒は、その態度を見て、幸が何か言おうとして悩んでいるのだろうと思い続ける。 「だから、この人について知っている事を教えてくれないかな? 悪いようにはしないから」  相棒は後もう一押しと声をかけるが、幸は多田を悪く思っているかも知れない相手に本当の事を答えるべきではないと思い、(ひざ)の上で(こぶし)を固く握り唇をきつく()み締める。  それを見ていた刑事は、(ごう)()やして相棒に近寄ると、大きな音を立てて机を叩いた。 「お前のやり方じゃ生温(なまぬる)いんだよ!」  そして、幸の襟首(えりくび)を掴んで引き寄せる。  それを見て、相棒はやれやれと言うように肩を(すく)めて、部屋の隅に移動した。 「多田について知ってる事を全部話すんだ!」  刑事は苛立(いらだ)たし気に大声を出し、大きな音を立てて机を叩く。  幸は(おび)えてビクリとしたが、それでも何も話そうとはしなかった。  流石(さすが)にここまで問い詰められても何も答えないなら、幸は本当に多田のしている事を知らないとしか考えられない。  それなら、多田が幸を抱いていたと言う証言だけでも構わないと、やり方を変える事にした。 「なあ。多田に無理やり犯されてたんだろ? 分かってるんだから全部話せよ」  刑事はそう言うと、幸の肩を抱いて顔を近付けた。 「セクハラ」  それを見た相棒が、呆れたように注意をしたが、刑事にやめる気配はない。 「犯されるって意味は分かるか? セックスって言った方が分かりやすいか?」  刑事は至近距離に顔を近付けて幸に質問する。 「子供に卑猥(ひわい)な言葉は(つつし)めよ」  相棒は、無駄(むだ)と知りつつ刑事に告げると、椅子に座って机に片肘(かたひじ)をついた。 「じゃあ、なんて言えば通じるんだよ!」  刑事は相棒を怒鳴りつけると、今度は幸の腕を取って立ち上がらせる。 「こんなふうに、体を触られたりされなかったか?」  そして、幸のシャツに手を入れる。 「後は、おしりにチンコを入れられたりとか」  そう言って、刑事が幸のズボンに手を入れようとするのを見て、流石に見て見ぬ振りをしていた相棒も、堪らず椅子から立ち上がる。 「流石に、それはアウトだろ!」 「言葉で分からないなら、直接、体に聞くしかないだろ!」 「理由をこじつけても、間違いなく犯罪だから」 「そんなもん。ここにはお前と俺しかいないんだから、お前が言わなきゃ問題ないだろ」 「いやいや、問題あるだろ。これは、流石に俺も上に言うし」  刑事は、相棒の言葉に舌打ちをすると、幸から体を離した。  それを見て、相棒はため息混じりに幸に告げる。 「このおじさん、何をするか分からないから。早く話した方がいいと思うよ?」  しかし、優しく聞かれても、幸は(すで)に一連の行動から刑事達が悪い人だと判断していた。  三枝が言っていた事は、多田や沢井には当てはまらないにしても、初対面の刑事がやって来るのは訳が違う。  幸は、刑事達には何も話してはいけないと、(さら)に口を固く結ぶ。 「強情(ごうじょう)なガキだな!」  いつまでも話さない幸に、刑事は苛立ちを覚えて大きな声を出す。  その声に、幸は怯えてビクリと体を揺らした。 「その子、怖くて(しゃべ)れないんじゃないの?」  相棒に言われて、刑事もその可能性に気付き、少しだけトーンダウンする。 「多田、知ってるよな? 答えてくれないか? 悪いようにはしないから」  しかし、幸は怯えながらも、口を固く閉ざして話そうとはしない。  刑事は最大限、優しく話しかけていたが、いつまでも喋らない幸に業を煮やして再び体を抱き寄せた。  そして、ズボンを脱がしかねない勢いの刑事を相棒が(たしな)める。 「この子、今、弁護士に引き取られてるらしいよ。訴えられたら面倒じゃないの?」 「あ? 弁護士? どうせそいつも、このガキ抱いてるんだろ?」  確かに、靴も履かずに逃げて来たと言うのなら、虐待(ぎゃくたい)されていたと言うのも十分考えられる話だ。 「まあ、その可能性も否定は出来ないけどね」  相棒はそう言って肩を竦めた。 

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