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第四章(四)引取り

 三枝(さえぐさ)は、(みゆき)が保護されたという情報を受けて、警察署に連絡を入れた。  しかし、何度聞いても、幸の事は知らないと言う。  このままでは(らち)が開かないと、三枝は直接警察署に足を運ぶ事にした。  そして、三枝が警察署に(おもむ)くと、しばらく待たされた後、幸に虐待(ぎゃくたい)をしているのではないかと疑惑が掛けられていると、全く根も葉もない事を言われた。  今迄(いままで)、幸はいないと言っていたのに、いると言って来たと思ったらこれだ。  三枝は、何か警察であったのだろうと思うのだが、何故(なぜ)こんな話になっているのか、さっぱり分からない。 「話が一貫(いっかん)していないのですが、どうなってるんですか?」  三枝は、幸が何か言ったのかと思ってみるが、嘘を言うような子には見えなかったので、その線はないと考えた。  だから、三枝には、より一層この事態が理解出来ない。 「()()えず、こちらで話を(うかが)いますね」  警官に言われて、三枝は小さな部屋に通された。  聞いてみると、やはり、幸が何かを言った訳ではなく、ただ(くつ)()かずに走っていたと言う一点だけで、虐待を疑われていると分かった。  ここでも、やったやらないの水掛(みずか)(ろん)で、話が一向に進まない。 「幸に聞いてください。そうすれば、誤解だって分かりますから」 「いや、本人は怖くて言えないようですが、様子がおかしくて、それで容疑がかかっている訳ですよ」  歯切れの悪い警官の応答に、三枝も、自分に嫌疑(けんぎ)がかかっているだけではないと気付いた。  そもそも、幸自身が虐待されていると言った訳でも、外傷がある訳でもないのに、決めつけられる理由が分からない。  それに、警察の対応を考えるに、幸をすぐに引き渡せない理由があるとしか思えなかった。 「幸に会わせてくださいよ。駄目(だめ)だって言うなら、こちらも色々と手を打たないといけなくなるんですよ」  三枝は、弁護士バッジをちらつかせて圧力をかける。  それが(こう)(そう)したのか、やっと警官が問合わせてみると言い出したので、事態は一歩前進した。  そして、法的な措置(そち)を取る前に、幸が三枝のいる部屋に連れて来られた。 「幸。大丈夫だったか?」  三枝が話しかけると、幸は目を()らすように足元に視線を移した。 「きつい事を言って悪かった。ごめん。謝るから、マンションに帰ろう?」  幸は少しだけ顔を上げて三枝を見る。 「はい……」  小さな声で答える幸に、三枝は安堵(あんど)のため息をついた。 「大河に車を回して(もら)うから」  そういうと、三枝は幸の肩に手を当てた。 「変な事されなかったか?」  聞かれて、幸は少し考える。  幸は、三枝にあまりいい印象を持っていなかったが、その表情などから自分の事を本気で心配してくれているのは分かる。  それに、幸は、三枝が日下(くさか)の弁護をしている事も知っていたので、多田(ただ)を嫌いだとしても悪いようにはしないだろうと考えた。  幸はしばらくしてから、三枝になら言ってもいいかと口を開く。 「多田さんを知っているかと聞かれました」  幸は、傍にいる三枝にも聞こえるかどうかの小さな声で答える。  三枝は、その様子を見て、幸は警察に、多田の事を何も話していないと(さと)った。  このやり取りから、三枝は、幸は多田に(だま)されてはいるが、機転のきく頭のいい子なのだと気付き驚く。  それと同時に、警察が幸を引き渡すのを(しぶ)っていたのは、日下と多田が繋がっているという手掛かりを幸から引き出そうとしていた(ため)だと(おも)(いた)った。 「クソ。気付かなかった」  多田が捕まったところでどうなる事もないだろうが、幸を使って逮捕しようとするとは考えもしなかった。  これは、完全に三枝の失態(しったい)で、自分の迂闊(うかつ)さを呪った。 「酷い事をされなかったか?」  三枝が尋ねると、幸は少し考えてから答える。 「体を触られて……」  小さな声で告げた言葉に、三枝は顔を(しか)めると警官を(にら)みつけた。 「誰が取調べをしたのか知りませんが、また後日、改めて連絡させて貰います」  それだけ言うと、三枝は幸を連れて警察署を後にした。  中で待っていても良かったのだろうが、三枝はそのまま待っている気になれず、幸を連れて警察署の外に出た。  そして、すぐに大河(おおかわ)に車で迎えに来てくれるよう連絡する。  しかし、待つと言っても靴を履いていない幸を連れ回す訳にもいかず、待ち合わせは警察署の敷地内となった。  二人は石垣の上に座って、ぼんやりと大河を待つ。 「嫌な思いをさせたな」  三枝が話しかけると、幸はその言葉には答えずにただ(うつむ)く。 「足、痛かっただろ? 家に帰ったら手当てをしないとな」  三枝は、子供の接し方など分からなかったが、最大限優しく声をかける。 「何も喋らなくて、頑張ったんだよな」  精一杯考えて告げた三枝の言葉に、幸は小さく(うなず)いた。 「幸にとって多田はどんな存在なんだ?」  三枝が続けて(たず)ねると、幸は躊躇(ためら)いがちに口を開いた。 「……助けてくれた人」  三枝は、学校の手続きなどの関係で、幸が(ほとん)ど学校に行っていない事を知っていた。  恐らく、多田は幸が何も知らないのをいい事に、手懐けているのだろう事は容易に想像出来た。  しかし、カウンセラーには多田の事を告げる訳にもいかず、話せていない事も沢山(たくさん)あるのだから、任せると言っても限界がある。  カウンセラーにも守秘義務はあるのだろうが、三枝には何も知らない他人を信じる事は出来なかった。 「何から助けてくれたんだ?」  三枝は、日下が幸を虐待しているのを知っていたので、誰から助けて貰ったのかは分かっていたが、あの扱いを見る限り、多田が幸を助けたとは言い難い。  幸は聞かれて、三枝に言うべきか、しばらく考える。  そして、口を開こうとした時、車のドアが開く音がして、続いて大河の声が聞こえた。 「タイミング……」  三枝は(ひたい)に手を当ててため息をついた。  また後で聞く時間はあるだろうが、その時に答えてくれる保証はない。  大河に罪はないのだが、せっかくのチャンスだったのにと、悔やまれて仕方がなかった。 「お待たせ。幸の靴も持って来たよ」  大河が声をかけると、幸が安心したように目を細めた。 「帰ろう」 「はい」  三枝は、幸の態度が、自分の時と大河の時とで(いちじる)しく違う事に、やるせない気持ちになる。  しかし、一緒にいる時間も違えば、子供に対する接し方の違いもあるのだろうから、諦めるより他なかった。 「大河ありがとう。帰りは俺が運転する」  三枝はそう言って、大河が所有する軽自動車の運転席についた。 「壊さないでね」  大河はそう言いながら、幸を連れて後部座席に乗り込む。 「これでも無事故無違反のゴールドドライバーだよ」  三枝はうんざりしたように言うと、アクセルを踏んでゆっくりと車を発進させた。  後部座席の二人はシートに落ち着くと、大河の方から幸に声をかける。 「疲れたでしょう?」 「少し……」 「帰ったら夕飯出来てるよ。幸と一緒に作った煮魚」  それを聞いて、幸は夕飯の手伝いを放り出していた事を思い出す。 「あ、途中で出て行ってごめんなさい」 「大丈夫。あれは三枝が悪い」 「誰が悪いって?」  三枝は少しだけ会話に加わるが、誰もそれを拾おうとしない。  その(あつか)いの酷さに、三枝はため息をついて考える。  幸は無口な上に三枝も子供の扱いに慣れていないので、二人きりだと会話が成立しない。  さっきも無視したのではなく、なんと返したらいいか分からなくて何も言わなかっただろう。  しかし、大河は、幸が何を言いたいか汲み取る事が出来るようで、今も後ろで会話がなされている。  三枝は、大河を呼んで正解だったと思うが、いつまでも一緒と言う訳にもいかないので、二人きりになった時にどうなるのかと考えると不安で仕方がなかった。  その時までには、少しでも関係を改善(かいぜん)しておかねばならないのだろうが、三枝にはあまり自信がなかった。 「お風呂が先の方ががいい?」 「お風呂に入ってから、夕御飯を食べたいです」 「汚れたもんね」  三枝は、自分の発言を無視して続けられる二人の会話に、複雑な気持ちでため息をついた。

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