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第四章(七)編入学準備

 (みゆき)のフリースクールへの編入学が決まったが、新学期が始まる(まで)にそれほど時間がない。  そこで、(あわ)ただしく、学校に通う(ため)の準備をする事になった。  教科書などはスクール側が用意してくれるが、当然、身の回りの物は自分たちで用意しなければならない。  そこで、大河(おおかわ)が、幸を連れて街に出掛ける事になった。  それに際して、三枝(さえぐさ)から、幸を(ねら)う相手がいるから気を付けるようにと釘を刺されたが、大河は幸の境遇について何も知らないのでピンと来ない。  それでも、分からないなりに、三枝の言う事に従う事にした。  しかし、街の近くまでは車で行くので安全だが、車から降りて街を歩くとなると、気をつけるにしても限界がある。  第一、街は人が多いので幸とはぐれてしまう可能性もあるのだ。  大河は考えた末、手を握っておけば安心だろうと、幸に右手を差し出した。 「手、繋ごうか」  幸は小柄で、年よりも幼く見えるが、それでも中学二年の年になる男の子だ。  大河は幸が嫌がるかと思ったが、案外素直に手を握って来て安堵(あんど)する。  しかし、幸は手を繋いだはいいが、恥ずかしくなって(うつむ)いた。 「今から髪を切りに行こう」  大河は、幸が照れているのは分かっていたが、気付かない振りで話しかける。  幸はそれに「はい」と返事をしたが、(めぐみ)と出掛けた最後の外出を思い出し、心の中がざわめいていた。  それを追い払うように、幸は大河の手をきつく握りしめる。 「どうした?」  幸の様子に、大河は心配顔で問いかける。 「なんでもないです」  それに、幸は首を横に振って答えるが、不安そうにしている事は、大河にもすぐに分かった。  けれど何も聞かずに幸に笑顔で語りかける。 「じゃあ、行こうか」  そして、大河は、幸の手を強く握り返した。  美容室には、予約の時間より少し早く着いたが、待つ事なく席に通された。  担当は若い女性の美容師で、幸に笑顔を向ける。 「いらっしゃいませ」  幸は挨拶(あいさつ)をされて軽くお辞儀(じぎ)をした。 「カットって、今までどうしていたの?」  美容師は、幸の髪を触りながら(たず)ねる。  幸の髪は不揃(ふぞろ)いで、聞く迄もなく、店で切っていない事は一目で分かった。 「毛先がバラバラだけど自分で切ったりしてた?」 「ええと……沢井(さわい)さんに」  幸は俯いて、小さな声で答える。  しかし、当然、美容師は沢井の事など知らない。 「それって、親戚(しんせき)の人かな?」  幸にとって、沢井は親戚ではないのだが、なんと説明をしていいか分からず、俯いたままで小さく頷いた。 「そうなんだ。じゃあ、シャンプーしようね」  美容師に(うなが)されて、幸は椅子(いす)から立ち上がった。  カットが終わり、幸は自分の髪型を鏡で見せて(もら)った。  不揃いな毛先を揃える為に、全体的に短くカットされていたが、鏡で見るとボーイッシュな女の子といった感じになっていた。 「どう?」  美容師に聞かれて、幸は考える。  本当は、もう少し男の子っぽい髪型が良かったのだが、自分から伝える事が出来ずに、ただ礼を言う。 「ありがとうございます」  その言葉に、幸が気に入ってくれたのだと思い、美容師は嬉しそうに笑みを向けた。 「また来てね」  それに、幸は小さく頷いた。 「お疲れ様。よく似合ってるよ」  カットが終わった幸を見て、大河は明るい顔で話しかけた。  それに、幸は照れたように俯く。 「次は服を買いに行こうか」  大河はそう言って、幸に手を差し出した。  そして、幸が手を取ると、大河は左手で進行方向を指差す。 「この先をちょっと言った所なんだ。少し歩くから疲れたら言って」 「あ、はい」 「よし」  大河は幸の手を引いて、幸の歩幅に合わせるように歩き始めた。  大河が次に行ったのは、子供服の専門店だった。  今まで着ていた安原の子供のお下がりは、今の幸には少しサイズが大きいので、学校に行く時用に、何着か買っておこうと思ったのだ。  大河は子供服の事はよく分からなかったが、幸に合いそうな服を置いていて、値段がそれ程、高くない所と調べて、この店に決めた。  それでも、着替えも(ふく)めて何着か買うつもりなので、金額は(かさ)むだろうが、支払いは三枝からお金を渡されているので問題はない。  店に入ると、笑顔で店員が挨拶をする。 「いらっしゃいませ。何かご用があればお呼びください」 「はい」  大河が答えるのに合わせて、幸も軽く会釈(えしゃく)をした。  その後、大河は幸と一緒に服を選ぼうと思ったのだが、幸は何を聞いても困ったように首を(かし)げるだけだ。 「じゃあ、私が選んでいい?」 「はい」  幸の同意を得て、大河は自分の好みで服を選び始めた。  そこに、いつの間にか店員の一人が加わって一緒に探し始め、幸はすっかり着せ替え人形状態になる。  幸は、川上(かわかみ)のところでの出来事を思い出し、複雑な気持ちになるが、何も言えずに二人に身を任せる事にした。  それからしばらくして、大河は、幸を延々と着せ替えさせた挙句(あげく)、気に入った物が多過ぎて選びきれないと、予定よりも沢山(たくさん)の服を購入してから店を出た。  その後、他に必要な物も買い(そろ)えて、全部の店を回った頃には、もう随分(ずいぶん)と遅くなっていた。  大河は、夕飯の時間は過ぎていたし、このまま家に帰ろうかとも思ったが、三枝は仕事で遅くなるから食事はいらないと言っていたので、それなら幸と外食するのもいいかも知れないと考えた。 「何か食べて行こうか?」 「あ、はい」  幸は疲れてお腹も空いていたので、休めると同時に食事まで出来るのだと聞いて、ほっと息を吐いた。 「何が食べたい?」 「ええと……」  大河に聞かれて、幸はなんと答えていいか分からず口ごもる。  幸にとって、家族で外食をしたのは随分と昔の事で、沢井の所にいた時も宅配ばかりだったので、何があるのかさっぱり分からない。 「何か食べたい物を言ってくれたら、お店を探すよ?」  大河は、幸がこの辺りにどんな店があるか分からず困っているのだろうと思い、もう一度、問いかけた。  幸は重ねて問われて、頭を悩ませてから、遠慮(えんりょ)がちに答える。 「ええと、お味噌汁が飲みたいです」 「え?」  幸の予想外の答えに、大河が思わず声を出す。  それを聞いて、幸は何かいけない事を言ったのかと慌てて首を横に振った。 「ごめんなさい。なんでもないです」  大河は、幸の考えを()み取って、慌てて訂正する。 「いや、メインの食べ物を言ってくれると思ったから少し驚いただけで、幸は悪くないよ」  そして、目の前で手を振ると、大河は分かりやすく言い直した。 「ええと、味噌汁は脇役というかなんと言うか……。肉とか、何か、そう言う食べたい物ってあるかな? それで、味噌汁が付いて来るところを探すから」  しかし、幸はなんと答えていいか分からず、困って俯いてしまった。  結局、回転寿司を食べてマンションに戻ると、三枝がもう帰っていた。  二人が帰って来ると、三枝は心配そうな顔で駆け寄る。 「遅かったけど、トラブルでもあったのか?」 「買い物すましたら遅い時間になったから夕飯食べて来ただけだよ」 「何もないなら別にいいんだ」  三枝はそう言って安堵のため息をつく。 「帰り、早かったんだね」  大河は、三枝が仕事で遅くなるとばかり思い連絡をしなかったのだが、まさかこれ程、心配しているとは思わなかった。 「連絡つかないから心配したよ」 「え? 連絡して……」  言いかけて、携帯端末を見ると、一時間くらい前から何回かメーセージが入っていて、着信履歴(ちゃくしんりれき)も残っている。  三枝は返事がないので、何かあったのかと心配して戻って来たのだろう。  大河は申し訳ないと言うように目の前で手を合わせた。 「連絡しなくてごめん」 「いや、大丈夫。近くに来たから、ちょっと寄ってみただけだから」  そう言うと、三枝はソファに置いていたカバンを持って玄関(げんかん)に向かう。 「え? どこに行くの?」  不思議そうに尋ねる大河に、三枝は「仕事」とだけ言って、出て行こうとする。  その背に、大河はもう一度、大きな声で謝った。 「ごめん!」  そして、幸も深々とお辞儀をする。  三枝はそれを横目に、軽く右手をあげると、慌てた声で二人に告げる。 「行って来る。遅くなると思うから、先に寝といて」  そう言って出て行く後ろ姿に、大河はもう一度大きな声で謝った。

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