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第四章(八)初めの一歩
フリースクール初日を迎えた。
幸 は、大河 の車でフリースクールに向かう。
しかし、幸は、自分で決めた事とは言え、いざ行くとなると怖くなって来た。
勉強については、進み具合によってクラス分けがされるので、殆 ど授業を受けた事のない幸は、一番やさしいレベルのクラスから始める事になっている。
だから、勉強については、それ程、不安はないのだが、幸にとって周りに馴染 めるかが一番心配だった。
大河は、幸の様子を横目に見て、優しく声をかける。
「一番やさしいクラスって事はさ、幸みたいに学校行けなかった子もいるだろうし、気の合う子もいるかも知れないよ」
「はい」
幸は返事をすると、俯 いて膝 に乗せたカバンを握りしめた。
「着いたよ」
「あ、はい」
幸は考え事をしていたが、大河に声をかけられて、驚いて顔を上げる。
「大丈夫。職員室までは一緒に行くから。それに、今日は、学校が終わるまでここで待っておくよ。駄目 なら帰って来ていいからね」
「はい」
大河の言葉に後押しされて、幸は、覚悟を決めると、車を降りてカバンを背負 った。
それを見て、大河は助手席側に回り込むと、笑みを浮かべて幸のカバンに手を当てる。
「じゃあ、行こうか」
そして、大河は幸を連れて職員室に向かった。
校舎は二階建てのこじんまりとした建物だ。
廊下もあまり広いとは言えず、二人がすれ違う時に、肩が当たらない程度の幅しかない。
道中の廊下 には生徒がちらほらいたが、すれ違う時に例外なく幸を振り返った。
大人の女性に連れられて歩いているという事もあるのだろうが、恐らく一番の理由は幸の容貌だろう。
幸は大人しくて引っ込み思案 だが、それに反して薄茶色の髪と瞳は目立つだろうし、綺麗な容貌もあいまって、嫌でも注目を集める。
そもそも、不登校になったのは、それが原因の一つなのだ。
チラチラと向けられる視線に、幸はいたたまれなくなって俯く。
「幸。胸を張って歩けばいいんだよ」
大河は幸の様子に気付いて言うが、気にするなと言うのは無理な話だった。
その後も、大河は安心させようと話し掛けていたが、幸の頭には全く入って来なかった。
そうして、二人は職員室に到着した。
大河は入り口に立つと、事前に聞いていた担任の名を呼ぶ。
「おはようございます。斉藤恭平 先生はいらっしゃいますか?」
その声に、職員室中の人が振り向く。
その中の数人は、幸に気付くと視線を止めてその顔を見た。
編入学の前に写真も送っているのだが、教職員までもが生徒と同じような態度をとるのには、大河も閉口 した。
続けて文句でも言ってやろうかと思った時、一人の男が立ち上がった。
「あ、私が斉藤です。お待ちしていました」
そう言って、眼鏡をかけたひょろりとした男――斉藤恭平が立ち上がる。
そして、斉藤は二人の方に歩み寄ると、幸の前で足を止めた。
「君が三枝 幸君だね」
斉藤は膝 を折って幸の目線に合わせると、爽 やかな笑みを浮かべた。
幸は、諸事情 により「三枝」を名乗る事になっていたが、呼ばれる事にまだ慣れていない。
戸惑 いがちに小さな声で返事をすると、斉藤と目を合わせなように顔を背 けた。
その態度に、斉藤は苦笑しつつも、すぐに大河の方に顔を向けて声をかける。
「お母さんは、書類に不備がありましたので、あちらで記入をお願いします。幸君は私が責任を持って預かりますので」
「分かりました」
大河は母親ではないと言おうと思ったが、いちいち訂正するのも面倒だと、何も言わない事にした。
そして、大河が言われた所に行こうとするのを幸が不安そうな顔で見る。
そんな幸に、大河は安心させるように笑顔を向ける。
「大丈夫。外で待ってるから」
幸は不安そうにしながらも、小さく「はい」と返事をした。
「三枝君は、ここに座って」
斉藤は幸を自分の席に連れて行くと、隣の椅子 を指差した。
幸が戸惑いがちに、椅子に腰を下ろすと、斉藤は笑顔を向けて一枚のプリントを手渡す。
そこには、箇条書 きで三行の文が、読み仮名付きで書かれていた。
「これには学校の決まりごとが書かれているんだ。大事な事だから一緒 に読んでおこうか」
「はい」
幸がプリントを受け取ると、斉藤は顔を近付けるようにしてプリントを指差す。
「まず、他の子が、ここに来るまでの事は聞かない」
そして、次の項目を指差す。
「家庭の事は聞かない」
そして、最後の項目 を指差す。
「最後に、争い事はしない」
それから、幸の顔を覗 き込むようにして「分かったかい?」と尋 ねる。
「はい」
幸が答えるのに、斉藤は笑顔を返す。
「教室に行こうか」
斉藤はそう言って立ち上がり、幸を連れて職員室を出ると、周りから見えないように、そっと腰に手を当てる。
そして、斉藤は教室の前で足を止めと、幸から手を離し、教室のドアを開けた。
「ここだよ」
そう言うと、幸の前に立って教室に入った。
教室に入ると、生徒たちの目が幸に集中して、ざわめきが起きる。
「席に着いて」
それを鎮 めるように斉藤が声をかけるが、生徒達は鎮まらない。
幸は俯いてはいたが、整った顔立ちは十分見て取れた。
それに、幸の容貌は小学生の頃よりも一層綺麗になっており、中性的な魅力がある。
着ている服も、淡い色合いのシャツとカーディガンの組み合わせで、中性的な雰囲気が増していた。
生徒たちは幸の性別の判別に苦しんでいるようで「どちらだろう」という声があちこちで上がっていた。
「静かにして!」
斉藤が今度は少し大きな声で注意をすると、話し声はなんとか鎮まった。
「転入生を紹介します。三枝幸君です」
静かになったのを確認してから、斉藤は幸を紹介した。
名前に「君」が付けられていた事で男子と分かり、女子は歓声 を上げ、男子は落胆 のため息をつく。
「うるさいですよ!」
斉藤は再び注意してから、幸に自己紹介をするように促 した。
幸は頭を更 に下げて、小さな声で名乗る。
「くさ……三枝、幸、です」
幸の挨拶 が終わるや、一番後ろの席の身長の高い男子生徒が手を上げる。
「俺の隣に座れよ」
確かに、男子生徒の隣にスペースはあったが、空いた机が置いてある場所とは違っている。
しかし、男子生徒は、幸に声をかけるとすぐに立ち上がり、用意されていた机を自分の隣に持って行ってしまった。
「ほら、こっち」
それに、担任は眉 を顰 めるが、諦めたようにため息をついた。
「じゃあ、三枝君はあの席に座って」
幸は担任にペコリお辞儀をすると、急遽設 えられた自分の席に腰を下ろした。
「俺、二年の西尾出流 。出流って呼んでくれよ。よろしくな」
そう言って、出流が幸に手を差し出す。
「……よろしく、お願いします」
幸は緊張した面持 ちで挨拶すると、恐る恐る出流に手を差し出した。
出流はその手を握りしめて大きく振る。
「敬語、なしな」
「あ、はい……」
「分からない事があったら聞いてくれよな、幸」
「はい」
斉藤は二人のやりとりを少し見てから教室を見回すと、簡単に新学期の始まりの挨拶をして、徐 に教科書を開いた。
「では、国語の授業を始めます。今日は前回の続きから。西尾君は三枝君にどこからか教えてあげて」
「はーい」
出流は返事をすると、自分の机をピッタリとくっつけて、幸の教科書を開いてページを指差す。
「今日、ここから」
そう言って、出流が指差したページは、殆ど平仮名の簡単なもので、幸でも十分読めるくらいの内容だった。
それに、声をかけて貰 った事が嬉しくて、幸は微 かに笑みを浮かべると、小さな声で「ありがとう」と礼を言った。
「気にすんな」
すると、出流は照れたように言って頬 をかく。
それから、自分の席に置かれた電子辞書を持ち上げて幸に見せた。
「分からなかったら、これ使っていいからな」
「あ、はい」
幸は返事をすると、カバンから電子辞書を取り出す。
それは、この前の買い物の時に買って貰った物だが、優一 を思い出して懐かしい気持ちになった。
ぼんやりと見つめている幸に、出流は不思議そうに声をかける。
「どうした?」
それに、幸が首を横に振る。
その時、斉藤が出流の傍 まで来て、机を軽く叩いた。
「じゃあ、西尾君。続きから読んで」
出流は嫌そうな顔で立ち上がると、たどたどしい調子で教科書を始めた。
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