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第四章(九)初めての友達

「それでは、これで一限目の授業を終わります」  斉藤(さいとう)はそう言った後、出流(いずる)を見て告げる。 「じゃあ、西尾(にしお)君。後で三枝(さえぐさ)君に校舎を案内してあげて」 「了解!」  出流は席から立ち上がり、大きく手を挙げて答える。  机を強引に自分の(となり)に移動する程に、(みゆき)の事を気に入っていたので、出流はこの役目を(おお)せつかって大喜びだ。  今すぐにでも案内をしたかったが、校舎はあまり広くないとは言え、授業の合間(あいま)の一〇分休憩では回れそうにない。 「昼飯の後、案内するよ」  出流は、幸の机に両肘(りょうひじ)をつけて身を乗り出して言う。  幸も、出流が悪い相手だとは思っていないが、こうも積極的に来られると反応に困ってしまう。  それでも、案内してくれると言うのだから礼を言わなければと、幸は上目遣(うわめづか)いに出流を見て、戸惑(とまど)いがちに告げる。 「ありがとう」  出流は初めて見る幸の表情にドキリとした。 「どうって事ないさ」  出流は、慌てて幸から顔を(そむ)けると、バツ悪そうに頭をかいた。  昼休憩になると、出流が自分の机を引っ付けて来て、幸に声をかける。 「一緒に食おうぜ」 「あ、はい」  幸は、まともな返事は出来なかったが、出流に話しかけられて嬉しくて仕方がない。  誰一人、知った人のいないところで、酷い事をされないか、周りに馴染(なじ)めるかと、ずっと心配していたのだ。  自然、顔が(ほころ)ぶ。  その笑顔に、出流は、またしてもドキリとさせられて、視線を彷徨(さまよ)わせる。 「食べようぜ」  出流は、誤魔化(ごまか)すように言って、コンビニのビニール袋を手に持った。  幸は、ランチバッグを机に置いて、大河(おおかわ)が作ってくれた弁当を取り出す。  出流は幸が弁当箱を出すのを横目に見ながら、自分の弁当を袋から出して机に置く。  それから、出流は自分の弁当を食べようとして、幸が弁当を開けるのが目に入り、箸を止めた。  幸の弁当は、白身のフライに、煮物、卵焼きなどが綺麗に盛り付けられていた。 「母ちゃんが作ってくれたのか?」  出流が(たず)ねると、幸は少し考えてから首を横に振る。 「お母さんじゃないよ」 「へえ、じゃあ自分で作ったとか?」  それにも、首を横に振る。 「違う。めぐみさんが作ってくれたの」 「誰? 姉ちゃん?」  出流に聞かれて、幸は答えに困る。  そもそも、幸自身、大河が自分にとってどう言う存在なのか分かっていないので、説明のしようがない。 「えっと……」  幸がなんと答えていいか困っていると、近くの席にいた女子――鈴木彩花(すずきあやか)が、幸たちの方を振り向いた。 「家庭の事は聞いちゃいけない決まりでしょ」  (たしな)めるように告げる彩花に、出流は不満そうに口を(とが)らせる。 「うっせえな。弁当作ったのが誰か聞いてるだけだろ」 「それも家の事でしょ。それに三枝君も困ってるじゃない」 「うるせえよ」  出流も自分が悪かったとは思ったが、彩花に従うのが(しゃく)だったので、それだけ言うと幸の方に向き直る。 「弁当食べようぜ」 「はい」  弁当を食べ終わると、出流は勢いよく立ち上がり幸の腕を引っ張った。 「幸。行こうぜ」 「は、はい」  幸は椅子(いす)から立ち上がると、出流に手を引かれて教室を出た。  幸のいるクラスは校舎の二階だ。  この階には教室がいくつかあるが、出流はそれらを通り過ぎた先の奥まった場所に幸を連れて行った。 「まず、トイレな」  出流は説明すると、自分が行きたかったらしく、幸を連れて小走りにトイレに向う。 「ここ、ここ」  そう言いながら、慌てて便器の前に立つと手早く用をすませた。 「わりいわりい。幸はしなくて平気か?」  取り残されて、トイレの入り口で(たたず)む幸に、出流が話しかける。 「えっと……」  幸はそれ程行きたいと言う訳でもなく、戸惑いがちに俯いていたが、勧められたのだからと用を足す事にした。  それを出流が横から(のぞ)き込んで、がっかりしたような顔をする。 「やっぱり、男か」  そう言って肩を落とす出流に、幸はなんと言ったらいいのか分からず、恥ずかしそうにズボンのファスナーを上げた。  次は一階に行き、保健室に案内された。  それから職員室、その隣に多目的トイレ。  更衣室があって、近くに体育館代わりの少し大きめの部屋があり、外に出て小さな庭が校庭。  その後、調理室や自習室などを回った。  そして最後に、出流は、幸を校舎の外れに案内してドアを指差す。 「カウンセリングルーム。なんか困った時に相談する所。まあ、あんまり使う事はないだろうけどな」  そう言って、出流は幸を振り返る。 「これで終わり」  しかし、もう終わったと言うのに、出流は握った手をなかなか離そうとしない。 「えっと……」  幸が恥ずかしくて何か言おうとしていると、急に目の前のドアが開き、斉藤が出て来た。  幸が会釈(えしゃく)をして通り過ぎようとすると、斉藤が幸を呼び止める。 「三枝君」  幸は慣れない名前なので自分の事と思わず、そのまま通り過ぎようしたが、それを出流が引き止めた。 「幸、呼ばれてるぞ」 「えっ?」  幸が振り向くと、斉藤が笑みを浮かべて話しかけて来た。 「学校には慣れたかい?」  聞かれて、幸は(うなず)いて返事をする。 「はい」  斉藤はそれを聞いて、大きく頷き返す。 「それは良かった。私は大抵ここにいるから、何かあったらいつでもおいで」  幸がそれに再び会釈をすると、出流は早く行こうと言うように、手を引いて教室へと向かった。  そして、初日の授業が終わり、帰りのホームルームも終わると、出流が、荷物を片付けながら幸に話しかける。 「授業どうだった?」 「楽しかった」  出流は、笑顔で答える幸をあり得ないと言う顔で見る。 「授業なんて面白い訳がないじゃねえか。お前、変わってるな」  それに、幸は不思議そうに首を(かし)げる。  幸はずっと学校に行っていなかったが、いじめられたから行けなかっただけで、別に勉強が嫌いと言う訳ではない。  むしろ、知識欲はある方だったので学校に憧れはあった。  だから、幸は色々な事を学べる事が楽しくて仕方がない。  そして、そう思えるのは、出流に話しかけて(もら)い、一人きりにならずにすんだ事が大きいのだ。 「ありがとう」  幸が礼を言うと、何も知らない出流はきょとんとした顔になる。 「変わってるって言われて、お礼を言うなんて、お前って本当に変わってるな」 「え?」  何かおかしな事を言ったのかと、幸は慌てて口元を手で押さえる。 「また三枝君をいじめてるの?」  その時、後ろから声がして、出流が振り向くと、そこには帰り支度を済ませた彩花が立っていた。 「また、お前かよ!」 「そう言うの、やめなさいよ」 「えっと……」 「いじめてねえし!」 「でも、三枝君、困ってるじゃない」 「僕は……」 「困ってねえよな、幸?」 「困ってるよね?」  幸は、ずっと答えようと思っているのに、会話に入り込めずにいたのだが、やっと発言する機会を得る事が出来た。 「今は困ってるけど……。いじめられてはいないよ」  その答えに、出流が得意げな顔になる。 「困らせてるの、鈴木の方じゃねえか!」 「私が困らせてた?」  彩花は少し心配そうに幸の顔を覗き込む。  それに、幸が首を横に振る。 「慣れなくて」  出流と彩花は、幸の言いたい事が分からずに、お互いに顔を見合わせた。 「何がだ?」  代表して出流が聞くと、幸は下を向いて小さな声で答えた。 「会話するの」  二人は幸の答えに、納得した顔になる。 「きっと話してたら慣れるから大丈夫よ。一緒に話そうね」 「なんでも気にせず言えよ。俺たち、友達だもんな」 「えっと……」 「会ったばかりで友達って一方的に決めてるだけじゃない」 「そんな事ねえよ。なあ、幸」 「あ、はい」  勢いに押されて返事をしたが「友達」と言う言葉は、幸には、とても嬉しく感じられた。  それは、まだ本当の「友達」ではないかも知れないが、それでも幸の心に響いた。  目を細める幸を見て、出流は得意気に胸を反らす。 「ほら見ろ」  出流の態度に、彩花は(ほほ)(ふく)らませる。 「無理やり答えさせてるだけじゃない」 「そんな事ねえよな?」 「あ、はい」  もう一度、幸が頷くのを見て、出流は勝ち誇ったように彩花を見た。 「分かったか?」  彩花は出流の顔を悔しそうに見るが、すぐに幸を振り向く。 「西尾君と友達なの?」 「出流君がそう言うなら」  幸が照れくさそうに足元を見ると、出流も照れたように頭をかいた。  すると、彩花が大きな声で自分の意見を主張する。 「じゃあ、私も三枝君の友達になりたい!」  幸は驚いて彩花の顔を見る。 「ね。いいよね?」 「あ……」 「いい訳ねえだろ」 「西尾君には聞いてないでしょ」 「幸と、まともに話してもねえくせに」 「そんなの西尾君も一緒じゃない」 「幸、はっきり言ってやれよ」 「友達になってくれるよね?」 「……うん」  彩花に聞かれて、幸は戸惑いながらも、小さく頷いた。  それを見て、彩花は満面の笑みで幸の手を取る。 「鈴木彩花。彩花って呼んで。幸君と一緒の二年生」  どさくさに紛れて、幸を下の名前で呼ぶと、握った手を激しく上下に振る。 「よろしくね」 「よろしくお願いします」  幸が答えるのを聞いて、彩花は嬉しそうに笑みを浮かべた。  一段落(いちだんらく)ついたところで、彩花が辺りを見回すと、教室に残っているのは三人だけになっていた。 「みんな帰ったみたいだね」 「うん」  幸が答えると、出流が腕を取って引っ張る。 「幸、帰ろうぜ」 「あ、待って」  幸は慌ててカバンを持って立ち上がると、出流に連れられて教室を出た。 「私も帰るから、ちょっと待ってよ」  彩花はそう言って、二人の後について行った。

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