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第四章(十)嬉しい報告

 三人が校門の前に辿(たど)り着くと、駐車スペースに大河(おおかわ)の車が止まっていた。  大河は(みゆき)を見つけると、車から出て来て大きく手を振る。 「幸。おかえり」  出流(いずる)は大河を見て幸の耳元にボソリと(つぶや)く。 「お前の母ちゃん美人だな」 「えっと、お母さんじゃなくて……」  言おうとして、大河との関係をなんと言ったらいいのか分からず口ごもる。 「じゃあ、誰だよ?」  尋ねる出流の背中を彩花(あやか)が勢いよく叩いた。 「そう言うの聞いちゃダメって言われてるでしょ?」 「うるせえなあ」  出流はそう言いながら、面倒臭(めんどうくさ)そうに彩花から目を()らした。  二人の間に、何やら気まずい空気が流れているのを感じ、幸は戸惑(とまど)いながらもボソリと呟く。 「えっと、あの人が、めぐみさん」  それを聞いて、出流は手を叩く。 「あ、弁当の?」  幸はそれに(うなず)くと「じゃあ」と言って、大河の方に小走りに駆けて行った。 「お待たせしました」  幸は、大河の元に行くと、頭を下げる。  大河は、授業が終わるまで待っていると言っていたのだから、何時間かは分からないが、朝からずっと待っていたのは間違いない。 「あの、長い間……」  幸が、申し訳なさそうに言いかけるのを大河は笑顔で(さえぎ)る。 「大丈夫。動画見ながら待ってたから、全然退屈じゃなかったよ」  それでも、やはり申し訳なくて、幸は、もう一度、頭を下げた。 「ごめんなさい」 「気にしなくて大丈夫だって」  大河はそう言って、助手席側のドアを開ける。 「それより、車に乗って。家に帰ろう」  幸は、大河に言われて、助手席に乗り込む。  それを見て、大河は少し心配そうに(たず)ねた。 「お疲れ様。学校どうだった?」  それに、幸は(うつむ)いてはにかんだように笑う。 「友達が出来ました」 「え、凄い! それってさっきの子たち?」 「はい」 「幸、凄いよ!」  大河はそう言って、幸の髪をぐちゃぐちゃにする。 「家に帰ったら三枝(さえぐさ)に報告しようか」  二日目以降、どうなるかは分からないが、幸にとって初日は、とても充実して楽しいものだった。  こんな気持ちになれたのは、三枝が勧めてくれたお陰で、行って良かったと心から思える。  喜んで(もら)えるかは分からなかったが、幸は一言、三枝に礼を言いたかった。 「はい」  しばらく考えてから、幸は一言答えた。  それをを見て、大河は笑顔で告げる。 「どんなだったか、家に着いたら詳しく教えてね」  それから、アクセルを()んで、ゆっくりと車を発進させた。  家に帰ると、大河は早速、幸の話を聞こうと、リビングのソファに幸を誘った。  幸は、カバンをソファに置くと、大河の(となり)に腰を下ろす。  それから、出流や彩花の事について、照れたように話した。  学校に行くのが怖くて仕方なかった幸にとって、声をかけて貰えるのはとても嬉しくて、不安な気持ちが一編(いっぺん)に吹き飛んだ。  多田(ただ)沢井(さわい)の事を忘れた訳ではなかったが、学校での出来事が楽しかったのは事実で、幸は、屈託(くったく)のない笑顔で大河に話して聞かせる。  大河は、こんなふうに嬉しそうに笑う幸を見るのは初めてだったので、まだ初日とは言え、フリースクールに通わせて良かったと心から思った。  それと同時に、三枝も何も考えてなさそうに見えて、きちんと幸の事を見ているのだと感心もする。 「良かったね」  大河は、相槌(あいづち)を打ちながら、幸の話に耳を(かたむ)ける。  それを受けて、幸は身振り手振りを交えて、大河に伝え合うと懸命(けんめい)に話した。  幸が、こんなに話すのは、ここに来て初めての事だったし、今までして来た会話の総量を余裕で超えている。  しかし、話すと言っても、無口な幸の事なので、それ程、長い間、話していた訳ではない。 「楽しかったんです。ありがとうございます」  そう言って、幸が話を締めくくると、大河は、ソファから立ち上がった。 「そろそろご飯の準備でもするか」  すると、大河に続いて、幸も立ち上がる。 「手伝います」  そして、二人でキッチンに立つと、夕飯の支度を始めた。  三枝は、この日、幸の登校初日と言う事もあって、早めに帰宅出来るように仕事の調整をしていた。  幸に懐いては貰えないが、三枝なりに幸の事を気にかけてはいるのだ。  三枝がリビングのドアを開けると、二人は準備を整えて、L字ソファの広い方に腰掛けて待っていた。 「ただいま」  三枝が声をかけると、幸が立ち上がって礼をする。 「おかえりなさい」 「おかえり〜」  大河は、ソアに座って顔だけ向ける。 「美味(おい)しそうだな」  料理は幸の入学祝いで豪華になっている事もあり、ローテーブルにギュウギュウに置かれていた。  三枝は、それを(のぞ)き込みながら、自分の席である、折れ曲がったソファの短い方にカバンを置くと、スーツの上だけ脱ぎ、シャツの(そで)(まく)り上げる。  そして、そのまま席に着こうとするのを大河が止めた。 「ちゃんと手を洗って」 「ああ」  それに、三枝はバツ悪そうに返事をした。  三枝の部屋には、大きなリビングがあるが、五人掛けのソファセットが一つ置かれているだけで、他は何もない。  必然的に、ソファセットで食事をする事になるのだが、それにはセンターテーブルが少し低い。  三枝も、その事に最初のうちに気付いていたのだが、不便ではあるが使えない訳ではないと思うと、ダイニングセットを買うのも少し躊躇(ためら)われた。  ベッドは必要と(そろ)えたが、三枝は(ほとん)ど家に帰らず、用途(ようと)と言っても軽めの食事をとったり、茶を飲んだりするだけと考えれば、むしろ広すぎるくらいなのだ。  三枝は、そんな事を考えながら二人の元に戻ると「やっと食べれる」と言ってソファに腰掛ける。  大河は、三枝が席についたのを見て、お茶の入ったマグカップを手に取った。 「揃ったところで、乾杯しようか」  そう言って、全員が飲み物を手に取るのを見てから、乾杯の音頭(おんど)をとる。 「幸、入学おめでとう」 「おめでとう」  幸は、二人に釣られてマグカップをあげたのだが、急に祝いの言葉を言われて戸惑い、困ったように俯く。 「ありがとうございます」  それでも、小さな声で告げて、俯いたままマグカップに口をつけた。  乾杯の後、幸は、今日あった事を三枝に話す。  しかし、幸は、先程、話した事で疲れたのか、上手く伝える事が出来ないようだったので、代わりに大河が伝える形になった。  そして、大河が話し終えると、幸は三枝を見て会釈(えしゃく)をする。 「ありがとうございます」  幸が照れたように言うのに、三枝も恥ずかしくなって頭をかく。 「ああ。別に気にしなくてもいいのに」  それに、幸はもう一度頭を下げた。 「まあ。楽しそうで良かった」 「はい」  幸が返事をして微笑(ほほえ)む顔に、三枝は心が洗われる思いがした。  その後、食事が終わると、もういい時間になっていたので、順番に風呂に入った。  一番先に寝た方がいいだろうと幸、そして大河、最後に三枝が入る。  そして、三枝が風呂から出て寝室に行くと、幸が隣のベッドで横になっていた。  もう寝ているのかと思い、三枝は起こさないようにそっとベッドに入る。  すると、まだ起きていたのか、布団の中から幸の小さな声が聞こえた。  しかし、幸はそれでなくても声が小さい上に、布団に潜っているのでうまく聞き取れない。 「なんて?」  三枝が聞き返すと、幸は布団から顔を出す。  そして、三枝の方に顔を向けると、今度はよく聞こえるように、先程より少し大きな声で告げた。 「ありがとうございます……」  それだけ言うと、幸はまた布団に潜って三枝の方に背を向けた。 「あ……」  三枝は急に言われて口ごもる。  すると幸は、小さな声で続けた。 「おやすみなさい」  今度は、三枝も聞き取って挨拶を返す。 「ああ、おやすみ」  そして、ベッドに潜ってから、手元のリモコンで電気を消した。

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