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第四章(十一)少女漫画

 (みゆき)が学校に行くようになってから数日が経った。  しかし、出流(いずる)彩花(あやか)とは話せるが、他のクラスメイトとは怖くて挨拶(あいさつ)くらいしか出来ないでいる。  それでも、幸は学校に通うのが楽しくて仕方がなかった。  幸が教室に入ると、クラスメイトに話しかけられた。  「おはよう」 「おはようございます」  幸はそれに、照れたように笑って、(うつむ)きがちに応える。  そうして、何人かに挨拶をしてから、自分の席に辿(たど)り着いた。  隣の席の出流はまだ来ていなかったが、前の席の彩花はもう来ていて、本を黙々と読んでいるところだった。  幸は、邪魔(じゃま)をしては悪いかと声をかけずに静かに授業の準備を始めるが、彩花は気配に気付いて、笑顔で後ろを振り向く。 「幸君。おはよう」 「おはよう」  幸は挨拶をしてから、彩花の手元の本の表紙に目を止めた。 「綺麗でしょ?」 「あ、はい」  それは、線の細い少女の描かれた綺麗な色合い表紙で、幸が今までに見た事がないものだった。 「これってなんて言う本? 絵がいっぱいある」  不思議そうに見つめる幸に、彩花も不思議そうな顔をする。 「漫画(まんが)、知らないの?」  彩花は、まさかとは思いながらも、幸に(たず)ねてみた。  すると、幸は(うなず)いて、もう一度本を見る。 「漫画?」 「そう。少女漫画だよ」  そう言って、彩花は本のページを幸の方に向けて開いてみせる。 「これは恋愛モノで、この男の子がかっこいいんだよ」  幸は彩花の手元を(のぞ)き込んで、そこに書かれているセリフを読む。  そのページは、ちょうど主人公がその男の子に告白するところで「付き合ってください」と言って手紙を差し出すところだった。 「ね。素敵でしょ?」  そう言われて、幸はよく分からないまま頷く。  彩花はそれを見て、幸がこの漫画を気に入ったのだと思い、にっこりと微笑(ほほえ)んだ。 「じゃあ、読んだら貸すね」 「ありがとう」  幸もつられて笑顔になると、彩花は恥ずかしそうに目を()らした。 「ううん。こっちこそ」  彩花はなんと返していいか分からず、少しズレたような会話になってしまう。  話を繋ごうと彩花が口を開きかけた時、教室の入口から大きな声が聞こえた。 「よう。おはよう!」  それは、出流の声で、教室にいた何人かが気付き、それに応える。  出流は、クラスメイト達に挨拶を返しながらも、机の間を抜けて真っ直ぐに幸の席に向かった。  そして、邪魔(じゃま)をするように彩花と幸の間に割り込む。 「幸、おはよう」 「おはよう」  彩花は、挨拶をする出流を不機嫌な表情で見る。 「西尾(にしお)君。邪魔しないでくれる?」  言われて、出流は面倒臭(めんどうくさ)そうな顔をした。 「ああ? うっせえよ、このブス」 「何よ、バカのくせに!」 「なんだと!」 「えっと……」 「この前のテスト、三点だったの知ってるんだから」 「な、なんでそんな事知ってんだよ! てか、それでお前に何か迷惑でもかけたかよ!」 「他人(ひと)の事、ブスって言うからいけないんでしょ!」 「あの……」  幸は二人を止めようとして、言葉を挟めないで困っていたが、始業のチャイムと同時に斉藤(さいとう)が教室に入って来て、二人の言い争いが終了した。 「静かにして。みんな席に着いてください」  不承不承(ふしょうぶしょう)、出流と彩花が席に着くと、幸も安心して自分の椅子に座った。  午前の授業が終わり、昼休憩(ひるきゅうけい)になった  幸は出流に誘われて、いつものように一緒に弁当を食べる。 「今日も弁当、美味しそうだな」  そう言われて、幸は少し考えてから、出流の方に弁当を差し出す。 「どれか食べる?」  出流は差し出された弁当を見て目を輝かせた。 「いいのか?」 「うん」 「じゃあこれ」  出流は幸の弁当から卵焼きを奪って、自分のコンビニ弁当の(ふた)の上に置いた。  それから、自分の弁当を差し出して、幸に尋ねる。 「幸は何か欲しい物あるか?」 「ええと……」  幸は少し悩んでから、バランの上に乗った漬物(つけもの)を指差す。 「これ」  それに、出流が意外そうな顔をする。 「あ、ダメなら……」 「いや。ダメじゃないけど、そんなんでいいのか?」 「うん」 「じゃあ、やるよ」  出流はバランごと(はし)でつまんで、幸の弁当の蓋に乗せた。 「お前、変わってるな」 「ありがとう」  幸は礼を言ってから、大河にも同じような事を言われたのを思い出し、少し恥ずかしくなって俯いた。  放課後、彩花は帰り支度を済ませると、席を立って幸の方を向く。 「幸君、これ」  そして、幸に本を差し出す。 「ゆっくりでいいからね」 「ありがとう」  幸は両手で本を受け取ると、ページをパラパラとめくった。  出流はそれを見て、無愛想(ぶあいそう)に幸の手を取る。 「そんなもん見てないで帰ろうぜ」  幸は慌てて本をカバンにしまうと、手早く帰り支度をして立ち上がった。 「あ、はい」  そして、出流と彩花は何やかやと言い争いながらも、幸と三人で教室を出た。  いつものように、駐車場には大河(おおかわ)の車が止まっていて、幸はそれに乗って家に帰った。  幸は、服を着替えて落ち着くと、ソファに座り、彩花から借りた本をセンターテーブルに置く。  表紙を見ると、そこには、広がる空と木の緑、そして主人公の可愛い女の子のイラストが描かれていた。 「漫画?」  大河が問いかけると、幸はにこやかに答える。 「今日、友達に借りたんです」 「学校、楽しそうだね」 「はい」  幸が返事をするのを見て、大河も笑みを浮かべると、隣に腰を下ろし、まじまじと顔を見る。  学校に通うようになってから、幸の表情はだんだん明るくなって来ていた。  会った当初は、影のある表情をする事が多かったが、それも少なくなっている。  このまま、楽しく過ごせるようになればいいと、大河が物思いに耽りながら見つめていると、幸は照れたように俯いて、戸惑(とまど)いがちに口を開く。 「えっと……」 「あ、ごめん。見てたら邪魔だよね」  そう言うと、大河は立ち上がり、外出準備を始める。 「ちょっと夕飯の買い物に行って来るね。何か欲しい物ある?」  大河が尋ねると、幸は少し考えてから口を開く。 「分かりません」  大河は、幸が答えに困っている事に気付き、言葉を選んで聞き直してみる。 「何か、お菓子でも食べる? ケーキとかプリンとか?」  すると、幸は言いにくそうに口を開いた。 「醤油(しょうゆ)せんべいが食べたいです」 「え?」  幸の選択に大河は思わず声を出してしまう。 「あ。ごめんなさい」  大河がダメだと言ったのだと勘違(かんちが)いして、幸は謝って俯く。  それを見て、大河は慌てて訂正した。 「違うよ。ダメじゃないって。おせんべい了解。他に何かいる? 甘い物は嫌いだっけ?」  聞かれて、幸は首を横に振る。 「嫌いじゃないです」 「じゃあ、何かデザートも買って来るね」 「はい。ありがとうございます」 「それじゃあ、行って来る」  大河がそう言って背を向けると、幸は見送ろうとソファから立ち上がった。 「いってらっしゃい」 「ありがとう」  そして、幸は、大河が玄関から出るのを見届けると、もう一度ソファに腰掛けて本を開いた。  表紙を開くと、漢字にはひらがなで読み仮名が振ってあり、読み進めるのは楽だったが、描かれているのは恋愛の事で、幸にはよく分からない世界だった。  好きになって、告白して、付き合って、キスをして。  幸は沢井(さわい)に告白のような事をしているが、ちゃんとした答えを(もら)っている訳ではない。  けれど、もう一通りの事は済ませている。 「でも、沢井さんは好きって言ってくれたから」  幸はそう(つぶや)いて、彩花に借りた本を閉じた。

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