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第四章(十四)判決を受けて

 事件から数ヶ月後、日下(くさか)の刑が確定した。  日下の裁判は、本人が自首(じしゅ)している上に初犯(しょはん)でもあったが、示談(じだん)が成立しているとは言え、盗んだ金額の多さや再犯(さいはん)の可能性等が指摘(してき)され、最終的には拘禁刑(こうきんけい)一年の実刑判決(じっけいはんけつ)となった。  多田(ただ)が、執行猶予(しっこうゆうよ)がつくのは面倒だからと実刑判決を望んでいた事もあり、ほぼ予定通りの結果と言えた。  日下には、バラせば命はないが、無事に刑務所から出たら大金を渡すと言い含めてある。  臆病(おくびょう)で金に意地汚(いじきたな)い日下なら、この条件を破る事もないと思われた。  これを受けて、密売組織(みつばいそしき)も少し騒がしくなった。  そうは言っても、犯行が全て日下の仕業(しわざ)であると罪を(かぶ)らせている手前、表立って動く事は出来ない。  小さな仕事をいくつかする事はあったが、本格的な仕事は、日下が釈放(しゃくほう)されてからの事だ。  しかし、雑事は色々とあり、この日、多田は沢井(さわい)を連れて川上(かわかみ)の所に挨拶(あいさつ)(おもむ)いていた。  構成員たちは各々の仕事をしながら、二人がいないとばかりに、普段は言えないような話をする。 「(みゆき)、どうしてるかな? ボスはいつになったら連れ戻すんだ?」 「行った先で酷い目にあってないといいですね」  リーダーともう一人の構成員が話す。  それに、事務仕事をしていた構成員が加わる。 「幸がいなくなってから、ずっと沢井さんの様子もおかしいですし」 「まあ、ずっと一緒にいたしな」  そう言って、リーダーは複雑な表情をする。 「健気(けなげ)で頑張り屋だし、いつも笑顔で、見ていて心は動かされるからな」  リーダーは、言外(げんがい)に、沢井が幸に特別な感情を持ってもおかしくないと匂わせる。  一人は、仕事の手を止めて、懐かしむように事務所の金庫を見る。 「日下の刑期(けいき)が開ける頃には帰って来ますかね」 「だといいな。ただ、ここにいるのが幸の(ため)かは……」  リーダーが言いかけてやめた時、事務所のドアが開いて、二人が帰って来た。 「なんだ? 仕事もせずに井戸端会議(いどばたかいぎ)か?」  沢井に声をかけられて、構成員たちが気まずそうに目を()らす。  それに、沢井は怪訝(けげん)そうに(まゆ)(ひそ)めるが、多田はなんとなく察して、鼻で笑った。 「まあ、日下の刑期が開ける頃には、連れ戻すつもりではいる」  その言葉に、構成員たちが、期待の眼差(まなざ)しで多田を見る。 「連れ戻すんですね!」  沢井が大きな声を出して、多田に問い返す。 「時期が来ればな」  多田は沢井を嘲笑(あざわら)うように一瞥(いちべつ)すると、()()なく告げて執務室(しつむしつ)に消えた。  沢井は、帰りの車の中で、幸の事を考えていた。  嫌、いなくなってから、幸の事を考えていない時などなかった。  それでも、(つと)めて忘れようとしていたのだが、多田の言葉で、より一層幸の事を強く思うようになった。  一人になって、寂しいと思うのは、ただ今までいたものがいなくなったというだけの事だと考えてみる。  そして、日が経つと、性欲が満たされないからだとも思う。  子供も買った、女も買った。  けれども、沢井の心が満たされる事はなかった。 「駄目(だめ)だな」  自嘲気味(じちょうぎみ)に沢井が呟く。  沢井はずっと否定していたが、自分が幸を愛していたと今になってハッキリと分かった。  しかし、幸には会いたい気持ちはあるが、多田の元に戻れば、どんな(あつか)いを受けるかは分かりきっている。  それに第一、沢井がまた幸の世話を任されるという保証もない。  それなら、幸には日の当たる場所で、自分の名前のような生活を手に入れて欲しいと思う反面(はんめん)、自分の元にいて欲しいと言う思いもあって、気持ちは二つの間でせめぎ合っている。  沢井は、その思いを振り払うように頭を振った。  三枝(さえぐさ)は仕事が終わると()()ぐに帰宅した。  この日は判決が決まるだろうと言われていたので、幸は朝からソワソワとしていた。  なので、幸は、玄関(げんかん)のドアが開く音がするや(いな)や、慌てて三枝を迎えに出た。 「どうでした?」  挨拶もなく、しかも幸の方から話しかけるのは珍しい事だったので、どれだけ気にしていたかが(うかが)えた。  三枝は玄関のドアを閉めると、簡潔(かんけつ)に結果だけを伝える。 「日下は、一年間、刑務所に入る事が決まったよ」  それを聞いて、幸は安堵(あんど)のため息をつく。 「ありがとうございます」  幸は、日下の事を憎んでいる訳ではないが、受けて来た暴力は心に大きな傷を残していた為、少しの間でも確実に離れていられると言う事は嬉しく思えた。  三枝は、本人から聞いた訳ではないが、幸の事情はなんとなく(さっ)している。 「良かったな」  三枝が笑顔で告げると、幸はホッとしたように微笑(ほほえ)む。 「はい」  そうして、二人で話していると、大河(おおかわ)がリビングから顔を(のぞ)かせた。 「そんな所で話してないで、リビングに入ったら?」 「そうだな」  三枝はそう言うと、中に入ってリビングのソファにカバンを投げる。  その後に続いて、幸も中に入って来た。  大河は、それを見て、二人に問いかける。 「食事にする?」 「あ、手伝います」  幸は、大河の言葉に反応すると、慌ててキッチンに向かう。  それから、大河も幸の後に続こうとするが、どうしても我慢出来ずに三枝を振り返る。 「良かったら、食事の時にでも教えて貰える?」  大河も、二人の話に割って入るのもどうかと会話に加わらないでいたが、気にならなかった訳ではないのだ。  しかし、三枝は面倒臭そうに答える。 「そんなに長くなる話でもないさ。幸の父親の判決が懲役一年に決まったって言うだけだよ」 「それだけ?」  不服そうな大河に、三枝はため息をつく。 「そう、それだけ。他に何があるって言うんだよ」  三枝の答えを聞きながら、幸も不思議そうに大河を見る。  実際それだけの話なのだが、大河は自分には聞かせられない話なのだろうと解釈(かいしゃく)した。 「話したくないならそれでいいよ」  大河は疎外感(そがいかん)を覚えながら、用意していた夕飯をリビングのテーブルに置いた。

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