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第四章(二十)勉強会

 出流(いずる)との勉強会は、三枝(さえぐさ)の家でする事になった。  三枝は、許可はしたが、その代わりに自分も参加したいと言い出し、後日、仕事の調整が出来そうな日を書き出したメモを(みゆき)に渡した。  翌日、幸は出流と話し合い、指定された中で一番早い日に集まる事になった。  そして、今日が約束の日。  出流は、大河(おおかわ)が連れて来る事になっていて、一人残された幸は、出流が来るのをそわそわしながら待っていた。 「ただいま」  大河が玄関の戸を開けて挨拶(あいさつ)すると、幸が慌てて迎えに出た。 「おかえりなさい!」  幸は大河に挨拶をしてから、出流に笑いかける。 「いらっしゃい」 「お、おう」  出流は、色々驚く事が多過ぎて、上手く言葉が出て来ず、中途半端な挨拶になる。  そもそも、出流にはこのマンションからして規格外なのだ。  まず、着いた途端(とたん)、エントランスの豪華さに驚き、廊下(ろうか)の扉の向こうに見える、広いリビングに言葉をなくす。  それでも、出流は驚きながらも一言だけ告げる。 「幸って金持ちなんだな」  それに、幸は首を横に振る。 「違うよ」 「こんなところに住んでてか?」  出流は驚いて目を見張るが、幸にとってみれば、ここは三枝の家で自分の家ではない。 「ここは三枝さんの家だから」  幸はそのままに伝えるのだが、出流には言っている意味が分からない。 「三枝さん? それって、幸の父ちゃんじゃないのか? あ、親戚(しんせき)とか?」  出流は初め、幸と名前が一緒だから親子なのだろうと思ったが「三枝さん」と言う不自然な言い方に、親戚なのかと考え直す。  しかし、幸の答えは出流の予想外のものだった。 「違う。後見人(こうけんにん)って」 「こうけん……に……ん?」  聞き返す出流に、幸は(うなず)き返す。  そして、なんと答えていいか分からず、三枝から聞いたままを答える。  それは、三枝が「未成年後見人(みせいねんこうけんにん)」と言うもので、幸を預かっているのだと言う事だった。  しかし、出流は説明を聞いたところでピンとこない。  それでも、幸にも複雑な事情があるのだろうと言う事は分かった。 「色々、大変なんだな」  出流の言葉に、幸はどう答えていいのか分からず、曖昧(あいまい)な表情で頷いた。  その後、大河も交えて、三人で勉強会をする事になった。  そこで、出流が分からないところを教えようとするのだが、なんと教えたらいいのか分からず、幸も大河も困って頭を悩ませていた。  ちょうどそこに、救世主のように三枝が帰って来た。 「お、やってるな」  そう言って覗き込む三枝に、大河が両手を広げて助けを求める。 「三枝ー!」 「何?」  気圧(けお)されて後ずさる三枝に、大河が教科書をひらつかせる。 「計算が分からない!」 「計算?」 「足し算と引き算!」 「え?」  二人が噛み合わないやり取りをするのをぼんやりと見つめる幸と、驚いたように目を丸くする出流。 「三枝さん、めっちゃかっこいいな」 「え?」 「めぐみさんと結婚してるのか?」  その言葉に、三枝と大河が反応し、二人同時に「してない!」と否定した。 「で、何が分からないって?」  しばらく騒いだ後、三枝がテーブルを(のぞ)き込む。 「計算……」 「ちょっと見せて?」  三枝は、そう言うと、上着を脱ぎながら、出流の手元のノートを見る。 「十までの計算は出来るの?」 「出来る。でも、それより大きくなると分からなくて……」 「じゃあ、数は何処(どこ)まで数えられる?」 「百までなら……」 「じゃあ、大丈夫だ」  三枝が笑顔で言うのに、出流は驚いて見返す。 「ノート貸して」  三枝は上着をソファに置くと、出流の(となり)に座り、ノートを二人の中間まで引き寄せた。 「十までの計算はどうやってる?」 「指で。それより大きいと指が足りなくて」 「じゃあ、指の代わりに漢字に頑張って(もら)おうか」  その言葉に、三人の頭に疑問符が浮かんだ。  戸惑う出流をよそに、三枝が続ける。 「出流はヒーローものは好きか?」 「あ、うん。漫画とか、テレビとか、そればっかり見てる」 「じゃあ、『正義』って言葉は知ってるよな」 「あ、うん」 「じゃあ『正義』って漢字は書ける?」 「いや……書けない」  意味の分からない質問に出流が戸惑っていると、三枝がノートに「正」の字を書いた。 「これは『正義』の『正』だから、これは正しい」  それから、出流に鉛筆を持たせて、ノートに文字を書かせる。  けれど、出流には何の事か分からないし、後の二人にも意味が分からない。  三枝は、そんな事など気にせず、ノートを指で示す。 「数を数えながら、一本ずつ線を引いていって」  出流は言われるままに線を引いて、最後の一本を引くと同時に数を告げる。 「五」 「そう、五。この『正』の字は書き上げると五になるんだ」  そして、三枝はその漢字の隣を指差す。 「じゃあ、そのまま続けて十まで書いて」  出流は分からないまま頷くと、もう一つ「正」の字を書いてまた告げる。 「十」  三枝は、今度は二つ並んだ漢字の上を指指す。 「そうしたら、ここに一本横棒を引こうか」  出流が横棒を引くのを見て、それを指で示す。 「これが十の位。ここに一本書いたら、今書いてる下の二つを丸で囲っておいて」  出流が丸をするのを見て、今度は、丸をした漢字の横を指差す 「十まで数えたよね? そうしたら、今度は十二まで数えて」 「十二? 十二は……」  尻込みする出流に、三枝が笑いかける。 「大丈夫。さっきみたいに数えながら棒を引くだけだから」 「でも……」  三枝は、十の位の文字を指して、優しく告げる。 「この棒が十だろう? そうしたら、その次は十一だ。出流は百まで数えられるんだろう? じゃあ問題ないよ。そのまま数を数えるだけだから」  ノートに三枝が横棒を引くのを見て、出流も縦棒を引きながら声を出す。 「十二」 「ほら出来た。じゃあ二十まで数えて」  そして、二つ並んだ「正」の字を指差す。 「これで、二つ完成したから、これに丸をつけて、十の位に一本足す」  そう言って、十の位に縦棒を一本引いた。 「じゃあ、このまま二十四まで数えようか」  そうやって、二人で延々と計算をして、出流が引き算まで出来るようになったところで、三枝がソファから立ち上がった。 「そろそろ行かなきゃ」  名残惜(なごりお)しそうに言って上着をとる。 「ありがとうございます!」  出流は大きな声で礼を言ってお辞儀(じぎ)をした。  それに続いて、大河も声をかける。 「あんな方法があるって、よく知ってたね」  感心したように言う大河に、三枝は悪戯(いたずら)っぽい表情で答える。 「適当に、なんか思いついた方法」 「え?」 「ダメだったら、また別の方法を考えようと思ってた」 「すご……」 「じゃあ、行ってくる」  そう言って、手をひらひらさせながら出ていく三枝を三人三様の思いで見送ったのだった。

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