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第4話
「ハッ!」
籠手を嵌めた手で竹刀を握り、中段の構えから跳ね上げるように振り抜く。
「ハアッ!」
今日は調子がいい。剣筋が冴えている。
気息を正して大胆に踏み込み、面・胴・小手・突きの順に切れがよい技を繰り出す。
『殺気は漏らしたらあかん、溜めるんや。振り撒いたかて敵の警戒誘うだけでええことない、明鏡止水を信条にせい』
瞼の裏に浮かぶのは大昔の光景、神棚を背に剣道の心得を説く爺ちゃんの姿を思い出す。正座で聞いてたせいで終わる頃にゃ膝が痺れたっけ。
爺ちゃんの道場で学んだ教えを守り、ひたすら剣を振るううちに心が澄んでくる。
中段。上段。下段。
霞の構え。平青眼の構え。八相の構え。
仕掛け業に応じ業、抜き・返し・摺り上げを流れるようにこなす。
剣道歴はブランク挟んで十五年以上、部を辞めてからも毎朝自主練していた。物心付いてからやってたせいでサボると落ち着かねえのだ。
余談だが親父も元剣道部でよく練習相手になってくれた。姉貴にゃ「朝っぱらかうるさい、元気玉でもぶっぱすんの!?」と怒鳴られたもんだ。
「ていっ!」
竹刀の先端を素早く回し、相手の突きを巻き込んで返す。イメージトレーニング。
爺ちゃん曰く、俺の剣筋は真っ直ぐすぎるんだそうだ。時には小手先の技で翻弄するのも必要。
「面!」
一際深く踏み込んで竹刀を打ち下ろす。
幻影の急所を突いた。勝負あり。
「ふー」
暑苦しく蒸す防具と籠手を脱ぎ深呼吸。
汗びっしょりの顔を手で扇いでぼやいた矢先、おもむろに影がさす。
「隙あり」
体が勝手に動く。
右手の竹刀で突如として降って沸いたタオルを薙ぎ払い、跳躍の勢いに任せて着地。
床に舞い落ちたハンドタオルを一瞥、不意打ちを仕掛けた刺客に怒鳴る。
「何すんだ!」
「貸したろ思たんに」
「余計なお世話、マイタオル持参してるよ」
「雑巾ちゃうの?」
「失礼な」
でもまあ、せっかくなんで借りとく。床に落ちたタオルを拾い、首に巻いて汗を拭く。
途端に吸水性ばっちりの柔らか生地とフローラルな洗剤の香りに包まれ、気持ちよさにうっとりする。
「ファーファに生まれ変わったみてえ。柔軟剤使ってる?」
「高いヤツな」
「どうりで」
「庶民に違いがわかってたまるか」
相変わらず口が悪い。
毒舌に興ざめし、ぬるまったスポーツドリンクを嚥下する。俺の視線の先じゃ道着に身を包んだ茶倉が弓に矢を番えていた。
ここは茶倉のセフレの一人である、バツイチ美人社長が経営している会員制スポーツジム。都内某所に存在し、従来のフィットネスの他に弓道や剣道の稽古も行えるのが最大のウリだ。
滑り止めを施した床と地続きに道場と矢場が備わり、芝生を刈りこんだ屋外に的が並んでいる。
グーグルマップで検索したところ剣道弓道の練習ができるジムは相当レアっぽく、学生の姿がちらほら見受けられた。青春してるな若人よ。
「にしても……」
「言いたいことあんならハッキリ言え」
「道着姿新鮮だな~って」
今日は上司の付き合いでジム兼道場にきた。道着姿を見るのは初かもしんねえ。
白い道着に黒い袴を合わせ、きりっと帯を締めた茶倉は、端正な立ち姿と相俟って凛々しさに磨きがかかっていた。
「ファンに隠し撮り売って小遣い稼ぎするか」
「ただでさえ顔うるさいんやから後半は腹ん中にとどめとけ」
「おい待て誰の顔がうるせえって!?」
「お前や口デカ」
弦を弾きながらあきれる茶倉。気を取り直し矢場に立ち、的に対して踏み構え―
解き放たれた矢が長大な弧を描いて飛び、的の中心の図星を射抜く。
思わず口笛を吹く。
「やるじゃん」
おまけで拍手。茶倉は憎たらしげに鼻で笑い、続けざまに狙い定める。
次から次へ放たれた矢が図星に刺さり、ギャラリーが湧く。ほぼ全部真ん中を射抜いていた。
「絶好調」
振り返りざま不敵に笑み、俺が巻いたタオルをひったくる。それに顔を埋める間際、露骨な顰め面でこういった。
「くっさ。やっぱいらん」
「~~かっわいくねえ」
地団駄踏んで憤慨する俺を無視、どこ吹く風と取り澄まし稽古に戻る。
茶倉練は俺の元同級生で上司にあたる。コイツは拝み屋の孫にして一流の霊能者、口は悪いが腕はいい。
普段はタワマンのオフィスにふんぞり返り依頼人を待ってるが、今日は特別に休みをとり、知り合いのジムで爽やかな汗を流していた。
「修行の成果あったな。一週間山籠もりしてたんだろ、どうだった、精進料理でたか」
「食いもんにしか興味あらへんのかい」
「滝行した?火渡りした?クマいた?」
「もっとおっかないもんがおった」
修行から帰還した茶倉は前にも増してバリバリ仕事をこなし、依頼人に恩を売り、メディアの取材を受けまくっていた。精力的な活動の裏で人妻コマすのも忘れねえあたり、各段にパワーアップしてると見ていい。
「減るもんじゃなし土産話聞かせてくれよ、こちとら一週間寝込んでたのに」
さりげなくを装い、続ける。
「玄とその……色々あったんだろ」
オフィスで電話を盗み聞きしてから茶倉の昔馴染みが気になってたまらない。
「随分仲良さげだったじゃん。今度東京来んの?ガイド頼まれてたよな」
ずけずけ聞きすぎかもと思ったものの、好奇心を禁じ得ずぐいぐい行く。案の定茶倉は気分を害す。
「修行の仔細なんぞ思い出しとうない、山登りは当分願い下げや」
しらばっくれんのが怪しい。背中に爪痕付けるってどんな関係さ?
聞きたいのに聞けねえジレンマに苦しみ、もどかしげに横顔を見詰める。てか俺以外にいたのかよダチ。
「馴染みに会いに行くなら教えろ水くせえ」
「玄の話は三時間たっぷりしたろ、これ以上何知りたいねん」
「全然足りねえよ、年齢家族構成血液型誕生日足のサイズ好きな食べ物嫌いな食べ物エロ本の趣味、BSSこじらせたムッツリ野郎ってことっきゃわかんねー」
「びーえ……何やて?」
「僕の方が先に好きだったのに略してBSS」
「あー……」
茶倉曰く、玄は十五年前に稚児の戯とやらに参加しそこで出会った子に一目惚れしちまったそうだ。
面倒くさげにあしらい続ける茶倉にちょこまか付き纏い、消化不良な疑問点を蒸し返す。
「初恋の子の行方は?」
「都会でがっぽり稼いどる」
「仲良くなったきっかけは?やっぱむこうから?稚児の戯のライバル同士って話だけど、メンチ切った途端ビビッと来たの?ノンケ?男前?写真ねえの」
「撮り忘れた」
「年は二十八って言ったよな、アラサーのおっさんか」
「二歳しか違わん俺らもダメージくらうやん」
「戦闘スタイルは棒術。錫杖振り回してぶちのめすとか罰当たりっぽい」
「僧兵の基本」
「寺生まれのGさんの必殺技」
「エンジンフルスロットルで雑木林爆走。曲乗りも上手い」
「ハーレー二ケツって結構な特攻野郎じゃねえか」
「ジブンの席のうて残念やな、サイドカー付けるか」
底意地悪く茶化され、顔真っ赤で反論する。
「全然うらやましかねーし!大型二輪で事故ったら死ぬし!!」
ここ暫く茶倉は不調が続いていた。封印の力が弱まり、きゅうせん様の抑えが利かなくなってきたのだ。
祟り神の暴走を許せば日水村の惨劇が再び起こりかねない。
東北に行った目的はいらたか念珠を手に入れることプラス修行。
そこまではわかる、納得してる。
一週間に亘る修行を終え東京に帰ってきた茶倉は何か吹っ切れたように見えた。
前と比べてしゃんとしたっていうか、体の真ん中に芯が通った気がする。
山寺で鍛え直された?それか例の倅と……悶々と邪推を働かせ、オツムからぷすぷす煙を噴く。
茶倉のスランプ克服が山寺の倅のおかげだったら、自称相棒の存在意義ってなんだ?
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