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第11話
「うわあああああああああああああああ!」
葵ちゃんが取り乱す。
「落ち着いて、蝶はいなくなったから!」
殴る蹴るされる痛みに耐え、身を挺し押さえ込む。ややあって瞳の焦点が合い、理性の光を灯す。
「……烏丸さん……?」
胸の内に安堵が広がる。
「正気に戻ったみてえだな。ここどこかわかる?」
「うちの座敷……ううん、こんなとこ知らない」
「だよな」
胸に手をあてられたことは黙っとく。今の葵ちゃんからは妖気が感じられねえ、憑き物は離れたか眠ったかしたようだ。
「何があったの?」
「一階北廊下を調べてたら畳の下に札が貼られてて、その部屋から出ようとしたら、無限に襖が続いてたんだ。開け続けたてらぶわっと蝶が湧いて、さっき二階に上ってたったはずの君が、何故か向こうの座敷に倒れてた」
簡単に経緯を説明した所、葵ちゃんは深刻な顔色で黙り込み、こめかみをさすって俯く。
「俺たちと別れた後どうしてたの?こっそり一階に下りて来たりは」
「してないそんなこと」
「ごめん変なこと聞いて。下りてきたら階段の軋みでわかるよな」
小山内邸は古い建物であちこち傷んでる。木製の階段を上り下りすりゃ音と気配でわかるはずだ。
「……烏丸さんたちと別れたあとは部屋で寝てた。寝不足でだるかったし、晩御飯の時間まで休みたかったの。で、でも目が覚めたらあそこにいて。変なお座敷に飛ばされて、真っ黒い蝶が襲って来て……」
葵ちゃんが俺に縋り付き、切羽詰まった眼差しで問い質す。
「寝てる間にワープなんてありえない……自分で歩いてきたの?わかんない。覚えてない。じ、自分で移動したら覚えてないわけないよね烏丸さんの言うとおり階段軋んでうるさいし床鳴るし。これも夢遊病の症状?病気が進んじゃったの?」
「俺たちは足音を聞いてない、一階に現われたのは怪異の仕業って見んのが妥当だけど」
「今見てるのは夢、現実、どっち?烏丸さんは本物?夜に出歩くのも怖い夢見るのも全部私に取り憑いたわけわかんない幽霊のせいなの、偉い霊能者さんの助手ならわかるでしょ、教えてよ!」
夢と現実の区別が付かず追い詰められた葵ちゃんが悲痛な声で叫び、脱力したように崩れ落ちる。
「もうかえりたい……おばあちゃん……」
反射的に肩に手を回し、優しく背中を叩く。
「大丈夫。必ずうちに帰す」
次第に背中の強張りがほぐれ、なのにまた身を固くするのを不審がり、物凄い勢いで退く。
「ごめん!」
JCを抱き締めんのはまずい、事案で逮捕だ。不可抗力とはいえ胸までさわってるし。
照れと気まずさを咳払いでごまかし、きちんと正座する。
俺と葵ちゃんがいるのは空っぽの座敷。間取りこそ札が貼られていた和室と全く同じだが、調度品の類は一切なく、よそよそしい雰囲気が漂っている。茶倉もいない。
「ういの時と同じか」
あの時も次元ごと切り離された。結界術を使えるのは強力な怪異である証。
高校時代は隣に茶倉がいた。今は葵ちゃんがいる。この子を無事に連れて戻るのが俺の役目だ。
「俺さ、霊能者の助手だけど悪霊を祓ったり倒したりはできねえんだ。でも普通の人かって言われると少し違くて、霊と波長が合いやすい体質なの。この体質のせいで数えきれねートラブルに巻き込まれて来たけど、そのたび連れの力を借りて切り抜けてきた。君も心当たりあるんじゃないかな」
小さい頃から黒い蝶が見えた葵ちゃんには響くはずと信じ、続ける。
「前も似たことあった。学校に憑いた怪異に喧嘩売って、茶倉と異次元に飛ばされた」
「……無事、だったんですか」
「ギリギリ生還できた。葵ちゃんはうさんくさく思ってっかもしんねーし、実際うさんくせえ奴ではあるけど、アイツはマジですげー霊能者なんだ」
思い出すのは鳥葬の丘で弓を構えた茶倉。学園を祟る怪異に挑み、見事打ち勝った過去を回想すりゃ、反骨心に似た勇気が湧く。
「今頃俺たちを助ける作戦練ってるはず。だから、さ、やるだけやってみようぜ。お互い知恵を持ち寄りゃあっさり脱出できるかもしんねーじゃん」
あん時は茶倉が引っ張ってくれた。
今度は俺が守る番だ。
この世の終わりみてえに暗い顔してても怖がらせるだけと判断、こんな時だからこそ笑ってなきゃと口角を上げ、ことさら明るい調子で頼む。
「やられっぱなしは癪だ。やり返すの手伝ってくれ、葵ちゃん」
体当たりの説得が利いたのか、葵ちゃんがかすかに表情を緩めて頷き、小さい声で打ち明ける。
「さっき変な夢見た」
「気絶してた間?」
「うん」
「どんな夢か教えてくれ」
「昔の夢。江戸時代かな……多分そのへん。着物の人が出てきた。男の子と女の子が襖に絵を描いてた。後ろ姿だけだから年はよくわかんないけど、男の子の方がちょっと大きくて、兄妹っぽい」
「それってこのお屋敷?」
「廊下に見覚えあった。でね、ひそひそ声の陰口が聞こえてくるんだ。喋ってるのは家来っぽい大人の人たちで……腹違いなのに仲が良いとか遊女上がりの妾が産んだ子がどうとか、わけわかんないこと言ってたよ。それから」
青い顔で黙り込む。
「続けるの辛えならやめても」
「大丈夫」
深呼吸を挟んで再開。
「それから場面が飛んで、赤い襦袢を羽織った女の人が出てきた。布団には男の赤ちゃんが寝かされてて、手に持った刃物でその、ざっくり」
「殺しちまったのか」
「ちんちん切り落としたの」
襖に飛び散る血を思い描き、気分が悪くなる。
「酷え」
「男の子がほしくなかったみたい。男でさえなければ奥さまが見逃してくれるのにって泣いてた」
「だからってちょんぎるなんてあんまりだ」
むごい仕打ちにショックを受け、口を手で覆い考えをまとめる。
葵ちゃんの夢が過去の事件の再現なら、高確率で怪異の正体を仄めかしてるはずだ。
閃いた。
「赤ん坊を去勢した女と夢に繰り返し出てきた紅襦袢の女は同じ?」
「かもしんない」
存在しない座敷に葵ちゃんを招いた女の正体が、正室の命令で泣く泣く我が子を去勢した妾なら、小山内家に深い恨みを持っててもおかしかねえ。
「廓育ちなら紅襦袢持ってるだろうし、そこまで追い詰められてたら、家を祟るのは十分ありそうだ」
「黒い蝶は子供が描いた絵?変だよ、うちにはあんな落書きある襖どこにも」
「取り外したんじゃないかな」
「あ、そっか」
登場人物の服装や言葉遣いから推し量るに、地獄蝶の呪いの発端は、家督争いで死人がでるのが日常茶飯事だった江戸時代に遡る。
正室の気性の激しさから察するに、妾が安らかに逝けたとは考えにくい。
いじめ殺されたか自害に追い込まれたか、いずれにしろ化けて出たくなる非業の最期を遂げたのでは?
胸に募るやりきれなさを吐息に乗せて逃がし、夢をベースに推理を組み立てていく。
「妄想入るけど。地獄蝶の正体はむかし小山内邸にいた遊女上がりのお妾さんで、奥方にいじめ抜かれた挙句、思い余って息子を去勢しちまった。それが葵ちゃんの見た女の子」
「娘として育ててたんだ」
「そうしむけられたのかも。蝶は逃避願望の象徴だって茶倉が言ってた。妾の身じゃ勝手に出歩けねえし、それこそ何枚も襖を隔てた奥座敷に囲われてたんじゃねえか?」
「ほかにもたくさん愛人いたっぽい」
小山内家は藩主の姻戚筋の格式高い武家。
遊女上がりの妾は身分が低く発言力も弱いからして、飼い殺しに等しい軟禁状態に置かれたはず。
葵ちゃんの顔があらん限りの嫌悪に歪む。
「当主の人、女の人と遊ぶこと蝶狩りとか蝶々集めって言ってたみたい」
身勝手さに吐き気がしてきた。
「ちょうちょを取っ捕まえる感覚で連れてこられちゃたまんねーな」
「奥さんに会うたび酷いことされたんじゃ部屋から出るの怖くなるよね」
「ツマンねー陰口叩く連中もいたし」
しみじみ同情を示す葵ちゃんに共感を込めて頷く。
小山内邸では蝶々集め、ないし蝶狩りが女遊びを意味する隠語として広まっていた。
してみると妾もまた、当主のコレクションに過ぎなかったのだろうか。
「他に気になることは」
「特には」
妙にもじもじしてるのが気になるが、時間を惜しんで腰を浮かす。
ようやく地獄蝶の正体が判明したのに、茶倉に真相を伝える手段がないのがもどかしい。
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