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02
――生徒会執務室。
目の前に聳える生徒会室の扉を叩けば、すぐに開かれた。この時間帯に俺がやってくることも分かっていたのだろう、生徒会の役員は俺の顔を見るとすぐ通してくれた。
そして、生徒会室奥。会長席に腰を下ろしたアンフェールはこちらに目もくれずに「また来たのか」と漏らすのだ。元がこういう男だとはわかっていたが、前回の世界線でのアンフェールがもういなくなったのかと思うと胸の中にぽっかりと穴が空いたような気分だった。
「アンフェール、君に頼みたいことがある」
「今度は何を企んでいる? 生徒名簿なら貸し出さないぞ」
まさか先手を打たれるとは思わなかった。言葉に詰まる俺に、書類から顔を上げたアンフェールは呆れたようにこちらに視線を投げかけてくるのだ。
「まさか、お前――また気に入らない生徒の個人情報を抜き出して実家にちょっかいでもかける気なのか」
「違う、こ……今回は本当にそんな理由じゃないんだ」
そんなこともしたことはあったが、それは原作のリシェスがしでかしたことだ。そうだとしても、アンフェールから見れば同じ前科持ちなのだろう。さらにその眉間の皺が深くなっているのを見て内心狼狽えた。
「理由だけ聞いてやる」
「……! い、いいのか?」
「聞くだけだ、貸し出すかどうかはすべてを聞いた後判断する」
ぴしゃりと言いのけるアンフェールに、俺は素直に驚いた。
だって、以前の世界線のアンフェールはいないはずなのに。とそこまで考えて、アンフェール自身の性格がただの頑固者ではないのだと思い出す。
やっぱり、いい男だよな、アンフェール。なんて謎に視点になりながらも、俺は取り敢えずアンフェールの傍まで移動する。なんでそこなんだというような顔でこちらを一瞥するアンフェールだったが、「で」とぶっきらぼうに呟く。さっさと話せ、ということのようだ。
「その、ある生徒がこの学園に在籍しているかを確かめたいんだ」
「名前とクラスは」
「ユーノっていう名前の男だ、クラスは……分からない」
「分からないだと?」
「ああ、だから調べたいんだ。背格好は……アンフェール、アンタくらいの大きさだ」
「アンフェールは知らないか?」と念のため聞いてみるが、アンフェールは黙って首を横に振る。
「そんな名前の奴は知らない」と続けるアンフェール。正直、興味のないものにはとことん無関心な男だと知っていたのでこの回答に落胆もしなかった。
「それで、お前はそいつのことを知ってどうするつもりだ?」
アンフェールを頼ると決めた時から、この問いは絶対避けられないだろうとわかっていた。
だから、執務室までやってくる間に頭の中で何度もシミュレーションしていた。
「――たまたま、学園の中を歩いてるときに聞いたんだ。ある男が、近々お前を襲う算段を立ててるのを。それで、そのユーノという男に依頼していたんだ」
「そのときはユーノは制服姿じゃなかった。だから、もしかしたら外部の人間かもしれないから念のために知りたかったんだ」嘘に嘘を重ね、嘘で包んでいく。そのことに抵抗がないかといえば嘘になるが、ぴくりと反応するアンフェールにきた、と口の中で呟いた。
アンフェールにとって、無視すべき存在と許されない存在の線引きというのは分かりやすい。
そしてアンフェールは、自分に害なす存在を看過することはしない。
分かってて敢えてそういう嘘を吐いた。そして、その手応えは確かに感じた。
「ユーノと言ったか」
「ああ」
「何故、その件を先に言わなかった」
まずい、と汗が滲む。こちらを見るその鋭い視線には、あきらかに俺に対する懐疑的なものも含まれていた。
「それは、できることなら一人で片を付けたかったから……」
「誰がそんな真似を頼んだ」
「……怒ってるのか? アンフェール」
「余計な真似をするなといってるんだ」
……これは、アンフェールなりに心配してくれているのだろうか。
そう立ち上がるアンフェールは、そのまま執務室の壁際に並ぶ本棚へと歩み寄る。
「ユーノの件は俺が調べる」
「でも」
「お前は余計な真似をするな。……もし、良からぬことを企む者がいるなら迅速に俺に伝えろ」
取り付く島もない、とはこのことだろう。
俺に背中を向けたまま、本棚に並ぶ本を手に取るアンフェール。
「……分かったよ」
こうなったからには引くしかない。
ユーノのことが分かれば何か教えてくれ、と言おうか迷って、やめた。こうなったアンフェールに執拗に迫ってはまた変に勘繰られる。
それよりも、この先はアンフェールの動向を見ればいい話だ。
「邪魔して悪かったな」
「……」
俺はそう、アンフェールの背中に声を掛けて、退室した。
結局、最後までアンフェールがこちらを見ることはなかったが、アクションは起こした。後は様子を見ることにしよう。
生徒会執務室を後にした俺はそのまま寮舎へと向かう。
ハルベルの周辺を確認するのも悪くないだろうが、ハルベルに不用意に近付き過ぎた結果があれだ。ここは慎重にならなければ。
それから数日、俺はアンフェールの動向を注目した。
アンフェールから生徒会役員たちにもなにか言われたのだろう。執務室は暫く第三者の立ち入りを拒んでいた。
けれど、肝心のアンフェールには警護はついていない。
それどころか。
「リシェス」
放課後。珍しく俺の教室までやってきたアンフェールに、教室に残っていた生徒たちが何事かとこちらを見ていた。
それは俺も同じだ。アンフェールの方からこうして俺に会いに来てくれるのなんてレアだ。
「どうした、アンフェール」
「帰るぞ」
「え、ああ……って、おい……!」
半ば強引に腕を引っ張られる。よろめきながらも、慌てて制服の襟を正した俺はアンフェールに遅れを取らないようにその後ろについていった。
寮舎に戻る道中、俺達の間に会話はなかった。
けれど、なにか意図あってのことだろう。アンフェールは無意味なことはしない。
……少なくとも、まだ今この世界での俺は好感度はそれほど高くないはずだ。
そのままの足取りでやってきたのは俺の部屋だった。
結局部屋の前までついてきたアンフェール。やはり、ただ善意で送り届けただけではなさそうだ。『さっさとその扉を開けろ』と言わんばかりの顔でこちらを無言で見るのだ。
「……アンフェール、上がっていくか?」
念の為、言葉にする。そのまま背後の男を見上げれば、アンフェールは「ああ」とだけ口にした。
これの素っ気なさもなにか企んでのことなのだろうか、いや元からか。などと思いながらも、俺はそのまま扉を開き、アンフェールを招き入れた。
先に部屋の中へ入っていくアンフェール。前回のことがあった分、部屋の中に誰かがいないか怖かったが、アンフェールの態度からしてその心配はなさそうだ。
そのままソファーへとどかりと座るアンフェールを目で追いつつ、俺は扉を閉めた。念の為、内側から鍵も掛ける。
「閉めたか」
耳聡い男だ。「なにか話があったんだろ」と返せば、「まあな」とアンフェールはこちらを見る。そしてこっちにこい、と顎でしゃくるのだ。
言われるがままアンフェールの隣に腰を降ろせば、そのまま伸びてきた手に腕を掴まれるのだ。
何事かとぎょっとすれば、すぐ側にアンフェールの顔があった。
「あ、アンフェール……?」
「――お前、俺に嘘を吐いたな」
鼻先数センチ、こちらを真っ直ぐに見据えるアンフェールの視線が刺さるほど痛かった。
――何故、バレたのか。
言わずとも理由はわかる、ユーノについて調べがついたということなのだろう。
「なにか分かったのか?」
「まだしらばっくれるつもりなのか。……この学園にユーノという男はいなかった」
やはりそうだったのか、というのが第一の感想だった。
俺もこの学園の生徒だが、あんなやつ一度足りとも見たことはなかった。
それよりも、アンフェールの言葉にはまだ引っ掛かる部分もある。
「アンフェール、この学園にってことは……」
そうアンフェールを見上げたとき、やつの冷たい視線が突き刺さる。
「お前は知っていたんじゃないのか。存在しない男の名前をでっち上げて」
「……町も、探したのか?」
「ああ、だがそんな名前の男は存在しない」
「……」
ユーノという名が偽名の可能性はゼロではない。けれど、そうなってくるとキリがない。
俺の記憶の中しか存在しない手がかりから、この世界線でユーノという名すら偽名だったとしたら探すのは難しいかもしれない。
――それでも、少なくともこの学園にそんな生徒が存在しないと聞いて、胸の内の取っ掛かり一つが抜けたような気分だった。
「……おい」
「そうか、わざわざありがとう」
「まだ話は終わってはいない」
「言っただろ、もしかしたら俺の聞き間違いの可能性もあるって」
その上で踏まえて調べてくれたのはアンフェールだ。けれど、俺の言葉にアンフェールの視線が更に鋭くなる。
……これは、苛ついている顔だ。
まずい、と危機感を覚えた俺は慌ててアンフェールの腕に触れる。
「けど、俺の杞憂だったならよかった……」
わざとらしすぎただろうか、と顔を上げた時。アンフェールに腕を振り払われる。
まさか振りほどかれるとは思わなくて、少し驚いて顔を上げれば、アンフェールは呆れたように深く息を吐くのだ。
「アンフェール……?」
「本当に、都合のいいやつだな」
今回ばかりはそう思われても仕方ない。アンフェールの好感度が下がることを自分からしたのだから。
それでも、アンフェールの言葉は少なからず俺の胸に突き刺さる。
「アンフェール」ともう一度呼びかけようとするよりも先に、アンフェールは立ち上がる。そしてそのまま俺の部屋を出ていくのだ。
せっかく部屋に来てくれたのだから、お茶ぐらい用意すべきだったかもしれない。
けれど、なにも言わないアンフェールの背中に俺は声をかけることなどできなかった。
◆ ◆ ◆
アンフェールの好感度は下がったものの、ユーノがやはり外部の人間である可能性が高いことは分かった。少なからず、この学園の生徒ならば偽名を使うのは不自然だ。
ならば、やはりハルベルのことが引っ掛かる。
この世界線はどうなのかはわからない。もしかしたら、あの世界線のハルベルが勝手にユーノのいうキャラクターを呼んできただけの可能性もある。
そして、そのフラグが立ったせいでハルベルが死んだとなれば……。
アンフェールのいなくなった部屋の中、俺は机に向かって手帳に書き記してまとめていく。
前の世界線と同じ道を辿らないように、繰り返すような真似は避ける。そうなると、俺に選ばれたのは『アンフェールの好感度を上げすぎない、ハルベルに頼りすぎない、アンリと仲良くしすぎない』ということだった。
けれど、これでは原作のルートと変わらない。
ならば、選択肢を大きく変えていくしかないのだ。
カレンダーの日付を確認する。恐らくそろそろアンリがあの森にやってくる日だ。
本来ならば、あの森にたまたまアンフェールが見回りに行って発見することになってる。
ならば、それよりも先にアンリに接触していたら大きく世界は変わるのではないか。
俺は手帳を閉じ、大きく伸びをした。
リシェスの剣も魔法も、人並みに毛が生えた程度だ。一人で行くのは危険だろうか。……念の為、ハルベルも誘うか。
そんなことを考えながら、俺は寝台にごろりと寝転ぶ。
今の俺には、運命を変えることしか頭になかった。
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