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「それにしても……やはり早朝の森林の空気はいいものですね」 「ああ」 「あ、リシェス様! 愛らしいお花がありますよ、リシェス様と同じ瞳の色です」 「……そうだな」  適当に見張りの人間を言いくるめ、学園の外へと出てきたはいいものの、森の中を進む途中ハルベルはずっとこの調子だった。  あれほど心配していたが、穏やかな早朝の空気が流れる森に安心したらしい。小言をチクチク言われるよりかはましだが、俺よりもはしゃいでいるハルベルを見てると『大丈夫なのだろうか』と逆にこちらの身が引き締まる思いだった。 「なんだかこうしてリシェス様とゆっくり森林浴するのも久し振りですね」  整備された巡回ルートの道を見つけ、進んでいく。確かに、物心ついたときには外で遊ぶよりも家の中で習い事している記憶の方が色濃く残っている。 「そうだな」と答えれば、ハルベルはなにかをいいたそうとして言葉を飲む。  そして、辺りの草むらに目を向けるのだ。 「そういえば、リシェス様の目当てのものは……」  ありましたか、とハルベルがちらりとこちらを振り返ったときだ。地響きのような獣の咆哮が聞こえてきた。 「……っ!」  ――どうやら、フラグが立ったようだ。 「リシェス様、今の声は……っ!」 「行くぞ、ハルベル」 「あっ、ちょ、リシェス様……っ!」  おそらく、俺の予想が当たっていればこの咆哮の発信源にはアンリがいるはずだ。――この世界に来たばかりのアンリが。  止めようとしてくるハルベルから逃げるように、道なき道を突き進んで草むらを掻き分けていく。  そして、そう離れていないその開けた場所に出たとき、目の前ににゅっと黒い影が現れた。 「うわあ! って、あ、あれ……っ?」  男にしては高めの悲鳴とともに、目の前の人影はそのまま尻もちをつく。そして、いきなり現れた俺に驚いたように目わ丸くした。  この世界では珍しい、黒髪黒目のその少年は間違いない――八代杏璃だ。 「リシェス様、勝手な行動は……っ」  そして、俺を追いかけてきていたハルベルもやってきたようだ。ぜえぜえと息を切らしたハルベルの声が聞こえていたとき、ぐるるるとどこからともなく空気を震わせるような獣の唸り声が聞こえてきた。  瞬間、座り込んだアンリの背後――生え揃っていた木々がばきりと凪払われる。 「リシェス様!」 「な」 「え――」  咄嗟にアンリの腕を掴み、振りあげられた大型魔獣から引き離そうと抱き寄せたと同時にハルベルが飛び出した。  そしてハルベルがなにかを獣に向かって投げつけた瞬間、辺りに真っ白な煙が広がる。魔物に有用な刺激物が混ざっている爆弾のようだ、人体にダメージはないが、それなりに煙たい。 「……っ、けほ!」 「リシェス様、こちらに!」 「あ、ああ……助かった、ハルベル」 「とにかく、逃げることが先決です! そこの貴方もこちらへ!」 「……っ、わ! ぁ、す、すみません……っ!」  ハルベルに先導されるように、俺はアンリを連れてそのまま森の中を掛けていく。  最悪この世界線で死ぬことになるのではないかと頭の片隅では覚悟はしていただけに、思ったよりもすんなりと逃げられた事実に驚いた。  そして、ハルベルに連れられてなんとか俺達は学園の敷地内まで戻ってくることができた。  ハルベルの用意していた対魔物用の道具たちが大活躍してくれたお陰か、それともアンリの悪運の強さなのかは定かではないが、間違いなく今までと違うルートは踏めているはずだ。 「……はあ、すみません、助けていただいて……」 「いえ、礼には及びません。……それにしても、なぜあんなところにいらっしゃったのですか? 魔物が彷徨く森の中、そのような軽装では危険です」 「ま、魔物……? 今のってなにかのアトラクションじゃあ……」 「……アトラクション?」  ――学園・校門前。  門番に魔物が出たことを伝えたあと、改めてアンリと顔を合わせることになったのだが。 「え、アトラクションじゃないんですか?」 「少なくともあれは本物だ。……見たところ、この辺りの人間じゃないみたいだな」 「……あ、その……僕は……」  どうやら何かを思い出したようだ。言いながら、アンリの顔色が変わっていく。  原作のアンリは、アンフェールと話しているうちにこの世界が異世界だと気付く。  そして、夢だと思っていた死んだあと、この世界にくるまでの『神様』とのやり取りを思い出すのだ。  アンフェールの立場へと成り代わればどうなるのかまだわからない。それでも、まだ今俺の目の前にいるアンリは『原作』のアンリと相違ない。    「……まあいい、迷子探しなら学園に突き出しておけばいい。これより先は俺の管轄外だ」  どこまで踏襲すべきか迷ったが、一度はちゃんとアンフェールと同じ行動をとるということを試した方がいいだろう。  最低限の会話で済ませ、そのまま学園側にアンリを突きつけるようとしたとき、「あの」とアンリに呼び止められる。 「あの、君は……」 「――リシェスだ」 「リシェス、君……」  そうアンリが俺の名前を口にした瞬間、ざらついたような微かな雑音が混ざった――ような気がした。つい振り返れば、そこには相変わらず不安そうなアンリが立っていて、目が合えば「ありがとうございました、リシェス君」とアンリは微笑むのだ。  ――気のせい、ではないはずだ。  緊張を悟られないように俺はアンリに「ああ」とだけ返し、そのまま学園に向かって歩き出した。そして、アンリを教員に引き渡す。  ここから先はなるようになるはずだ。  アンリを近くにいた教員に押し付け、その帰り。  雑務を済ませ、気付けば昼食の時間になっていた。丁度良い頃合いだ。俺はハルベルとともに昼食を取りに食堂へとやってきていた。 「さっきの方、なんだか変わった方でしたね。身形もこの辺りでは見掛けない格好でしたし……」 「……そうだな」  賑わい始める食堂内。  俺達は向かい合うように二人用の席を占領していた。  運動をしたお陰か、走っているときは気にならなかったが今になってどっと空腹がやってきた。それはハルベルも同じようだ。いつもよりも倍の量の食事をもりもりと食べるハルベルを眺めながら、俺も空腹を満たす。 「あ、そういえばリシェス様、リシェス様の目的のものって……」 「もう用は済んだ」 「え?」 「……逃げてる最中、丁度見つけたから毟ってきた」  言いながら、革袋に突っ込んでいた適当な薬草をハルベルに見せる。この草の効能などどうでも良かった、草でも石でもこの際。  実際はこの先、どう変わるのかをこの目で確かめることが俺の目的なのだから。 「……流石リシェス様、僕逃げるのに必死で気付きませんでした」 「そうだな。……お前がいてくれて助かった」  ありがとう、と改めて口にすれば、ハルベルは照れたように視線を外した。 「いえ、そんな……僕もアンフェール様のように武器を扱えたら良かったんですけど」 「なんでそこでアンフェールが出てくる?」 「だ、だって……」 「あのとき逃げ切れたのはお前の冷静な判断のおかげだ。……それに、あの爆弾も助かった」 「……い、いえ……」  もじ、と人差し指をくっつけて落ち着きなさげにきょろきょろと視線を動かすハルベル。  照れているようだ。ひとまずは話題を反らせたことに安堵する。カップに口をつけ、中の紅茶を喉の奥へと押し込んだ。瞬間、広がる芳香に息を吸う。脳へと染み渡る香りに、ピリついていた神経が落ち着いていくようだった。 「ハルベル」 「はい、如何なされましたか?」 「あの爆弾、この学園では手に入らないものだろ。……まさか自分で調合でもしたのか」 「あは、そんなまさか。……僕の手先があまり器用ではないこと、リシェス様もご存知ではありませんか」  とはいえど、ハルベルの薬学の成績は優秀なことは俺も知っている。それでも調合に使う材料ではこの学園の外、街に降りなければ手に入らないものがあったりもするのも事実だ。  カマを掛けるわけではないが、少しだけ情報がほしかった。 「けれど、お前は薬学の成績は上位だろう。俺も勝てたことはない」 「ご謙遜を。僕のはまぐれです。……ですけど、あの煙と火力で爆薬の材料を当てられるなんて流石ですね、リシェス様」 「あの爆薬は――本で読んで、試しにありあわせの品で作ったものですよ」なるほど、と思った。微笑むハルベルは嘘を吐いてる様子はない。 「そうだったのか。……なら、お前には才能があるのかもしれないな」  ハルベルは照れたように笑い、「お褒めに預かり光栄です」と頭を下げるのだ。  ハルベルの全てを疑うつもりではないが、ユーノのこともある。少しでも情報が手に入ればと思ってカマを掛けたが、やはりそう簡単にはいかないようだ。  俺はそこで一旦会話を切り、目の前の食事に集中することにした。

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