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4話 出会い

 華やかな大通りの左右は狭い狭い小路に分かれており、一歩そこに足を踏み入れると全く異なる趣になるのだから面白い。  明るい夏の西陽を避けるように、ただし特別な目的は何も持たず樹は小路に入っていく。  日頃は見向きもしないような真四角なティール色の建物に目を止める。大きく金で淵取られた窓枠を覗き込むと現代的なアートが飾られているのがわかる。  画廊だろうか。であればオーナーが中に居ようものだが、そこには3人座れば窮屈であろうカウンターテーブルが一つあるのみだ。  アートには然程関心のない樹だが、こちらをじっと見つめる大きな瞳のオブジェに引き寄せられ、店内に入って行く。  誰もいない。カウンターテーブルの後ろには、人が一人入れるかどうかのスペース。そして所狭しと置かれた種々のグラスとアルコール。  さしずめ、絵を購入させるためにまずはアルコールでも飲ませて、客の気持ちを蕩かすのだろう。どこもやることは同じだな。  そう勝手な解釈をして踵を返して出口に向かうと、そこには一人の男が立っていた。逆光で良くは見えないが、艶やかな漆黒の髪に、糊の効いた真っ白なシャツと黒いベスト。センタープレスの掛かった黒いパンツ。それがバーテンダーの佇まいであることを理解するのに然程時間はかからなかった。  「Bonjour Monsieur. 」  明るく柔和な笑みで話しかけて来た男は、日下絵と言った。18歳の時にアートバイヤーを目指して渡仏したそうだ。歳は28歳。バーテンダーの格好さえしていなければアルコールを扱う仕事に就いているとは誰も思うまい。学生のような佇まいに、血管の浮き立つような透き通った肌に似つかわしくない、アンバーなそばかすが目立つ。  現地で日本人に出会うのは珍しいことではないが、このような画廊で見かけるのは初めてのことだ。旅慣れた樹であっても異国の地に滞在する時には一抹の寂しさを覚えることがある。特に一仕事を終えた今日のような日には。  「よかったら一杯いかがです。旅の記念に。」  そう樹に声をかけると絵は軽やかにカウンターテーブルの奥に入っていく。ふくよかな赤ワイン用のグラスを手に取ると徐ろにそこにシャンパーニュを注ぐ。  「大きなグラスで空気を纏わせると美味しくなるんですよ。試してみて。」  甘やかな柑橘のような香りを確認すると、樹は大きめに口にふくみ喉に落とした。  悪くない。 暑い陽射しに照り付けられた樹の体内に冷えたシャンパーニュが流れ込む。一口、二口と飲み進める樹の喉元を絵は静かに見つめる。  「矢柄さんは、アルコールは問題ないようですね。こちらにお座りになって、もう一杯いかがです。」樹をカウンターテーブルに掛けるように促す。  誂の良いテーラーメイドのブラウンのスーツは樹の色素の薄い髪によく映えた。憂いを帯びた明るいブラウンの瞳は見る角度に寄ってはグリーンの光を宿し、奥底は漆黒に揺れている。高い上背を折るようにバーチェアに腰掛けると樹はネクタイを外してシャツの腕をまくる。  瞬間、男性的でありながら柔らかさを称えたパウダリーな香りが立ち上がり絵の鼻腔をくすぐる。  この男はどんなふうに恋人を抱くのだろうか。  そんな問いが脳を駆けるが、それを振り払うのは絵には容易いことである。

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