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9話 楽しい同僚

 「Bonjour. いらっしゃいませ。」 18時きっかりに画廊の扉を開けて樹が店に入ると、絵の明るい声が出迎える。  「おや、今夜は皆さんもご一緒ですか。ようこそ。PERSPECTIVEへ。」樹の後ろに、同僚と思しき男女が居ることを視認すると、絵は柔和な笑顔でバーカウンターに案内する。  ささっと熱いタオルを3人分、絵は順番に丁寧に手渡す。  「今夜も暑いですね。ここにある物と、それから店の奥にもリキュールやウイスキーを置いているので、大抵のシンプルな物は作れると思います。…樹さんは、いつものシャンパーニュにする?」樹はこくりと頷く。  「矢柄さん、こちらには良くいらっしゃるの?」  艶やかな赤いルージュが一際目を引く女性は、樹の同僚の詩子と言った。明るいブラウンのミディアムヘアは肩先できちりと整えられている。長くて漆黒のまつ毛は、間接照明の光を受けて詩子の整った横顔に影を落とす。  美しい女性だな、そう思い、絵はちらりと樹の方に目をやる。  「今回の出張で初めて来た店なんだ。本業は画廊であって、バーというわけではないんだがな。いろいろあってまんまと絵のペースに乗せられて、そこからは毎夜通い詰めだよ。」やれやれ、といった口調ではあるものの、僅かに微笑みながら樹は返す。  「オーナーさんのお話は聞いていますよー!人嫌いの矢柄さんが通い詰めるなんて、きっと面白い方だろうなって、今日無理やり連れて来ていただいたんです。どうぞよろしく!」  屈託のない笑顔で握手を求める男は辰彦と言い、樹よりは幾分か若くおそらく部下か後輩であろう。言葉のイントネーションから、標準語を話すように努めているものの、西の方の出身者だろうな、と絵はあたりをつける。  「ご紹介いただいて光栄です。樹さんの言うとおり昼間は画廊をしていますから、ずっと営業しているんです。お仕事の移動の時にでも立ち寄っていただけたら、美味しいエスプレッソをサービスしますね。」  やったー、と喜ぶ辰彦に、「おいおい、迷惑はかけんなよ。」と笑う樹。絵の胸に温かな感情が込み上げる。  「それでは、出会いに!Cheers.」爽やかに辰彦が乾杯の音頭をとる。君も何か飲むといい、と樹に言われ、樹と同じシャンパーニュで絵も乾杯をする。  しばらくの間、詩子、辰彦、樹の3人は談笑をする。仕事帰りの会社員が集まれば愚痴の一つも出てくるであろうに3人からはそんな素振りは微塵もない。今回の出張で行った講演会や、ミーティングをした専門家とのやりとりについて、柔らかく議論を交わしている。  柔らかな表情で言葉少なに語る樹も、自身の専門分野の話になるときらりと目が光る。真剣な眼差しに、プロフェッショナルなんだな、と改めて絵は思う。  辰彦のiPhoneが鳴る。  「はぁ、所長だ。ちょっと失礼します。」心底面倒くさそうに席を立ち、辰彦は店外に出て行く。  丁度詩子のモヒートのグラスが空いたので、絵は声をかける。  「次はどうなさいますか?ガス入りウォーターや、ノンアルコールカクテルもつくれます。」絵がささやかな配慮をすると、樹は、ぷっと噴き出す。  「いや、こいつは誰よりも飲むから。店で一番強いくらいの酒が丁度いいよ。一杯目もモヒートなんて…随分と猫をかぶるんだな。」可笑しそうに樹が言うと、  「そ。見た目通り、お酒には滅法強くって。酔ったことなんて一度も無いから貴方みたいにすぐ酔える人が羨ましいわ。XYZお願いできる?」毒づきながらかなり強めのウイスキーカクテルを頼む詩子に、  「畏まりました。」にっこり微笑む絵。いつも言葉遣いの丁寧な樹が、おそらく詩子にはとても気を許していることがわかる二人のやり取りに、ちりちりとした気持ちになる。  「あー、詩子さんずるーい。絵さん、僕も何か強いお酒つくって!甘いやつ。」店に戻るや辰彦が言うと、では、アマレットジンジャーにしましょうかね、と微笑み、絵は店の奥にリキュールを取りに行く。      

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