4 / 25

見てるぞ見てるぞ

 ノックはするものの、仲間のいる場所だと油断して返事を待たずに入ってくるのがヴェラスコの悪癖だ。  締め切られた市長付職員のオフィスへ響き渡る喘ぎ声がハリーのものだけではないと、当の本人はすぐに気付いただろう。ドアノブに手を掛けたまま、メデューサへ睨まれたかの如く固まっている。神話の魔女よりも余程生ぬるくタチの悪い横目を向け、己のパソコンに向き合っていたエリオットは「扉を閉めてくれ」と頼んだ。 「なんだよ、それ。一体……」 「ハリーの執務室に取り付けたベビーモニター」 「安心しろ、本来の目的はハメ撮りじゃない。執務室へこっそり入ってくる不届者がいないか、確認してた」  のろのろと己のデスクへ辿り着いたヴェラスコへ、ゴードンは取っ時の澄まし顔を突きつけてやった。 「お前、案外モノがデカいんだな。見直したよ」  呆然としている広報官と違い、戦略官殿は落ち着き払ったもの。流石に自らがやっているところをタブレットで流された時は、露骨に眉を顰めて見せたが。 「まさか君の指示か? エル」 「ゴーディだよ、思ったよりも良く撮れていて驚いた」  傍らに引っ張って来られた事務椅子から、行儀も悪くデスクへ伸びるゴードンの脚を手のひらで押し退け、最近買い替えたばかりのタンブラーを取り上げる。 「君の言いたいことは分かるよ、ヴェラ。全く悪趣味だ……しかし、これまでゴーディが取ってきた多数党院内総務や副市長の動向の7割は、どうやって手に入れたと思う?」 「てっきり彼らと寝たのかと」 「冗談言えるならまだ余裕だな」  7割もない、せいぜい3割弱と言ったところ。それに今のところ自らのコックはほぼ市長専用だった、こちらは忸怩たる話だが。  メモリ機能は1週間なので、隙を見て取り外し、USBにデータを落としている。近頃時間が取れなかったので、この記録は3週間前のものだ。執務机の背後一面に聳え立つ本棚は埃も碌に払われておらず、ハリーが手を伸ばしているのも見たことがない。大仰な装丁が施された自治体市史の、公民権編と考古学編へ押し潰される格好で設置されたカメラになど、誰が意識を向けるだろう。 「そういやモーは6日目に気付いたっけか」 「凄いな。さすが海兵隊員だ」 「壊そうとしたから止めるのに苦労したぜ。あいつ何でデスクの引き出しに金槌なんか常備してんだよ」  エリオットとぺちゃぺちゃ話している間に、行為は佳境へ入りつつあった。  モニターはデスクからキャビネット、ハリーが持ち込んだマレーネ・ディートリッヒを描いたコンラッド・リーチの巨大なシルクスクリーン裏に隠された金庫と、重要なものが置いてある場所を網羅している。つまり、デスクへ手をつかされて背後から挑み掛かられるハリーの顔もばっちり捉えられていると言う訳だ。 『あ、あ、あ、っん、ヴェラ、まて、やめっ……ん、っ、ほんとっ、堪え性がない……』 「ヴェラシータちゃん、良い子だからお兄さん達のところにおいで」 「絶対行かない」  俯いて抱えた頭を頑なに振る姿へ、思わず鼻を鳴らしたゴードンの膝の上に、エリオットの目が落とされる。ふむ、と顎に手を当てる彼が見たタブレットの中のハリーは、正面斜め上のいい角度。寄せられた眉根や、朦朧と瞬く度に眦から流れ落ちる涙、嬌声と共にだらしなくはみ出す赤い舌、今1人だったら勃起してたかも知れないと、ゴードンは正直に認めた。 「なあヴェラ、前から思ってたが、お前後ろからやる事、圧倒的に多いよな」    だがこうして冷静に状況を分析し、ブレインストーミングに打ち込んでいる限り、この映像はあくまで資料だ。確かにエリオットは乗り気と程遠い。けれど脳と舌が直結したような状態で次々出されるゴードンの意見を、ある程度噛み砕いて考えては、自分の見解を述べてくれる。 「まだ嫌悪感があるのかい、同性とのファックが」  髪が跳ねる勢いで頭を持ち上げ、ヴェラスコは年長者達を睨みつけた。 「嫌悪なんか……! 僕はただ、彼が気持ちよくなる事を優先してるだけだ」 「それにしちゃ、なあ。キスもあんまりしないし。何となく、ハリーが積極的に動いてる事の方が多い」  そこまで推論の欠片を拾い集め、ぱっと組み上がった仮説を、ゴードンは自信を持って口にすることが出来た。 「成る程な、こいつ怖いんだよ、ハリーに尻を狙われるから。何せ可愛い坊やだからな」  それが試合開始のゴングだった。椅子が壁にぶつかる勢いで立ち上がると、ヴェラスコはずんずんとこちらへ歩み寄ってきた。そのままタブレットを引ったくり、カーソルをスワイプして早送りする。  やがて床に伏せるハリーへ覆い被さり、腰を振るゴードンの姿を見つければ──尤も、執務机に邪魔をされ、カメラのレンズには膝立ちになったゴードンの肩から上しか写っていないが──ふんと盛大に鼻を鳴らしてみせる。 「必死だな」 「激しくしてるのさ。ハリーは少し痛い位が好みだ……お前も知ってるだろ? 彼はとんだ好き者だからな」  全く、話の内容だけならば、大学のロッカールームだ。問題は、噂の的がグラマラスな女の子ではなく、むくつけき男だと言うことだが。  以前エリオットに、どうして撮影を続けるんだと尋ねられた事がある。勿論、防諜対策が第一である事は間違いない。けれど自分の番が来てもモニターのスイッチを切らず、本当は口で言うほど興味もない他人の情事を眺めている。何故? と聞かれても分からない。  ただゴードンは、己の精神がこの場所へ順応していることを意識していた。外とは乖離した、小さな世界へ。 「見るのが好きか」  昨日の議事録が表示された画面と、ダブルモンクストラップ・シューズの爪先を等しく視界に入れたまま、エリオットはキーボードへ指を滑らせる。 「それとも、見られるのが好き?」 「変態」  もはや頬を染める血の気は平静な位置まで下がり(全くつまらない)ヴェラスコの瞳は、普段の好戦的な蔑視に満ちている。 「市長は気付いてるのか」 「どうでもいい」  「気付いてない」と言うつもりだった。けれど、今ここでハリーの意見は関係ないと、直前でゴードンは頭を切り替えた。  ハリー・ハーロウはイーリング市の市長。この執務室にいる限り、市民の為に尽くす歯車だ。部品がメンテナンス管理者にプライバシーを要求する事自体が間違っている。  それは彼に無体を強いている、と非難されても仕方がない。けれど、市長の意見に忖度し、顔色を窺っている戦略官など、水を張っていないプール並に無意味で、危険ですらある。 「このモニターを設置してから、無断で部屋へ侵入した他の議員の関係者はいない。ヴェラ、お前が何回かこそこそデスクに積んである書類を漁ってたのが映ってたけどな」 「あーはいはい、確かに不備のあった書類を回収しに行きました! 皆やってるだろう」  タブレットを突き返す彼に後2、3言追撃してやれば、終いには頬を膨らますんじゃないか。そう思ってニヤニヤ見守っていた矢先の事だった。  一足先に押し入って来て、到着を知らせるのは忠実なる秘書モー・テート。ただしこれは同僚達への警告ではない。明らかに、彼は勝ち誇った表情を浮かべていた。  登場するな否や、自らの善がり声を聞き、悶えくねる姿を見る羽目になったハリーは、顔色を青くしたり赤くしたり忙しいことこの上ない。やがて高校チームのQBとして活躍していた身のこなしを復活させ、猛然と走り寄って掴みかかって来るものだから、デスクを蹴って椅子ごと下がり、回避する──つもりだったが、キャスターが何かを踏ん付けた。つんのめって真後ろへ盛大にひっくり返る。 「ゴーディ?!」  2000ドルするハーマン・ミラーの椅子は、倒れる時も凄まじい音を立てたが、人体工学に基づいた包み込むような構造が立派に身体を守ってくれる。おろおろしながらも、ハリーは差し伸べたのとは反対側の手で、まだお手製ポルノ映像を流し続けるタブレットを取り上げた。 「大丈夫か、頭打ってない? 良かった……全く、モーが報告してきた時は何の冗談かと思ったが」 「やい裏切り者、市長のイヌ」  背筋の湾曲に沿い体重を分散すると言う触れ込みの背凭れへ沈んだまま、ゴードンは市長の一歩後ろへ控えるモーへがなり立てた。 「お前だって、貴重なフィードバックだとか言って30分は観てただろう」 「30分も観ていません、せいぜい15分……」 「あー、もうどうでも良い」  タブレットを小脇に抱え、ハリーはくるりと踵を返した。 「これは預かる、情報を消去したら返すよ」  軽く俯く耳が赤くなっているのを、ゴードンは見逃さなかったし、先程から笑いっぱなしのヴェラスコは息を切らしながら囁いた。 「あれ、絶対今夜のオカズにされるぞ」  

ともだちにシェアしよう!