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トリ、トリ、トリ!

 ハリー・ハーロウは鳥が嫌いだ。食べる分には問題ないが、生きていると意識すれば、それが雀のように無害な存在であっても、余り良い顔をしない。  理由は単純で 1、幼少期にヒッチコックの映画を観た 2、小学校の遠足で海岸に行ったとき、カモメに弁当のサンドウイッチを奪われた 3、大学生の頃バックパッカーとして訪れたルーヴル美術館前で鳩に襲われ、嘴でつつかれたか爪で引っ掻かれたかした傷が元で熱を出し3日間入院した  そこまで悲惨な経験をしていれば、さすがに「可哀想に」と言ってやる気も起こる。加えて今回のトラブルだ。 「いっそ自然公園ごと焼き払ってやりたい。モー、コーヒー持ってきてくれ……どこ行ったんだ、あいつ」  第二市庁舎へ入っている自然保護局から戻って以来、ハリーは持ち帰った資料を頑として開かなかった。仕方がないので、同行したエリオットが復習がてら読んでやっている。 「ゴマフヒメドリ、生息地は主にヴェラクルス地方」 「何でメキシコの鳥がこんなところに来る、気候も違うだろう」 「温暖化の影響かな」  オフィスの棚へは、休憩室から分捕ってきた菓子が幾つかストックされている。ハリーはその中からゼリービーンズの小袋を3つほど引っ掴み、三人掛けの応接カウチへ乱暴に腰を下ろした。 「何が温暖化だ、外来種のおかげで土地の固有種が滅んだらどうする」 「その可能性は極めて低いと、保護局の人間が分析していただろう。とにかく、この鳥は絶滅危惧種としてレッドリストに登録されている。遊園地の騒音が繁殖地の生態系を妨げると世間に知られたら良くない」 「この街には人間の不法入国滞在者ですら少ないのに、今度は鳥か」  エリオットを見上げ、ぽんぽんと隣の座面を叩く顔は、ご機嫌斜めここに極まれりだった。  座るや否や、ごろりと膝を枕にした時も、市長はやはり拗ねた表情。いや、ここは疲弊していると好意的に解釈してやっていいのかも。髪を撫でてやれば、ううん、と猫のように喉を鳴らし、手のひらへ擦り寄ってくる。口一杯のゼリービーンズが咀嚼される、頬の幼げな動きに、思わず微笑を浮かべてしまう。 「我が市が移住を推進しているのは人間だけさ」 「大丈夫だよ、ハリー。テーマパークは完成する。いつも通り、問題を解決するために皆で考えよう……何なら、希少動物がいる公園と言う触れ込みで、新たな観光の目玉にできるかも」  とは言うものの、このままだと工事の開始すら危ぶまれる。産卵期は4月から5月にかけてだと聞いていたから、直後に開始して竣工が一年半後に……そうなると、一番人が集う時期に繁殖期が重なる。大体、根本的な解決にはなっていない。  つらつらと考え込んでいたら、親指に鈍い痛みが走る。 「何か余所事考えてたな」 「遊園地のことだよ」 「余所事じゃないか。今はもっと、僕のことを考えたら?」  顎の力こそ緩めたものの、ハリーはまだ歯形のついた第一関節を唇で咥えていた。喋るたびに、ぬるつく舌先がふやけた皮膚を軽く弾く。  結局は破談に終わった挙式以来、ハリーは以前に増して試し行動じみた真似をしでかし、甘えてみせる。信頼を損ねる真似をしてしまったのだから当然だと、お互いの間で交わされた暗黙の了解。けれどエリオットは、時に思ってしまう。これは己に与えられた罰なのではなく、この男が進んで糸を吐き出し、自らをより強く絡め取る方便ではないかと。  エメラルドの瞳でじっと真上の顔を見上げたまま、ハリーは両手で掲げたエリオットの手に口付ける。そのまま胸元へと導き、心臓の真上に触れさせた。リネンのシャツ越しにもつんと尖っている胸の先。この季節にアンダーシャツを着ないなんてと、説教の一つもしたくなったところで、十分許されるだろう。  身を起こしたハリーは、そのまま伸ばした腕をエリオットの首筋に回した。キスしたがっている。そして抱きしめられたがっている。可愛らしい我が儘を、エリオットは受け入れた。 「ん……エル、なあ、何とかしてくれ」 「勿論だよ、ハリー」  それがテーマパークの建設のことではなく、ハリー本人の肉体についてだと思い至ったのは、胸に益々上半身が押しつけられ、重ねられる唇の粘膜が充血し熱っぽさを増してからのことだった。どれだけこちらの唾液を飲ませても、彼の口の中はいつまで経っても菓子の味が消えない。 「本当は、昼間からこんな事したら駄目だよな。でも……」  甘ったるい舌が、蕩けるような愛を語る。相手の首筋に吸い付きながら、ハリーは濡れた唇でなまめかしい笑みを象ってみせた。 「知ってるか? 君のその声で、その口調であやされると、僕はいつでも堪らなくなる」 「困った市長だね」 「何言ってるんだ、君のせいじゃないか」  責任を取ってくれ。そう囁きながら手の甲に這わされた指先は、エスコートを望んでいた。  エリオットが腰を浮かしかけた絶妙の間合で、モーが部屋に足を踏み入れる。 「失礼しました、まだ戻られてないかと」  扉を開けた彼が目を逸らし謝罪したのは、タイミングを誤ったせいだろう。きっと片手に携えた猟銃については、何も悪いと思っていない。  何事だと矢継ぎ早に問い詰める2人を戦略地点に案内しながら、モーはへどもど答える。ゾンビもミサイルもこの街には無縁であること。これは空気銃であること。最近市庁舎の中庭に野良猫が住み着いて、可愛い子猫を6匹も産んだこと。 「毎日様子を見ていたんですが、この1週間で子猫が2匹減ったんです。迷子になったか、体が弱ってしまったのかと思っていたら、昨晩、ヴェラが目撃しました。カラスが子猫を咥えて空を飛んでいるところを」 「酷い話だ、最も弱い存在を狙うなんて」  テーマパークの主人公になる黒猫は嫌いだと公言していたハリーも、素直に憤慨してみせる。おまけに今回の敵は、ブリック・ブラックキャットより更に憎い鳥と来ていた。  義憤に駆られる余り、トチノキの木陰にアウトドアチェアを広げ、双眼鏡片手に踏ん反り返っている広報官へ「仕事は終わったのか」と尋ねることすら忘れる始末だ。 「あそこの植え込みに猫の寝床が……ほら、今1匹、ぶち猫が出てきました」 「うわあ、可愛いなあ」  差し出された双眼鏡を目に当てながら、無邪気に声を弾ませる。 「それで、あちらのスズカケの木にカラスの巣があります。目と鼻の先だから、格好の餌食です」  モーが指差した場所へ目を凝らして見れば、確かに夏の緑も涼やかな枝の合間に、ちょこんともじゃもじゃが垣間見える。  中庭と言っても、第一市庁舎と議事堂を結ぶ空中回廊周辺の、よくイベントスペースに用いられている芝生をそう呼んでいるだけだった。もう一月前ならば、ピクニックを楽しむ親子連れや恋人達もちらほら見かけることが出来ただろう。この季節は日陰も少なく、地面に溜め込まれていた湿気がじりじりと、乾いた緑の狭間から立ち昇っては、服と皮膚の隙間に熱気を籠らせる。 「このままでは子猫が全滅してしまいます」  空気銃を構えるモーの手つきは、アクション映画の主人公よりも遥かに様になっていた。 「そろそろ戻って来る頃合いでしょう」 「良いぞモー、僕が許可する。か弱い命を救え」 「市長に言われたら、あのカラスも文字通り公共の敵No.1だな」  マクドナルドのロゴがついたLサイズのカップから、ストローでずるずるとコーラを啜り、ヴェラスコが肩をそびやかした。 「カラスも『撃つな、Gメン』じゃなくて『パパとママの愛情が足りなかったのか』って鳴いたりして」 「か弱い命を救いたいなら、一旦引き金を引くのは保留にしたほうがいい」  眼鏡を額に掛けてまで双眼鏡を目に押し付け、眉間に皺を寄せながら、エリオットは呻いた。 「3羽……4羽か。まだ羽も生えそろっていない」  戻ってきた双眼鏡で、しばらく巣を凝視していたヴェラスコが、はっと息を飲んだ。 「まずいぞ、雛がいる。繁殖期じゃないのに」 「気候変動で生態系も狂っているんだろう」  メキシコからうっかり飛んできてしまった小鳥と同じで。  非凡で迷惑な鳥は忌み嫌われて、平凡で迷惑をかけない猫は愛される。何だかおかしな話だし、デジャヴを覚えるのは気のせいだろうか。 「気持ち悪い、何であんなに大きく口が開くんだろう」  しんみりとした同僚に感化され、思わず下がりかけたモーの銃口は、嫌悪も露わなハリーの吐き捨てで反射的に持ち上がる。 「でも余りに酷ですよ、市長。母鳥を撃つなんて」 「全ての命は救えないんだ、ヴェラ」  重々しくそう言ってのけるハリーに皆喧々囂囂。結局汗を掻き掻きやってきたゴードンが、アニマルシェルターの電話番号を書いたメモを手渡すまでの間に、残念ながら彼の支持率は少し下がってしまった。

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