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※モーテル・ウィズ・ゴードン その1

 行きも帰りも、男達はこそこそ去っていくことを望んだのだろう。だが残念ながら連中が乗ってきたフォードは信じられない程メンテナンスが怠られており、さながらヘルズ・エンジェルスじみたエンジンの吹かし方でモーテルの駐車場を去っていく。最初彼らがやってきた時は、てっきり隣室で酒と麻薬と女が盛り沢山の乱痴気騒ぎでも行われるのかと、ハリーはすっかり震え上がっていた。  とにかく、発つ鳥が残した濁りはやがて底へと沈殿し、少なくとも水面は澄み渡る。ばったりと埃っぽいベッドへ倒れたハリーに、ゴードンは「お疲れさまでした」と苦笑を向けた。  労りの意味もあるが、純粋に楽しかったし、満足感を覚えている。駆け引きは好きだ。アドレナリンは未だ血中を駆け巡り、あと数時間、舌戦を繰り広げようと余裕で持ち堪えられそうだった。  とは言うものの、これは最後の総仕上げだからこ そ。何故か周囲から意外に思われるが、仕事の進め方で言うと、実のところゴードンは執念深く相手を追い詰める方法を好んだ。一度脚に噛みついたら、逃げる獲物の血の跡を追って延々と付け回し、弱るのを待つ。相手がとうとう力尽きて立ち止まれば、一気呵成に突撃し、ばらばらに引き裂いてしまう。  まさしく猟犬の戦い方だね、と以前偉大なるエリオットが苦笑いしていたのを思い出す。顔を洗い、洗面所から出てきた彼も、やはり心地よい充足感から完全に抜けきってはいないようだった──トリバゴで辛うじて星3つの安宿に文句を言ってはいけないが、この部屋は空調の効きが悪すぎる。  こんな狭苦しく不快な場所で頑張った甲斐は、勿論あった。州の自然保護局からやってきた公園担当部の副部長は、一週間前引かれたばかりなテーマパークの新しい図面を見て、首を縦に振る。「これ位ならごまかせるだろう」  別に金を渡したりはしていない。彼の上司と知己のある男が経営する、ステーション・ダイナーのチェーン店が新しい駅に入るだけだ。談合とすら言えなかった。そもそも入札に応募してたのはろくでもない店ばかり。地元へ古くからあった食堂が2号店を出したいとか、お決まりのファストフード店とか──既に地階へバーガーキングが入っているのに、どうして1階にマクドナルドを入れる必要が? 「これで抗議から解放されるし、ブライスの鼻も明かしてやった。問題は駐車場の件についてマレイがまた地元の治安がどうとかごねるのへどう対応するかだが」 「何とでもなりますよ」  遊園地と駐車場の配置を変えたことにより、駅からテーマパークまでの距離に15分の差が出てしまう。来場者の乗用車利用率は増えるだろう。大いに結構。せっかく新しい低所得者向け住宅にも人が馴染み始めたのだ。街を通りかかる人々相手の雇用が増加すれば、一石二鳥どころではない、メリットは幾らでも数え上げることができる。例えマレイがどれだけ喚いても、他の議員を説得するのはそう難しいことではない。 「とにかく、クタクタだ。今日はもう仕事なんか金輪際したくない……火急の案件は無かったな?」  もぞもぞと身を起こしたハリーは、エリオットと入れ替わりにバスルームへ籠もる。「汗だくで気持ち悪い、それに準備しないと」  ワイシャツの背中へ浮いた斑な染みを後目に、ゴードンはベッドへ立てかけてあった鞄を取り上げた。中から現れた酒瓶に、エリオットが「今日一日持ち歩いてたのか」なんて驚嘆と呆れも露わに目を見開く。  21年もののグレンリベットはまだ封を切られていない。古いボトルを飲みきったのは半月程前──あれは、教育局の図書館部門と交渉した時のこと。導入するパソコンを連中の望む最新のものではなく、型落ちのアウトレットを購入するよう、半ば恫喝紛いの勢いでサインをさせた。どうせあそこの地区じゃ、求職者が履歴書を書いたり、涼みに来たホームレスがエロ動画を見る為にしか使わないだろう。子供目当てならマシンより参考書を増やした方がまだ役立つ、その予算なら回してやるから、な?  ろくでもない取引を成功させた時には、この酒を飲むと、昔から決めていた。おかしな話だが、街へ雇われるようになって以来、ボトルの蓋を開ける機会は増えている。ワシントンDCへ居たときの方が、遙かにえげつない案件を手がけていたと言うのに。 「当然だろう。企業に雇われたロビイストとして、欠陥品の断熱材を老人ホームへ使うよう掛け合っていたのと、公人として目眩ましの等閑な環境対策を推し進めるのとは、同じ綱渡りをするにしても違う」  水差しの隣から持って来られたコップは2つ。曇りが取れないと承知で、清潔なハンカチを使い拭ってから、エリオットは1つをゴードンに差し出した。 「昔は真下のプールで鮫が泳いでいた。最悪食べられるのは自分一人で済む。けれど今では何人もの市民が見上げている。私達が綱から落ちたら、彼らは下敷きになって死ぬかもしれない」 「あんたにそんな倫理観があったなんて初耳だし、飲みたがるのも意外だな」 「家ではヴァルが頑張ってる、こちらだけ晩酌をするわけにはいかないよ」  何よりも、これは美味い。こうして向き合って語らい、グラスを傾けたのはもう数え切れない程だから、彼も勿論その良さを知っている。  からからに乾ききっていた喉は、柑橘系を思わせるすっと通りのいいアルコールに焼かれて浄化される。口の中に残る、もったりした甘みと渋みは、どれだけ冷房の設定温度を下げても湿度の残る部屋で、体をどろりと溶かすかのようだった。  くいと二口ほど煽る際、晒された褐色の喉元を汗が滑る様子をぼんやり眺めながら、ゴードンは溜息をついた。 「馬鹿げてる。だから最初から、ハーディングに建てりゃ良かったんだ」 「彼が誘致したかったのは遊園地だけじゃないさ。これから通勤客は毎朝毎夕、ハリー・ハーロウの顔を思い出す。例え高速鉄道なんて、そんな旨味のある話じゃないとしても」 「この10年で移住し来てた新興住民の4分の3は、車で通勤してるってのに……ハリーもそれを分かって」  アルコールが回るにつれ、汗はじわじわと毛穴から噴き出し、止まることを知らない。まるで肌を流れる滴に混ざる塩辛さをからかうかのように、バスルームでシャワーの音が途切れることはなかった。 「遅いな。湯船に浸かってるのか」  心地よく弛緩していたエリオットの焙じ茶色をした瞳が、ぐうっと焦点を絞る。 「彼、『準備をしてくる』って言ったぞ」 「準備?」  自分でそう、訝しげに唸った時には、ゴードンも事態を理解していた。 「待てよ、どういうことだ。ここでやるのか」 「どうやらそのつもりらしい」  また一口ぐっと喉へ流し込んでも、エリオットの声は普段の柔らかく落ち着き払った深みなど見る影もないほど掠れていた。 「私達が酒を飲むのと一緒で、彼はファックで緊張をほぐす」 「それにしたって……俺と? それともあんたと?」  顔を見合わせたエリオットが再び口を開くより前に、早々とドライヤーの音は止まる。市長は颯爽と登場した。備え付けのごわついたバスローブも、彼のしっとり潤った肌の上へ羽織られると、品の無さが却って官能性を掻き立てる。 「どちらでも構わないよ。何なら2人まとめてで全く問題ない」  幸か不幸か、シーツの中へ身を滑り込ませて少し体をもぞつかせたと思ったら、まるで手品のようにローブは脱ぎ捨てられる。見せつけるように床へ落とし、ハリーは態とらしい欠伸を一つ溢した。 「ごまかしたって無駄だぞ、君達だって、興奮してるんだろう」 「ハリー、せめて家か市庁舎まで我慢できないかな」 「拒否権を発動する」  可能な限り優しい口調で放たれるエリオットの提案はにべ無く切り捨てられる。エメラルドの瞳に真っ直ぐ射抜かれた時点で、ゴードンは負けを確信していた。  駄目押しとばかりに、ハリーは身を覆うシーツを左脚で蹴るようにしてはだける。立て膝の状態で露わになった内腿を、ぬとりと鈍い輝きを帯びた粘液が汚していた。それは半勃ちになったペニスからこぼれた先走りではなく、奥にある窄まりへ仕込まれたローションに他ならない。塗り広げるよう手で撫で、彼は舌先で唇を小さく舐めた。  あれだけ長く水浸しになっていたし、触れればぷるりと柔らかいことなど百も承知だ。なのにゴードンは、そこが熱で乾いているとまざまざ意識した。自らを征服する男に濡らされ、蹂躙されたがっていることも。 「いいさ、エル。気が乗らないなら見ているだけでも。彼と違って、君はまだ枯れていないだろう、ゴーディ」 「くそったれ」  この淫乱、雌犬。そう粘ついた口の中で唸りながら、ゴードンはベッドを軋ませ身を乗り上げていた。

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