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狭いながらも楽しい他人の家

 新築住宅の内覧会とは言うものの、要するにマレイの施策にお墨付きを与える為の示威行為だ。車の中でハリーは、表に出せない愚痴を散々漏らしていた。 「まるで僕が彼と癒着してるみたいだ」 「マレイの事は考えないで下さい。今回は貧困に喘ぐ老人達の為です」  宥めるゴードンから素気無く顔を逸らし、運転席のモーへ向かって首を伸ばして見せる。 「君の祖母を、あんな奴の建てた家に住ませるか?」 「実物を見ていないので何とも……」 「全く正直な奴だよ」  呵呵と響かせるゴードンの笑いも、当然だが空々しい。 「そう言えばお前、実際おばあちゃんと同棲してたよな」 「身体的介護が必要な程ではないですが」 「そうだったのか。立派だな」  揶揄する部下と裏腹、驚き賞賛するハリーの口調はあくまで素直だった。 「今後は老人福祉の実態については、君に話を聞くよ」  当てにはしないで下さい、と内心モーは嘆息をついた。率直に言って、祖母の中でハリー・ハーロウの印象は著しく悪い。カトリックの彼女にとって、同性愛者であることを堂々と公言する市長なんて以ての外だし、孫を深夜も休日もこき使う上司は蛇蝎も同然の存在だろう。  そうで無くても、彼女は元気過ぎる。30も超え、海兵隊を名誉除隊した孫に向かって、やれ帰宅前に連絡しろだの、洗濯物をきちんと出せだの、事あるごとにガミガミ小言をぶつけてくる。彼女の体で一番最後に弱るのは頭に違いない。 「僕の祖母はチャールストンに住んでるが、僕に会ってもくれないよ」  そうぽつりと零した後は、完璧な笑顔を浮かべ、ささやかとは言え待ち構える報道陣に愛想を振り撒く。恐らくマレイが呼んだのだろう。今回ばかりは彼も遅刻せずに待ち構え、逃がさないと言わんばかりの力強い握手と共にカメラへ収まってみせる。 「後押しを頼むぞ。このままだと定員割れするかもしれん」 「君の肝煎の政策だろう。自分でもっと宣伝しろよ」 「あんたが積極的で無いって、話を流してる奴がいる。恐らくヤンファン辺りか」  話を流すも何も、事実なのだから仕方がない。自然な灰色の髪を撫で付け、マレイは取ってつけたように「さて」と声を張り上げる。 「諸君はさっき、窓枠の埃まで検分しただろう。今度は市長の番だ。彼にも、集合住宅の未来を堪能して貰おうじゃないか」  一見、小綺麗な2階建てのタウンハウスだ。セパレートは上下階。この時点で既に老人向けではない。流石に気付いたハリーが尋ねれば、マレイは肩を竦め、しれっと答えた。 「上の階にはファミリー層や単身中年層の受け入れも積極的に行う予定だ。世代間を超えて交流し、お互いの知識を分け合う」  家の前を大声上げて自転車で走り抜ける子供達を見かける度に、怒鳴りつける祖母の姿を思い出し、モーは怖気をふるった。 「僕も将来的に、こんな住宅へ住む事になるんだろうか」 「あんたみたいなふてぶてしい人間、最後はご立派な邸宅のキングサイズのベッドで天寿を全うするでしょうよ。今際の一言は『薔薇の蕾』」 「あれってなんの暗喩だった?」  敷居を跨いで家の中に入るハリーとゴードンの後に、のそのそとモーも続いた──跨いだ? 車椅子や足の上がらない老人が苦労しないだろうか。  メディアを愛するマレイがカメラの元へ駆け戻っている間に、ハリーはふんふんと頷きながら家の中を歩き回り、好き放題論う。 「地下室がないぞ」 「設計図の段階でありませんでしたよ、これだけ収納があったら無くても十分事足りるでしょう」 「ハリケーンの時はどうする」  モーからひったくった企画書をぱらぱら捲ってみせるゴードンの手元を覗き込み、ハリーは眉間に皺を寄せた。 「去年だって『デイヴの建てた家が泥濘にダイブした』って散々笑いものなってたのに……笑い事じゃないな。あの家と違って、今回は僕が承認したプロジェクトだ。絶対に死人は出させない」  顎に手を当てて唸り、もう暫く往生際も悪く確認してから、やがて言葉は厳かに続けられる。 「それに、地下室はロマンがある。僕が高校2年生の時、上級生の野球部員と初体験を済ませたのも、彼の家の地下室だった」 「家が浸水したら、普通は上の階へ逃げるんじゃ無いですかね」  他にもこの形のコンロは鍋を置きにくいから嫌いだの、壁紙のセンスが悪いだの、成程、見る場所が違うから問題に感じる点も違う。10分ほど見学した時点で、モーは数え切れないほどの欠点を拾い上げていた。狭い間取りは歩行器の妨げになり、壁の洒落た飾り棚は骨粗鬆症で軋む体に無用の長物。風呂場の手すりは設置場所が少し低過ぎる。  新築特有の、新鮮な木と塗料が混ざった匂いは期待を煽るだけに、中途半端な状態はもどかしい。 「顔が怖いぞ、モー。心配しなくても、君に引っ越せとは言わないよ」 「もしもこの家で祖母が一人暮らしをしたいと言い出したら、決して積極的に賛成はしないでしょうね」 「言うじゃないか」  くくっと喉で愉悦を転がし、ハリーはゴードンに向き直った。 「さて、ゴーディ。君ならこの家を不動産会社のホームページで見つけて、内覧に来た時、まずどこを確認する?」 「CBREの内情について酸いも甘いも噛み分けた人間として?」 「君は退職金をはたいて、専業主婦の妻と一緒に終の住処を探しているゼネラル・モーターズの元工員だ」 「じゃあ、まずは音漏れですかね。上の階の爺さんは耳が遠くて、毎晩テレビの音量を最大限まで上げてFOXニュースを流すかもしれない」  彼が玄関を出て3分。入れ替わりに、ドアからマレイが顔を突き入れる。 「会見は5分後で構わないか」 「焦らない、焦らない」  鷹揚なハリーの笑い声と、外のざわめきに混ざって、階上を歩き回る足音が天井から降ってくる。ついでにしゃかしゃかと、明らかに規則性のある旋律も。 「今のでスマートフォンの音量レベルは四分の三です」 「70間近の元GM社員が、ピットブルの『インターナショナル・ラブ』は聞かないと思うが、かなり響くのは確かだな」  掛かってきた着信はすぐにスピーカーモードにされたので、ゴードンのがなり立てはがらんとした部屋へ猛然と響く。声ごと閉じ込めるよう、マレイはばたんと扉を閉めた。  くすくす笑いで震える肩をモーの腕に押し付けながら、ハリーが投げかけた目配せは、無邪気な程に悪戯っぽく、邪悪過ぎるくらいに蠱惑的だった。 「見たか、今のデイヴの顔」 「床なら防音マットを敷けば多少はマシになるでしょう。問題は壁ですね、隣家の音はもっと悲惨かも」 「分かった。ゴーディ、右側のフラットに行ってくれ」  本当は、こんなこと絶対に良くないのだが。悪事を企むハリーの今にもむずむず開きそうな唇、上機嫌に細められた瞼から覗くエメラルドの輝き、はっきり言って魅力的だった。しかもこの表情を見ることが出来る頻度は、日を追う事に増している。 「次はJLOでも流すか」  隣家と接している居間の壁をごんごん、と拳で叩き、ハリーは嘯いた。 「しかし家具が無いとは言え、殺風景な部屋だな」 「その分自由な飾り付けが出来ますよ」 「それにしたって……僕ならここに絵を掛ける。リチャード・ハミルトンのコラージュが、今度の州森林火災基金のチャリティ・オークションで出品されるそうだが。あれが手に入るなら、この家を買ってもいい」  ばりん、と派手な音が響いた次の瞬間、モーはハリーの肘までを飲み込む、ピンクグレーに塗られた合板の壁を凝視していた。 「おい、何があった」  機械越しでは無いゴードンの声は、ハリーが呆然とした顔で手を引き抜けば、より明瞭に聞こえてくる。穴から覗く戦略次官の、呆気に取られた表情は、普段ならば笑ってしまっただろうが。 「ハリー、そろそろ時間も押してるだろう」 「分かった。すぐ行く」  ハリーが口を開くより早く、モーは咄嗟に壁へ背を押しつけた。幸い、マレイは苛立ちを隠しもせず、一瞬だけ顔を突っ込んだ後、扉の向こうに消える。 「デイヴに謝るのは帰庁してからにしよう」 「大丈夫ですよ、市長。もしも壁が頑丈だったら、老人が転倒して頭をぶつけたとき、脳挫傷を起こしていました」 「それは慰めてくれているつもりなのか、モー」 「いや、市長は住宅の欠陥を発見したんですよ。事故を公言しない代わりに、奴に自腹で全住宅の補修を命じましょう」  ゴードンの提言に、ハリーは辺りを憚っているかの如く慎重に頷く。 「こんな家に1人で住んだら、発狂する自信がある」 「もしもあなたがまだ結婚していなかったら、俺が介護に毎日通いますよ」 「いっそ結婚するか?」  皮肉げな口調に、モーは思わず「そう言う冗談はよして下さい」と唸りながら、ちくちくとシャツ越しに背中を刺す合板の破片を払い落とした。

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