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セルフイメージ構築の失敗例

 最近、元妻が上の娘にスマートフォンを買い与えた。子供達の教育上の課題は両親で相談するという離婚協定はもはや機能していない。  尤も、個人的に連絡を取れるようになったのは幸いだった。マムから番号を盗んだのと悪びれもせずに言われた時は、流石俺の娘だと思わずゴードンは笑い声を上げていた。  彼女は14歳、賢い子だ。程良い距離と言うものを理解していた。そうあるよう己が強いていることに罪悪感を抱かないと言えば嘘になる。だが数ヶ月に一度の面会に加え、週に数度のテキストのやり取りと、SNSのチェックが加わっただけでも、接触の頻度は飛躍的に上がったと言えるだろう。  ゴードン・ボウは家庭向けに出来ていない。「見守ってやっていて」と言う元妻の戯言に甘んじるのは、仕事の為にも丁度良かった。  今日は日曜日だから暇をしているだろう。妹と一緒に配信サービスで流行のドラマを観てるとか、そんな他愛無いメッセージが待受へ大量に並んでいるはずだ。寝癖のついた頭を掻きながらナイトテーブルのスマートフォンを取り上げると、あにはからんや。着信が数件、そして娘が決して使わない様式の絵文字の付いたテキストでぎっしり埋まっている。  内容を確認してから、ゴードンはエリオットに着信を入れた。待ち構えていたかの如く、3コール以内に応答される。 「ハリーからの連絡、見たか」 「ああ。お前のところには送られて無いんだな?」 「何とも言えん。彼、誤送信が多いからな」  これは本当に気をつけてくれと、常々言っていた事がとうとう現実になった。 『昨晩、酔ってふざけながら撮ったセルフィーをモーに送ったつもりだったんだが、知らないって言うんだ。間違って届いてないか』 「ヴェラは?」 「連絡待ち……ああ、さっき返信が来ていた。彼の所でもない」 「こんな大慌てしてるって事は、アレな写真か」  すぐさま、ぽんとテキストの受信音が響く。  局部は映っていないからセーフだなんてとんでもない。ジーンズのボタンは外され、今にもチャックがちりちりと音を立てて開き、陰毛をちらつかせそうだった。洗面所の鏡に向けてスマートフォンを構えるのと反対の手は、Tシャツの裾を喉元まで捲り上げ、肉体美を誇示している。浅黒い肌に幾つか散った鬱血は目の毒の一言だった。   「そもそも、何でこんな写真をモーに送ろうとした」 「驚かせようと思ったらしい」 「てかあいつ、市長とプライベートでもやり取りしてるんだな」  思わず零れた呟きには「嫉妬するなよ、寧ろそう言うの嫌いな癖に」と呆れた言葉付きが返される。 「あんた今自宅か」 「さっきオフィスに着いた。ハリーが猛烈に落ち込んでるから、モーと2人がかりで慰めてたところだ」 「俺も行くわ」 「いいよ、今日は娘さん達との面会日だろう」 「それは再来週」  だったはず。念の為にスマートフォンのリマインダーで確認し、胸を撫で下ろす。幾ら距離が縮まりつつあると言え、やって良い事悪い事の区別は心得ている。既に過去、何度かやらかした失敗なら尚のこと。 『すごい暇なんだけど、買い物にでも連れてってよ。マムには黙ってるから』  下の方で埋もれていたメッセージは、家を出る前に何とか見つけることが出来る。 『悪い、今出張中だ』  嘘をつくにしても、ここまで大袈裟に修飾した理由は、自分でも分からなかった。 「デイヴ・マレイに送ったかも知れない」  机に伏せたハリーがぼそりと呟いた時には、もはや度肝を抜かれるなんて言葉を通り越し、全ての内臓が万力で圧搾された気分になる。常にハリーの味方であるモーですら、動揺の余り運んで来たコーヒーマグを乱暴にデスクへ置き、雫を跳ね散らす始末だった。 「マレイと個人的に連絡を取り合ってるんですか」 「滅多に無い。ゴルフの約束をしたり……昨日も、来週のチャリティーコンペについて助言を貰ってたんだ。この前みたくブービー賞は絶対ごめんだからな」  例え敵であっても、議論の場を離れればあっさり懐に入り込めるのはハリーの長所だ。負けず嫌いなのも大いに結構。勝つ為ならば頭を下げる事の出来る柔軟性も、全く政治家向けだった。  今回は不運に不運が重なって、全てが裏目に出ただけ。うん、うんと耳を傾けていたエリオットが、いっそ恐ろしい程穏やかな声で尋ねる。 「彼のテキストのツリーに、投稿を消去した形跡はあったのかい」 「知ってるだろう、僕は誤字が多いんだ。ローファームにいた頃もよく最終弁論をヴェラに修正して貰ってた」  ロックを解除したスマートフォンを差し出す手が少し震えているように思えたのは、気のせいでは無いと思う。仔細を改め、エリオットはうっすらと、口元だけに微笑を湛えた。 「10分以内に削除した形跡があるから、彼も見ていないさ。そもそもその写真だったかどうかも怪しい」 「でも10分で彼が画像を保存して、『イーリング・クロニクル』にリークしたら」 「その時は、編集長のノヴァロが飼ってるアビシニアンを絞め殺して、彼の家のドアに釘で打ち付けておく」 「猫には何の罪も」  ぼそぼそしたモーの呟きは、エリオットの一瞥で途中消滅する。 「とにかく、ヴェラの報告を待とう。彼には承諾させたんだな、ゴーディ?」 「ハニートラップでも銃を突きつけてでも、どんな手段を使っても良いから確認して来いって言い含めてある」  電話口のヴェラスコと言えば殆ど半べそ状態。「市長の私生活の尻拭いって広報官の仕事なのか」と甘っちょろい事を抜かすので、「当たり前だ、主任補佐官になったらもっとエグい事やらされるぞ」と脅し付けておいた。  ちょっと何か飲んでクールダウンを、と部屋から出て行こうとしたエリオットに、ハリーはすっかり意気消沈した様子で訴えた。 「本当に悪かったと思ってる。最近気が緩んでるな」 「気が緩んでる訳じゃないよ、ハリー。君は最初の任期の半分が近付いてるのに、まだ自分が市長だと、しっかり自覚していないだけさ」  これは相当鶏冠に来ている。ゴードンが追いかける後ろ姿は自販機前を通り過ぎ、建物の壁を沿う非常階段の扉を押し開ける。エリオットは、躊躇する事なく電子煙草を取り出し、電源を入れた。ここからだと裏の駐車場がよく見える。ヴェラスコのアウディが滑り込んでくるのも真っ先に発見出来るだろう。 「今のはだいぶ効いてたぞ」 「お前に諌められるなんて、私もヤキが回ったな」  ふうっと、落ち着く為に殊更ゆっくり深く吐き出されたメンソールの紫煙が、風に吹き散らされて目に沁みる。 「彼の迂闊さもだが、予見していたのに防げなかった自分へ、まず腹が立つ」 「やっぱり、早々に仕事用の端末を購入しないとな」 「それが一番だろうが、使いこなせるかどうか」  案外ものぐさなハリーの事だ。2週間もすれば公私が混同される事は目に見えている。業務用のスマートフォンでセクシーな自撮りをしたり、うっかり家へ置きっぱなしにしたり。 「うちの娘でもそんなポカかまさないぞ」 「娘さん、まだ小学生だろう」 「上は中2。最近母親が買ってやったらしい。Z世代らしく存分に使いこなしてるよ。俺は反対したんだが」 「まあ、考え方はそれぞれだからな」  そう、本当のことを言えば、己は娘にあの機械を持たせるのをよく思っていない。スマートフォンは中学生が持つ中で、最も気軽かつ、最も多くの個人情報が詰め込まれ、最も大きな世界への扉を開くものの一つだ。彼女が父親のいいねへ無邪気に喜んでいるのは、あと何年なのか。もしエレクトラ・コンプレックスが拗れて、SNSにコメントしてきた年上の見知らぬ男とやり取りを始めたら?  或いは本物を求めて、もっと父親としての義務を果たせと迫ってきたら──義務なのだ、それは分かっている。なのにどうして、彼女からテキストが送られてくる度、喜びと同時に物憂げさも覚えるのだろう。  パパは大きな街で市長の補佐をやってるのよ、と娘は学校で自慢しているらしい。彼女の可愛い自尊心を満たしてやりたい。けれど己は、彼女にハリーの存在を匂わせないよう馬鹿みたいに気を揉んでいる。  全てを曝け出す必要は無いが、いつか彼女達とハリーを引き合わせたいと思った。己だって愛なんてものを持ち得る事をハリーに理解させたかったし、娘達にも父親が全身全霊をかけ築き上げようとしているものが何か知って欲しい。  送られて来たテキストを、2人はほぼ同時に確認していた。 「おばあちゃんに?」 「これでまた和解が遠のくな」  可哀想なヴェラスコは、まだ尻を差し出していないだろうか。既読が1人分つかない所を見ると、もしかしたら既にモーテルへしけ込んでいるのかも知れない。思わず浮かべたにやつきを、ゴードンは手で煙を扇ぐ仕草で誤魔化した。    

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