20 / 25

第四の男

 タブレットを覗き込んでひそひそ、こそこそ繰り広げられる駄弁りを、最初は無視していた。けれどヴェラスコとゴードンは明らかにこちらの存在を口端に上げているし、あまつさえちらちらと、興味と陰気さが入り混じった視線を投げつけてくる始末だ。 「また何か不備でも?」  パソコンのモニターから顔を上げ、モーは2人に話しかけた。さっきからどうしてもエクセルに上手く数字を入れることが出来ない。一息ついて、頭を切り替えるのも悪くないだろう──たとえ逃避する場所が、今置かれている事態よりも更に酷い状況であるとしても。 「いーや、今日はまだ何もやらかしてませんよ、ミスター・4」  待って来たタブレットをデスクにどすんと置き、ヴェラスコは表示されたPDFファイルを指でスクロールしてみせた。  書類の一番上には、洒落たフォントで「市庁舎のホットな男トップ20」なんてタイトルが燦然と輝いている。 「女性及びゲイだとカミングアウトしてる下級職員の間でこっそりアンケートが回っていたらしい。これ、立派なセクハラだよな」 「20人は多くないか」 「そこは問題じゃないんだ、モー」 「まあ、これ位のお遊びで目くじら立てる必要無いさ。いっそ入選者でチャリティ・カレンダーでも作りゃいいんだ」  ゴードンが拡大した写真は、間違いなく自らのものだ。恐らくルイ・ブルックスの表彰会で、足を痛めたハリーを会場から連れ出そうとしている姿の隠し撮り。全く気付かなかった己の無防備さを恥じる。  赤面したのは、首に腕を回してぐったりしたハリーを抱き上げた、自らの横顔が幾らか盛られている事だけが理由ではない。イタリック体で強調された数字によると、己はこの街の市庁舎で4番目にいい男なのだそうだ。 「この『ボディガード』ごっこが決定打だな。『私もあの逞しい腕に抱き上げられてベッドへ運んで欲しい』だと。他にも、『雨の日や報道陣に囲まれてた時、自分の上着を頭から被せて市長を抱えながら歩いてたけど、まるで王子様に忠誠を尽くす騎士みたい』」 「『朴訥だけれどその分誠実そう』とか、ほら、やっぱり『ペニスが大きそう』だって。大人気じゃないか」  嫌味ったらしく口を歪めるヴェラスコは18位。数百人はいる市の男性職員中で、十分善戦していると言えるのではないだろうか、なんて、己が慰めたところで皮肉にしか聞こえないだろう。  正直、面食らっているのは己自身だった。だってこのランキングは、どう考えても間違っている。己より端正な顔や肉体をした男なら、この職場に掃いて捨てる程いるだろう。その1人であるヴェラスコは、明らかにこの結果へ満足していない。 「と言うか、喜ぶと思ってさっきメールで送っておいたのに……ハリーには見せるなよ」  ほら、やはり集計方法に問題があるか、投票者の目が節穴だ。彼がすっと指を滑らせ、ハリーの写真が現れた時、その横にでかでかと表示されている数字は6。 「マレイが9位だっただけでも僥倖かな?」 「これ、今朝送信してくれたメールか」  さっと血の気の引いた顔を見ても、親愛なる先輩達は全く同情のそぶりを見せてくれない。 「転送しちゃったかあ」 「だから、メールは誰から送られて来たものでも、ちゃんと中身を確認しろって前から言ってるだろ。ウイルスだったらどうすんだ」  そう叱りつけるゴードンにも、今回ばかりは反論することが許されなかった。 「さて、ハリーはどんな顔するかね」 「負けず嫌いだからさ。来期のボーナスは期待しない方が良いかもな、モー」 「モー、コーヒー!!」  まるで測っていたかのように、執務室からインカムも使わず、大声で呼ばわれる。ニヤニヤ笑う男達を睨みつけ、モーはマグカップを引っ掴んでオフィスから飛び出した。  火急的速やかに馳せ参じても、ハリーはこちらへ視線を合わせようともしない。画面を見つめる表情は分かりやすく仏頂面だった。 「そこに置いておいてくれ、ミスター・4」  ああ、これは駄目な奴だ。  そっとマグカップと、スノーボールをテーブルに乗せ、モーは恐る恐る呼びかけた。「市長……」 「『やっぱり市の顔と言えば彼。誰が見ても間違いなくハンサム、あんな格好いい市長、州のどこにもいない』『セクシー、セクシー、セクシー。ゲイでなければ滅茶苦茶にされたい』」  恐らく自らの講評欄に寄せられているコメントが読み上げられる。その通り、全く以ってその通り。100%己は賛同する。なのにどうして、こんな目に遭わなければならないのか。 「わざわざ送ってくれたから、君の分も読んでやろう。なになに、『時々雨に打たれた犬みたいな表情をするのがキュート』分かる、ゴーディに怒られてる時の君って、ほんとそんな顔してるもんな。『この前重い荷物を運んでくれた、さりげない優しさにキュンと来ました』ほうほう、親切だな。上司として誇らしいよ」  まさしく叱られた犬のように身を縮めているモーに、ハリーはじろりと上目遣いを突き刺した。 「上位3位は明らかに、組織投票の形跡があるな。部署のアイドルって奴だ」  ばりん、と菓子の包装が破かれ、塗されたココナッツがテーブルに散らばる。クリネックスの箱を差し出しても無視された。 「だが、そこから下は、バイアスの掛かっていない、市庁舎内全体の普遍的な意見だと見ても良いだろう」 「こんなのお遊びですよ、市長。あなたはハンサムです」 「そう、僕は分かりやすくハンサムなんだ。正直、この前の選挙でも女性票が多かった事は認める」  マシュマロを頬張りながらハリーが立ち上がった時は、ブートキャンプで教官に初めて怒鳴られた日よりも背筋を真っ直ぐ伸ばした。頬に触れてくる手は普段よりも心なし温度が低い。 「確かに君は男ぶりがいい。自分で思っているよりも余程ね」  拗ねられ、八つ当たりされるのは一向に構わなかった。こんなの可愛い甘えでしかない。  モーがもどかしく思うのは、理解して貰えない事だった。世間の評価なんて全くどうでも良いということを。例えどれだけ容姿端麗な人間が現れたとしても関係ない。己が忠誠を誓うのはハリー・ハーロウただ1人。どんな時でも彼に一票を入れる人間がいるとしたら、それは自らを置いて他にない。  すっかりシリアスな顔をして固まっていたのはどれ位だろう。何にせよ、見上げてくるハリーが、無表情を破顔させ、吹き出すまでには十分な時間だった。 「全く、冗談に決まってるだろう! 頼むからそんな顔しないでくれ、モデスティ・テート」  あなた絶対本気だったでしょう、と反論する事をモーはしない。ハリーも先手を打って軽く背伸びし、ちゅっと触れるだけのキスを唇に与える。 「市庁舎で4番目にホットな男が、僕にすっかりメロメロなんだ。これは誇っても許されるだろう?」 「ええ、まあ、あなたが満足ならそれで良いです」 「最近可愛げのない誰かと違って、君はさ……本当に、騎士みたいだからな」 「ヴェラも頑張っていると思いますけど」 「こういう時は『そうですね』で良いんだ」  項に両手を絡めて引き寄せられる接吻は、短くもどんどん回数が重ねられる。 「君は僕と一緒にいる事が多いから目立つんだ……本当を言うと、この魅力を知っているのは、僕だけが良かったのに」  最後の睦言が、どこか寂しげな音色で濡れた唇に吹きかけられるのを、勿論モーは聞き逃さなかった。 「これからは、出来る限り周りに素っ気なく振る舞いましょうか」 「そんなことしなくていい。仕事が出来ない上に態度が悪い秘書を使ってるなんて認知されたら、僕の評判にも関わる……デイヴの所のカルーを知ってるだろう、あの澄ました様子、まるでデイヴをコピーしたみたいだ、彼にお似合いだよ……」  ふと、バードキスが途切れる。うっとり潤んでいた瞳から水気を取るように、瞼がぱちぱちと瞬いた。 「そう言えば、デイヴは何位だったんだろう」  歩み寄って覗き込まれるより早く先回りすると、モーはモニターを掴み、前へ伏せ倒した。デスクトップ式のものを、さながらノート型のように。 「液晶が割れたんじゃ……」 「彼は選外です。ああ言う目つきがいやらしいタイプの中年男性は、最近受けませんから」  珍しく、モーの方から抱き寄せて仕掛ける口付けは、懸念を容易く吹き飛ばしたようだった。ご機嫌に差し出される舌はねっとりしたチョコレートと香ばしいココナッツ、それからもっと口の中の粘膜が全部溶けそうに甘い、甘い人工的な香料の味。  まるでハリーそのものだ。気付けば首ったけになっていた。例え世界は6番目に好きだと言おうとも、それどころかカロリーの化け物だと忌み嫌おうとも。唾液を飲み下しながら、モーは片目でデスクを窺い、モニターの無事に胸を撫で下ろした。

ともだちにシェアしよう!