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過去の男(未)と未来の男(仮)

「で、ピッツバーグ・スティーラーズかどこかの元ランニング・バッグは候補から外れたんだな」 「あのQアノン野郎ですか。ツイッターのアカウントを見せたら一発で黙りましたよ。委員は中年以上の年代ばっかりで皆SNSに疎いから、どうにも困りますね」  意気揚々と開発委員会から戻ってきたゴードンは、安堵の息をついたハリーにマックブックを差し出した。 「で、最終的に3人に……俺としては、この国連開発計画に従事していた建築士なんかがお勧めです。開通式までに不祥事を起こしそうな気配もない。ナミビアで勲章まで貰ってる」  とうとうリニューアルが完成した駅へ高速鉄道が通るまで3ヶ月。その翌月には遊園地の着工式も控えている。多少どさくさ紛れの方が、未だに反対派の芽を摘みきれていない現状ならマシではないかと、苦渋の選択だった。  明らかに納得していないハリーに、ならば着工式には派手なゲストを、開通式には比較的堅い人選で、と、チーム内で妥協がまとまった。 「うちの街からそんな立派な人間が輩出されているなんて知らなかった」 「何年か前、小さくですがニュースになったこともありますよ、向こうのミリシア(民間軍事組織)に賞金を掛けられている。ついでに名誉市民の表彰をして、市の鍵でも渡したらどうです」 「古臭いがいいアイデアだな。僕も一度あの馬鹿げた行事、やってみたかったんだ」  首を伸ばし、画面に映し出される写真を確認したハリーは、わくわく輝く表情を一瞬凍り付かせた。 「フィル?」  彼に出席をメールで打診し、快諾され、それで一段落ということにしてしまおうと主張していたのはモーだ。ハリーが言うことを信用しようと。 「彼はとても好人物だったよ。ただ、彼とバーで知り合ったとき、僕は19歳で……あそこの店、身分証を見せなくても酒を出してたからなあ。僕は年の割に大人びてたし」  寝た事実よりも、今回初めて聞いた未成年飲酒の方が今後の瑕瑾になりかねない。誰でもやったことあるだろうと言われればそれまでなのだが、法律は法律。そんなことをつついてくる可能性がある人格の人間は、自らの過去を簡単に棚上げする。  取り敢えず、事前打ち合わせという名目で会っておきたいというゴードンの意見を、エリオットはいつも通り黙認した。ハリーと告げ口屋のモーには内緒。SNSを確認して、若き市長が映っている写真や動画がないか確認してくれたヴェラスコが、肩を竦める。 「まあ、大丈夫だと思うけどね。今パートナーがいるらしいから、元彼のことなんか蒸し返されたくないだろうし」  会えないかと連絡を入れたところ、今ボリビアにいると言うのでZoomチャットで話をすることにした。インスタグラムで画像を見た時も思ったが、フィルス・アプトンはゴードンより2歳年上に思えないほど若々しい。ネイティプ・アメリカの血が濃い強面と裏腹、落ち着いた話し口と優しげな笑顔。これまでのハリーの言動から、彼はある幾つかのタイプの男性へ特に惹かれやすいとゴードンは推測してたが、アプトンもその類型に当てはまる──エリオットに代表されるカウンセラー型。 「ご多忙のところ、お時間を頂き感謝します。そちらとの時差は1時間ですね」 「ええ、連絡を頂くまで、アメリカの時刻をすっかり忘れていたので、おかしな時間にお願いしなくて本当によかった。こちらこそ、帰国が直前になってしまうので、こんな形になり申し訳ない」  現地時間だと夜8時からの会談。もしも直接顔を合わせていたならば、どこかレストランで会食とでもなっていただろう。画面越しのアプトンは漆喰壁を背景に、毛布を積んだ簡易ベッドにもたれ掛かりながら、エンパナーダらしきものを齧っている。会議室へ閉じこもり、近所の中華料理屋で買ってきたオレンジチキンもどきをつついているゴードンは、TPOへちゃんと適合していると言えるに違いない。 「実を言うと、依頼を受けたときには驚いたんです。否定的な意味ではないのですが、まさかハリーが市長になっていたとは」 「彼を知る人間は皆そう言いますよ」 「確かに昔から、人が驚くのを見て面白がるようなところはありました。謎めいていたと言った方がいいのか……考えが読めないようなところがね」  よーく分かりますとも、と相槌を打ちそうになって気付いたのは、この男性と己が、下品な物言いをすれば穴兄弟であるということ。そんなことを言ってしまえば、チームの面子とは全員そういう関係なのだが、結局のところ、ハリーにとって「今の男」どもは全員十把一絡げの存在だ。昔の男とは違う──そう思っておかないと、何だか酷く空しい気分になる。 「市長として、今回の高速鉄道誘致はかなり重大なプロジェクトになります。その後に続くテーマパークの開園とまとめて、市の歴史に残るようなイベントになることは間違いありません。貴方は鉄道に関してならお詳しいと思いますが」 「分かってます。心配せずとも、こき下ろしたりはしませんよ」  苦笑は、いかにも冷めてぎとついているように見える揚げ物をミネラルウォーターで流し込もうと腐心するために一端中断される。一息ついたとき、アプトンの表情は真面目腐ったものに戻っていた。 「私を推薦したのはハリーですか? ……いえ、率直に聞きますが、彼は私を呼ぶことに、難色を示さなかったのですね」 「特には。寧ろ懐かしがっていましたよ。貴方は愛すべき人だった、と」 「そうですか」  箸で摘み上げるチキンは、本家よりも柑橘の味が強い。口の中へ執拗に残る酸味を飲み下しながら、ゴードンは考え込むアプトンに語りかけた。 「貴方が率直になるなら、俺もそうなるべきですね。貴方とハリーが交際していた頃の話で、今ほじくり返されると問題になりそうなエピソードは何かありますか」  戦略担当者としてはこれが限界だ。本当は、もっと明け透けに聞いてしまいたかった。当時の、まだ青くて世間知らずだったハリー・ハーロウはどんな男だった? 今よりも可愛げがあったのか、それとも鼻っ柱が強かったのか。  そんなことして何になる? 百も承知だった。過去に嫉妬を? 違う。これは興味だ。彼を視界の真ん中に据えて生活する時間が長くなればなるほど、その奥深くを覗き込みたくなる。昔からそういう性分なのだ、これくらい物事に執着心を持てないと、ロビイストなんてやっていられなかった。  今己が利益を代表しているただ一つの存在がハリーだ。知っておかねば。  アプトンはエンパナーダを食べ終わるまで、返事を保留した。油で滑らかになっているはずの舌の動きは、些か鈍い。 「交際というほど大袈裟な関係ではありませんよ。知り合って数年、機会があればベッドを共にした友人……貴方は嫌悪を催されるかも知れませんが、あの街で自分の性的指向を隠していた同性愛者の間では珍しくなかった」 「異性愛者の間でもある関係ですよ。お互いが同意の上ならば、何も問題など無いでしょう……ただ貴方と出会った当時、ハリーは未成年だったと白状しています。その辺りはこちらと上手く口裏を合わせて頂けたら」 「そうだったんですか? それは、気付かなかったな……」  と言うのが本当かどうか。日焼けと画素の粗さは細かい表情の判別を難しくする。確かに愕然としているようにも思えるし、そういうふりをしているだけかも。 「そこまで頻繁に関係を持っていた訳ではないんです。彼は大学の寮から通っていたし、私が平和部隊へ参加するようになって、関係は途切れました」  まるで悪いもの胃に溜まったかのように、アプトンは深々と息を吐き出した。 「正直、後味の悪い終わり方でね。ハリーは泣いて怒りましたよ。この街を、僕を捨てて出て行くのか、裏切り者、って。私はあんな街、一刻も早く抜け出したかった。けれど彼はそうじゃなかった……そう言えば、地球の裏側を助けに行くより、先にこの街を何とかしろと言われたっけ」  呆気ないほど容易かった。独りぼっちになったと思い込んで癇癪を破裂させている若いハリーの姿を想像することは。俯き、激情に震える肩を抱いて慰めてやる己の姿も。そう嘆きなさんな、あんたはまだ若い。これからの人生、良いことが山と待ってる。側に居てくれる人間は、それこそもう結構って思える位わんさと現れるから。 「結局は、家の合鍵も返して貰えないままだったな」  予想通り、アプトンは悪い人間では無さそうだった。誰も悪くはないが、この程良く世慣れた男が決まり悪さで赤面しそうなダサいイベントが待ちかまえていることを、ゴードンは結局最後まで口にしなかった。そんな暇があるならば、さっさとZoomをログアウトし、ハリーを構いたくて堪らなかったのだ。

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