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第13話
チョコレートという物は不思議な食べ物だ。色は暗く、美しいとは言えない。にもかかわらず、職人の手によって滑らかな曲線を含むフォルムに仕立てられた一粒は、まるで宝石のように美しい。そして、口に入れるとかすかな苦みと共に、それに相反する濃厚な甘みが口いっぱいに広がる。
要に連れられて外出するようになった俺は、世の中に板チョコとは別格のチョコレートがあることを知った。一粒二百円以上するチョコレートの価値を、俺は知ってしまったのだ。
「チョコレート食べたいな」
「じゃぁ、今度のお休みはデパ地下行きますか」
「バスの広告に載ってた、ベルギーのチョコ食べたい」
「あれは、難しいですね」
「なんで?」
「ベルギーからパティシエが来るって書いてありました。買うのに整理券がいるみたいなので、並ばないと買えないですよ。蒼は並んだりはしたくないでしょう?」
「チョコ買うのに並ぶわけ?ありえない。じゃあ、他のでいい」
「午前中は整理券に並ぶ人達で込みそうなので、午後の方がいいかもしれませんね」
昼下がりの研究室。学部生はいないため、いつも通り二人きりの職場だ。作業着を着て、要が何かをこねている。最近は肥料を自分で作ることにはまっているらしい。
こねくり回されている土色のそれが、なんとなくチョコレートに見えて、こんな話題になった。
ホコリぽい匂いが研究室に充満しているのに耐えかねて、窓を開ける。
「あいかわらず、イチャイチャしてんな」
開けっ放しのドアからすっと入ってきた学部長を見て、大げさにため息を吐いて見せる。この人が来るとろくなことがない。
「学部長、ノックしてください」
「音橋君、それ終わったら、俺の部屋来てもらえる?」
「音橋君に何の用ですか?」
「ん?まあ、いろいろね」
「あんた、また何かよからぬこと考えてないでしょうね?」
「何を言ってるんだ。俺がいつ、よからぬことをしたって言うんだよ。お前が自分勝手だから、俺がいつも頭を下げてやってるんだぞ。チアパム視察だって、お前の素行の悪さのクレームは、全部俺にくるんだからな」
「素行の悪さって・・・・別に・・・ちょっとふらふら歩いただけだし・・・・」
「他人の都合も考えて動けよ。もう、いい大人なんだから。まあ、今回はノークレームだったし、アグーラの話も進んでるみたいだから、よくやったと、言ってやろう。音橋君に感謝するんだな」
感謝って、GPSつけられるわ、部屋にカメラ仕込まれるわ、私生活においてストーカー行為が日常になっている俺の身にもなってほしい。
「よし、とりあえず切りがいいので、お話伺います」
「そうかそうか、ではコーヒーでもおごってあげよう」
ニコニコしながら要と出ていく学部長の背中は、まるで今から悪戯をする子供のように楽しげだった。
🔷
週末、14時に上岡駅にあるデパートの地下一階、エスカレーターを降りた所に来るように言われて、俺は何の疑いもなく向かった。
要は午前中用事があるそうで、待ち合わせという形になった。俺にプライベートの用事が入ることはないが、要は時々友達とも出かけるし、土日に家にいないこともあるから、待ち合わせようと言われても特に何も思わなかった。
下りのエスカレーターに乗り込み、自動で下へ体が下りていく。俺が異変に気が付いたのはその時だった。
手を顔で覆う。学部長が要を呼び出していた時点で、気づくべきだった。
階下に要とテレビ局のスタッフがいることが見えても、下り始めたエスカレーターを引き返すわけにはいかず、不機嫌たっぷりの顔で地下一階へ到着した。
「なんで、テレビが来てるんだよ?」
「すいません、実は学部長命令で、ベルギーチョコレートフェアの取材に同行することになってまして・・・」
すまなそうにテヘへと笑ってはいるが、要は絶対悪いなんて思ってない。
「俺は帰る」
「デパートの計らいで、なんと、蒼が食べたがってたチョコレートを食べさせてもらえることになってるんですよ!俺たち用の試食と、お土産に1セットくれるそうです。せっかくなんで、食べましょうよ、幻のチョコレート。並ばずに食べれる機会なんて、もうこないですよ。一生!」
「なんで俺たちなんだよ」
「秋に、このデパートで上岡大学の農学部が育てた野菜や果物を売るイベントがあるそうなんです。それでデパートからもぜひ俺たちに宣伝してもらいたいって依頼があったそうですよ。チョコレートフェアの取材をして、最後に10月の大学コラボ地産地消農産物フェアの宣伝もすることになってます」
「むー・・・・仕方ないな」
こうやって話している間にも、スタッフは着実に準備を始めており、要と俺はメイクさんらしき人に髪を直された。少なからずギャラリーも集まってきた。言っておくが、俺は芸能人ではない、助教授だ。
「みなさん、こんにちは、今日はベルギーチョコレートフェアに上岡大学のイケメン月島助教授と音橋君が来てくれました」
元気なアナウンサーの掛け声とともに撮影がスタートした。
「こんにちわ~」
「・・・・どうも」
「音橋君の私服姿は拝見したことがありますが、月島先生の私服姿は初めてですね!ちょっと予想外といいますが、先生というより美少年って感じでしょうか」
紺のラインが一本入った白いシャツに、同じ紺の膝丈のハーフパンツ、黒いサンダル、これでどうして美少年になるのだろうか。
俺にはわからないが、コーディネートした要がうんうんと頷いているところを見ると、狙い通りらしい。
ファッショに興味はなく、最近は要が選んだものを言われたまま買っている。これは要の趣味ということだろうか。
「ピアスもつけてらっしゃるので、大学で白衣を着ている時とは雰囲気が違いますね~」
しまった、まさか大学がらみの取材なんかあると思っていなかったから、ピアスをつけて来てしまった。口が滑ってもGPS入りだとは言えない。
「俺のと色違いなんです」
いちいち見せなくていいのに、要が色違いの金色のピアスが見えるように髪をかき上げる。
「え!キャー萌えですね~」
何が萌えなんだ。早く帰りたい。
「甘々な気分を味わえた所で、さっそくチョコレートフェアの会場へ行ってみましょう!」
「は~い」
「はぁ・・・」
会場ではたくさんのブースにチョコレートが並んでいて、不覚にも胸がときめく。チョコレートの匂いでフロアが満たされている。
「うまそう~」
フラフラと目についたチョコレートの方へ行こうとする俺の腕を要ががっしりと掴む。
「先生、順番がありますからね」
「あ・・・」
しまった、スタッフ達が笑っている。これではどちらが年上かわかったもんじゃない。だが、自由に動けないのは本当に嫌だ。つい不貞腐れてしまう。
「たくさん食べれますし、終わったら自由に見れますからね」
俺たちのやり取りにスタッフとギャラリーから笑いがこぼれる。
そうこうしているうちに、店の説明をアナウンサーはしっかりすませ、試食の時が来た。
「なんだこれ、酸っぱい」
「ベリーが入ってますね、ラズベリー、ストロベリー。あ、これおいしいです。マルベリーは日本語でなんでしたっけ?」」
「桑の実だよ。ほんのり優しい甘みだな。うん、うまいな、1セットください」
「月島先生は、マイペースですね」
テレビなど気にせず買い物をする俺をみて、アナウンサーが苦笑する。苦笑されてもかまうことはない。俺はテレビに出たくて出ているわけではないし、人気なんてまったくいらない。
「すいません、こういう人なんで」
「アハハハ。では、次へ行きましょう!時間が足りないくらいですからね」
アナウンサーが足早に次のブースへ向かう。それについていこうとすると、腕をぐいっと引かれる。見上げると要の顔があった。
「蒼、チョコレートついてる」
テレビに映っていない所で要が手で俺の頬をぬぐう。
「何してるんだよ。置いて行かれるぞ」
「蒼があんまりおいしいそうにチョコレートを食べるんで、なんだか、俺も蒼を食べたくなってきちゃって・・・」
「バカ」
小声で要をいさめる。こいつ、顔がベッドに俺を押し倒す時みたいになってる。こんな所で欲情されてはかなわない。逃げなくては。
焦ってそそくさと先にいってしまったアナウンサーを追いかける。
LIVE中継ということもあって、チョコレート紹介はどんどん進んでいく。最初はどうなることかと思ったが、アナウンサーについて回って、試食して感想を言えばいいだけらしく、これならまあいいかと思えてくる。チョコレートはどこの店もかなり美味しいし。
「そしてラストは、幻のチョコレート。王室御用達、ボンボンショコラ。一般販売は通常していないそうですが、今回は特別に数量限定で販売していただけるそうです」
チョコレートに王室御用達とかあるの?アナウンサーの説明を横で聞いていてびっくりする。チョコの世界は奥が深いな。さっそく試食の一粒をもらって口に入れる。
「うわ~うま~」
ナッツが入っているのだが、その香ばしさや油がチョコレートと絶妙な美味しさを作り出している。これはうまい。
「ん?・・・おい、バカ」
顎を掴まれて上を向かされると要の欲情した顔があった。テレビにがっつり映っているのを忘れたのか?俺の顔に近づいてくる要を押し返し、慌てて、顎を掴んでいる手を払いのける。
「あ、すいません、月島先生、チョコレートついてると思って、はい、拭きましょうね」
取り繕うように要がティッシュで俺の口を拭く。
「ほ、ほんとうに、仲がいいんですね~。では、月島先生と音橋君の甘々チョコレート紹介はこのくらいにして、実は10月にもフェアがあるんですよね」
場の空気がおかしい。今までの、要が俺にちょっかいを出している時の朗らかな雰囲気とは明らかに違う。アナウンサーもスタッフも、要の表情にただのおふざけとは違う何かを感じたのは間違いない。
緊張が走る。俺の心臓が早鐘をうつ。男同士ってことをこいつは忘れているのか?
「そうなんです。上岡大学は農学部にも力をいれています。農学部はプランターで育ちやすい品種や都心でもよく育つ品種など様々な品種を作り出しているんですが、そんな優秀な農学部のみなさんが栽培した野菜や果物を、こちらのデパートで販売することになったんです。地産地消をテーマにしていて、地産の野菜を使ったお弁当の販売もあります。期間限定ですので、みなさんこの機会を逃さないようにお願いします」
場の空気の異様さにも動じず、要はいつものさわやかスマイルで続けている。
「では、スタジオにお返しします~」
カットの声がかかると、みんなほっとしたような安堵の空気が流れた。
さっきのあれはどんなふうに放送されたのだろうか。はたから見たら、要が俺に口づけするように見えたんじゃないだろうか。なぜなら、要は俺に口づけしようとしていたからだ。そう見えて当然だ。俺と要がそういう中だと全国に知られたらどうなるのだろうか。なんだか嫌な汗が出る。
「月島先生、幻のチョコレートは1セット買わせてもらいました。他のブースを見ていきますか?」
いたって普通に話しかけてくる要に、俺は無言になる。こいつに焦りはないのだろうか。何を考えているんだろう。俺が止めなければ、本当に、全国放送でキスしてたんじゃないのか?
「いや、いい。疲れた」
「そうですか。じゃあ帰りましょう」
スタッフに挨拶をして帰る。背後から、「あの二人って」という小さな声が聞こえたような気がして、俺の背中は固くなった。
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「おまえ、あれは、どういうつもりなんだ?」
帰宅して、買い集めたチョコレートを冷蔵庫にしまっている要を咎める。
「あれってなんですか?」
「しらばっくれるなよ。おまえ、キスしようとしただろ?」
「唇にチョコレートがついてたんです。蒼の唾液と混ざって輝いて、とてもおいしそうでした」
「理由を聞いているんじゃない。あそこでキスなんかしたら、どうなってたと思ってるんだ?俺は怒ってるんだ」
「何がいけないんです?恋人にキスして、何が悪いんですか?」
「お前どうしたんだよ・・・・」
怒っているのは俺の方だというのに、要が冷蔵庫のドアを勢いよく占める。こちらを向いた表情は、明らかに怒っている。本当に、要の全身から怒りを感じる。不機嫌になることはよくあるが、本気で怒っているのは初めてみたかもしれない。
「何がいけないんですか?何がいけないって言うんですか?」
大股でやってきた要に追いやられて、壁に背中をぶつける。
「落ち着けって、お前、なんか変だぞ。別にいけないことをしてるわけじゃない。欧米では同性婚を認めている国もたくさんある。でも、偏見はなくならないだろ。俺の活動はアジア圏が多い。同性愛者の研究者を受けいれない場合だってある。研究に支障が出るだろ」
「研究・・・・大事ですよね。蒼にとって。俺なんかよりも」
「おまえ・・・・何言って・・・・」
「学部長から聞きました。大学、しばらく休むんですか?チアパムの次はアグーラ?でその次は?俺を日本に残して・・・・。蒼は何もわかってないです。蒼がチアパムに行っている間、俺がどんな気持ちで待ってたと思ってるんですか?こんなに毎日一緒にいたいのに」
「え?だって、お前、俺の研究の邪魔になるようなことは絶対してこなかったじゃないか・・・なんで急に」
「急じゃないです。ずっと我慢してきました。GPSだって、カメラだって、我慢するためのものなんですよ。でも、それは、蒼が帰ってくるのが前提なんです。アグーラの話は別です。アグーラに行くなら・・・しばらく俺から離れるなら、蒼は俺のものだって他人がわかるようにしたいです」
「それであの時キスしようとしたのか?確信犯か?計画してたのか?」
「計画してたわけじゃないです。テレビの前でそんなことはできないって頭でわかってました。でも学部長から話を聞いて、俺、どうしたらいいのかわからなくなって。蒼の研究の邪魔をしたいわけじゃないんです。でも、不安で・・・・離れたくなくて・・・・何も手がつかなくなって・・・・」
目の前の男は誰だ?こんなに悲痛で、全身から悲鳴をあげているような顔をしている人間を始めてみた。いつものさわやかでどこか余裕がある笑顔はどこへいってしまったんだろう、まるで悲劇の王子だ。
俺がこんな顔をさせているのか?若くて、強くて、頭がよくて、幸せな未来しか待っていないような人間に、こんな顔を・・・・。
要の存在を都合よく解釈しすぎていたのかもしれない。俺が研究対象だから、俺さえいればいい。俺の嫌がることはしてこない。俺が本当に愛さなくったって、傷ついたりはしない。いつの間にかそんな風に考えていたんだ。
「蒼は俺のこと好きですよね?俺と一緒にいたいですよね?」
「俺は・・・・・俺は・・・・・」
何も言えなかった。俺には無理だ・・・・俺には無理なんだよ。
目線を下げると、体が浮いた。要に抱きかかえられる。
「おろせ、今は嫌だ・・・・嫌だって言ってるだろ!」
ドサッとベッドにおろされる。普通じゃない要の表情に恐怖で鳥肌がたつ。
「やめろって・・・・」
腕をベッドに縛り付けられ、強引に服を脱がされる。
「嫌だ、こんなの嫌だ」
本気で嫌だと言っているのがわからないわけじゃないだろうに、要に俺の言葉は通じなかった。
「っう・・・っ・・・・痛い!」
いつもとは違って強引に入ってくるそれを、俺の体が拒んでいるようだ。
それでも要は力を抜かず、奥まで一気につきあげる。
「ひゃあああああっ」
何度も何度もつかれると、体は次第に快感を求めて要を受け入れていく。心だけが残されて、悲鳴をあげる。嫌なのに、こんなの嫌なのに、拒めない、求めてしまう。
「やめろ・・・抜け・・・・」
「体は俺を好きだって言ってますよ。ずっと一緒にいたいって。ほら、こんなになってる」
「っん・・・・あ・・んっ・・・ああああっ・・・・」
「はぁ・・・・はぁ・・・・ほら・・・蒼、たっぷり出してあげますから」
「や・・・めろ・・・・」
腹の中が要の液でいっぱいだ。それなのにまた入ってくる。行き場を失った液がドロドロと体の外へ流れていく。そしてまた、腹の中に新しい液が注がれていく。
意識を失って、目をさますと、まだ要の悪夢が続いている。意識が感覚を取り戻すと、また声が漏れる。
「はぁ・・・あ・・・・もう、無理だから・・・・やめ・・・・て」
「やめません、永遠に・・・・」
体をうつ伏せにされ、尻を持ち上げられると、穴から大量の液が垂れた。太ももにつたって気持ちが悪い。それなのにまた、突き上げられる。
「ああっ・・・・ああ・・・はぁ・・・はぁ・・・・んんっ・・・」
奥へ、奥へ、と要が侵入してくる。そのまま俺の心臓でも狙うように、突き上げる動作がとまらない。
「蒼、好きです・・・・」
それでも最後に聞いた要の声は、優しかった。
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