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第15話
第15話
アグーラでの支援事業を成功させると、活動が国際農業機構に認められ、国際的な活動へと発展していった。俺と吉沢助教授の発展途上国における子供支援は月島・吉沢モデルと呼ばれるようになり、その後たくさんの貧しい国で真似された。
そして、俺はノーBル平和賞を受賞した。日本人の受賞は初めてで、国内はかなりにぎわったらしいが、俺は日本へ戻らずに活動を続け、そして、押し寄せるメディアや新しいオファーに飲み込まれ・・・
その結果、俺は、逃げだした。
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「生物学者が緑に触れられないとか、ありえないでしょ」
「まあ、蒼なら仕方ないかなって思うけど、ノーBル平和賞とった人間が夜逃げするなんて前代未聞だね」
俺の隣で花の植え替えをしているホセが、俺たちが出会ってから一年経つな、と言って話し始めた。
ノーBル平和賞を受賞した人間と言うと世界的有名人だと思うだろうが、一般の人々の記憶に残っているのはメディアが取り上げている間だけで、少し落ち着くと、分野外では月島蒼の名前を出してもバレなくなった。
そこで俺は、小さな国の日本人学校の理科教師をしながらフィールドワークでそれまでのストレスを癒して過ごした。フィールドワークの途中で、アメリカで新しくできる巨大な植物園の館長をすることになっていたホセと知り合い、事情を知って理解してくれたホセは俺を植物園のコーディネーターとして雇ってくれた。
正直、この仕事は天職だと思う。暇があれば、市場にでかけて思う存分植物を眺め、気に入ったものは植物園に持ち帰り育て研究する。外部との会議はホセの仕事だし、俺は一日中、花を採取したり、新しい論文を読んだりと、好きなことをしている。
研究室が隣にくっついた自分の事務室はどこか上岡大の研究室と似ていて、時折胸に痛みが走る。要のことは忘れようと思ったが忘れることはできず、黒いピアスは俺の右耳に今も居座っている。
要は俺よりも有名人になった。俺がノーBル平和賞を受賞したすぐ後、要はノーBル理化学賞を受賞した。院生時代にやっていた肥料の作成と土壌の研究を続け、植物の光合成を倍にできる肥料を開発したのだ。
二酸化炭素排出量が権利として売買される昨今、その研究成果は世界的な大発明とされ、今でもテレビで要が映ることがある。テレビに映る要は少し大人びたが、前と変わらない初夏の若葉のようなさわやかな笑みを浮かべていた。
俺がノーBル平和賞を取ってすぐに逃げ出せたのは、要が俺にとって代わってもてはやされたおかげでもあった。
「そういえば、昨日の夜、また要がテレビに出ていたよ」
「ああ・・・・」
「会いたいって顔してるけど?」
「やめてくれ」
酔った勢いでホセにいろいろぶちまけてしまってから、ホセは要をテレビで見ると俺をからかってくる。男のくせに、恋の話が好きらしい。まるで吉沢助教授みたいだなと思う。
「もう三年も会ってないんでしょ?そういえば、このあいだ、健一から電話がまたあったよ。いいかげん荷物を取りに来いってさ」
「悪い・・・」
マンションの契約がそのままになっていて、健兄 にすべて任せてしまっていたが、そろそろなんとかしなくてはならない。でも、あのマンションにはまだ要がいるだろうし、と思うと足が:竦 んでしまう。我ながらずいぶん小心者だったと気が滅入る。
「あ、そうだ、明日オーナーが来るんだよ。蒼はまだオーナーにあったことないだろう?そそうのないようにね」
「オーナーね・・・開園して一年経つのにまったく顔を出さないとか、その人、植物に興味あるの?」
「どうだろうね」
にやりと笑うホセの表情に、一瞬健兄が脳裏をよぎった。人間がああいう表情をする時は、だいたいよからぬことをたくらんでいる時だ。まあ、俺には関係ないことだろうが。
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いつも通り、近くに借りている一軒家から車で出勤する。散歩がてら園内を歩き、水やりをしている庭師と軽く立ち話をする。枯れた植物などを一番最初に見つけるのは、実際に手入れをしている人間なので、人づきあいが苦手な俺も、庭師とはある程度コミュニケーションを持つようにしている。
大きな園内の三分の一を見たくらいで研究棟に着き、熱いコーヒーを飲む。園内全部を見て回ると一日かかってしまう、それほどにこの植物園は巨大だ。なるべく人の手を入れ過ぎず、植物の自生する姿を見てもらいたいというコンセプトらしく、園内を歩いていると野山にいる気分になる。州立でもないし、金持ちの娯楽というのは理解できないなと思うが、俺好みのこの植物園を作ったオーナーとならうまくやっていけるかもしれない。
デスクに飲みかけのコーヒーを置いて、資料が並んだ棚をあさる。そういえば、昨日まだ読みかけだった論文をしまってしまった。どこにしまったのだろうか・・・・
ガチャリ
ん?今、何か音がしたような。そう思った瞬間、背後に人の気配を感じ、ドキリと心臓が脈打つのと同時に、抱きしめられた。
「蒼・・・・好きです」
「ひっ」
この感触。忘れられるわけがない。後ろから強引に抱きしめて、離さない腕。耳元で囁かれる甘い言葉。
「か・・・・かなめ?」
「はい。やっと、会えました。この植物園気に入ってくれました?」
「は?え?何?」
後ろを振り返ると、そこには少し大人びた要が立っていた。信じられない。本物だろうか?そう思って伸ばした手が震えている。
「ピアス、ずっとつけていてくれて嬉しかったですよ」
「んんっ・・・」
強引な口づけも変わらない。要の匂いだ。ほっとする、あの、陽だまりのような暖かな匂い。
「はぁ・・・はぁ・・・まった・・・・ちょっと・・・何して・・・っ・・・」
「これ以上待てません、三年もかかりました。あなたのすべてを手に入れるのに」
服の中に要の手が入ってくる。大きくて熱い手、欲情した目と息遣い。
「っあ・・・・ひゃぁ・・・ああんっ」
突然の要の登場に心が追い付かない。それでも、体の中に入ってくる要の指を体が受け入れていく。体が痙攣するような久しぶりの快感に思わず声が漏れる。
「ん、きつい・・・・蒼、力抜いて・・・」
「っあ・・・ん・・・要・・・・まって・・・ドア・・・誰かきたら・・・」
「閉めてありますから、大丈夫ですよ。懐かしいですね。始めて蒼を犯した日を思い出します。ああ・・・・蒼・・・・俺、我慢できないです」
「まって・・・・っひぃ・・・・ああっ・・・やっ・・・・んんっ」
もっとキスしたい、もっと抱き合いたい、もっと中まで愛されたい。好きで好きで、どうにもならない気持ちが溢れてくる。
「かなめ・・・・好き・・・・好きだ」
「っん・・・・そんなこと言われたら・・・・優しくなんてできませんよ・・・くっ・・・」
「ああっ・・・かなめぇ・・・」
「蒼・・・・好きです・・・・・もう離さない、絶対に」
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「この!バカバカバカバカバカバカ」
叩いても叩いても叩き足りない。
ことの経緯はこうだった。俺が要の家を出ていったあと、要は俺のすべてを手に入れる計画を立てた。その第一歩が光合成を促進させる肥料の完成だった。
それを成功させると、すぐにアメリカの銀行と契約して資金を調達し、植物園を建てる計画を実行した。ホセとは肥料を共同開発した企業の縁で知り合ったらしく、あたかも偶然を装って俺に近づかせ、植物園のコーディネーターとして俺を雇った。ホセは俺と要の再開を今か今かと待ちわびていたらしい。完全なる要側の人間だったのだ。
そんなことってある?
俺はあの日から、要の掌 でうろちょろしていたにすぎなかったのだ。
「ノーBル賞の受賞会見、蒼の顔青ざめてましたからね。会議や会見の連続だったんでしょう?逃げ出すのも時間の問題かなって思って、理科教師の情報を蒼が手に取るようにしたんです」
「そんなことまで仕組んでたわけ?」
「吉沢先生が快く協力してくれましたよ」
「あの人か・・・・」
「吉沢先生も蒼がそろそろ逃げ出したくなってるのは分かっていたみたいです。子供支援のメインは自分だからって、全部押し付けられても怒ってなかったですよ」
確かに、理科教師という仕事があることは、吉沢から聞いた覚えがある。何かの移動中の車内で、日本人学校を通った時に話題にあがったのだ。
あんな自然な感じで話してたのに、要の策略だったとは・・・・、怖い・・・・怖すぎる。
「で、まああとは簡単だったんですが、俺もノーBル賞受賞したりと、いろいろやることが増えてしまって、会いにくるのが先延ばしになってしまいました」
「くそー・・・・俺は、俺はな、本当に辛かったんだぞ、お前と別れて・・・・俺じゃお前を幸せにできないって、辛くて・・・・」
「蒼・・・バカですか?」
「はぁ?」
「蒼が俺を幸せにする方法なんて簡単でしょう?」
「簡単って?」
「俺に抱かれて、気持ちよさそうにしてればいいんですよ」
「バカはお前だろ」
「あ、そうだ、日本のマンションは解約してきましたよ。大家さんも困ってましたし。荷物は船便で今の家に運んでもらってます」
「ああ・・・・そうか。悪いな。ん?今の家って?」
「今の蒼が住んでいる家ですよ。誰に紹介してもらった家でしたっけ?」
「ホセ・・・・ってことは、お前か・・・」
「いい物件でしょう?中古だったんで安かったです。寝室も広いし、庭もありますしね。俺の荷物も今頃運び込まれてますでしょうし、しばらくは荷ほどきに忙しいですね」
「え?一緒に住むの?」
「もちろんです。そのために買いましたから」
「おまえ、億万長者なの?」
「そうですよ。肥料の特許で毎年一億円以上稼げてますからね。この植物園を建てた返済があるので、まあ、そこまで贅沢はできないですけど、研究用の設備も蒼がほしいものはなるべく手に入れますから」
「うわー・・・・怖いよ、本当に」
「あーやっと、蒼の寝顔に触れる。毎日見てるだけで、すごい欲求不満だったんです」
「え?見てるだけって?え?え?ああああ!家にカメラ仕込んであるのか?」
「もちろんですよ。かなめぇって言いながら、枕をぎゅっと抱く蒼の姿なんて、俺、興奮してあやうく飛行機のチケット取る所でした。」
「バカバカバカバカ!俺は、俺は、やっぱりお前が一番怖い!」
「怖がってください。今日から、毎晩、毎晩、たっぷり、おれから離れていったお仕置きをしないといけませんからね。もう俺から離れようなんて思わないくらい、たっぷりと」
理性を失った雄ほど怖いものはない。要のどこか常軌を逸脱した視線に背筋が凍り付く。
俺は、俺は、いったい、どうなってしまうんだろうか。怖い、怖い、要の計り知れない愛が怖い。
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