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第32話

自宅の最寄り駅に向かう電車は人がほとんど乗っておらず、静かだった。 時折ゆっくりとカーブを曲がる時の車体の傾きに身体を預けて、 孝之は静かに目を閉じた。 電車の揺れが刻む一定のリズムが、心地良い。 この所夢に惑わされてばかりでろくに眠っていなかったからか、 意識は次第に腹の奥底に沈んでいった。 「…やっちまった」 次に目を開けた時には、 窓の外が見知らぬ景色に覆われていた。 発車ベルに促されて、慌てて電車を降りる。 いつの間にか、降りるはずだった駅より8つも先の場所まで来ていた。 生暖かい風が孝之の頬を掠める。 ふいに前方から、白い小さな粒が一粒、 風に乗って吹き飛んできた。 風が静まると、白い粒は弱々しく孝之の左腕の上に落ちてきた。 「…桜のはなびらだ」     

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