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第34話

孝之は立ち尽くし、 ただ震える下唇を噛みしめながら 前方から歩いてくる男をまっすぐに見つめた。 男はベージュのトレンチコートのポケットに両手を入れ、 何か考え事をしているかのように俯きながら ゆっくりとこちらに向かってくる。 おもむろに顔を上げると、 こちらの存在に気づいたのか、小さく声を上げた。 ”天使”。 昨日の夜、土砂降りの中話し掛けたあの天使に間違いなかった。 孝之は軽く頭を下げると、 ”天使”もそれに合わせて軽く頭を下げた。 ふいに強い風が吹きすさみ、 桜の花びらの擦れあう音が二人を包み込んだ。 孝之は乱れる前髪を必死にかき分けながら、 ”天使”の表情を読み取ろうとした。 ”天使”は焦げ茶色の髪が舞う事もおかまいなしに、桜の木を静かに見上げていた。 物悲しげな視線が、孝之を動揺させた。 夢の中だけでしか出会えない 幻だと思っていたのに。 それなのに目の前に今、こうして立っている。 横顔は、あの時夢で見たのと同じように 思いつめた雰囲気を漂わせていた。 「…確か、昨日の夜。駅のホームで、俺に声掛けましたよね」 最初に口を開いたのは”天使”だった。 ”天使”は桜の樹から、ゆっくりと孝之の方に視線を移した。 面と向かって目を合わせるのは、 これが初めてだった。 孝之は思わず視線を外してしまった。 言えるわけがない。 夢の中で、毎日会ってましたと。 しかも、”天使”と呼んでましたと。

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