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第七章 あの日、あの場所で
「分からない」
「分からない」
「分からない…」
「分からないわけね」
孝之はいつものように
殿上と昼食後のコーヒータイムを過ごしていた。
顔を両手で覆ったまま天を仰ぎ、
ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
殿上はその様子をコーヒーの湯気で曇らせたメガネ越しに見つめていた。
「つまり。夢か、幻か」
「………」
「ねぇ。前もこんな展開じゃなかった?」
いつもいつも。
肝心な時に、記憶を失う。
リビングのソファで目を覚ました時、
龍司の姿はなかった。
ソファの片隅には洗濯された孝之のパジャマとタオルがきれいに畳まれて重ねられていた。
看病のお礼のメールを送ったが、
返事はなかった。
近づいたと思った龍司との距離が、
また少し、遠くに離れていく。
「良かった?」
「………何が」
「天使ちゃんとのキス」
「…覚えてない」
夢を現実に引き下ろそうとした報いだ。
そう思わざるを得なかった。
夢は、夢のままで良かったのだ。
それ以上のことを望んだばかりに、
一番欲しいものが、手に入らない。
「そう気負わずに。気楽に考えてみたら」
「……他人事だと思ってるだろ」
「だってまだ、何にも話し合えてないじゃない」
殿上の一言に、
孝之は顔を覆っていた両手をゆっくりと下ろした。
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